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(回答先: でも、日本の分割統治計画に対して、ソ連が異議を唱えることができなかった理由には、原爆の存在も否定できない。 投稿者 hou 日時 2007 年 7 月 01 日 12:37:07)
たぶん、houさんの趣旨からいえば、タイトルは
「日本の分割統治計画《の廃案》に対して、ソ連が異議を唱えることができなかった」
でしょうね。
しかし、この「日本の分割統治計画」は何時、誰が計画したのでしょうか?
以下の文章を読むと
「アメリカは翌11日、朝鮮半島を38度線で分割し、北部をソ連軍、南部をアメリカ軍が占領し、日本軍の降伏受理と武装解除に当たるという計画案を作成し、統合参謀本部議長に提出した。」
「8月16日、アメリカ統合戦争計画委員会(JWPC)は、『日本および日本領の最終的占領』と題する試案を、統合参謀本部へ提出した。これが"幻の日本分割占領案"である。」
とあるので、アメリカの計画だったようにも見えます。
アメリカが勝手に計画して(たぶん、日本の力を殺ぐためには分割統治の方が効果的)、勝手に廃案にした(たぶん、日本を軍事的に占領したのはアメリカだから、アメリカが全部もらうほうが得)、のではないだろうか。
ソ連が廃案に同意したのは、単に、ソ連軍が海をこえて日本の領土に入っていなかった、という事実上の問題が大きいだろう。(思いつきの推測ですが・・)。
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http://blog.sina.com.cn/u/4972f4d3010006f0
アメリカにある国立公文書館に現存する計画書によると、北海道・東北はソ連占領地域、関東・中部・福井県を除く北陸及び三重県付近はアメリカ占領地域、四国は中華民国占領地域、中国・九州はイギリス占領地域として統治し、首都東京の23区は米・中・ソ・英の、福井県を含む近畿は中華民国とアメリカの共同管理下に置くという計画であった。(日文WIKI百科:日本の分割統治計画)
日本と朝鮮半島の幻の分割占領案 1945年8月10日、日本がポツダム宣言を受諾したことによって、カイロ宣言で約束されていた朝鮮の独立が実現することになった。しかしアメリカは翌11日、朝鮮半島を38度線で分割し、北部をソ連軍、南部をアメリカ軍が占領し、日本軍の降伏受理と武装解除に当たるという計画案を作成し、統合参謀本部議長に提出した。
38度線分割案はもともと暫定的な措置だった。これは満州方面からのソ連軍の急速な南下を懸念したアメリカが、日本が降伏した際の権益確保のために提案したものだ。
スターリンが38度線設定を受諾した8月16日、アメリカ統合戦争計画委員会(JWPC)は、『日本および日本領の最終的占領』と題する試案を、統合参謀本部へ提出した。これが\"幻の日本分割占領案"である。この試案は、日本の占領計画を次の三段階に分けていた。
最初の3カ月
アメリカが単独で日本を占領し、朝鮮半島は米ソが南北に分割して占領する。
続く9カ月
日本と朝鮮半島を米英中ソの四カ国分割占領に切り替える。(右図)
東京は四ヵ国が共同占領、ソウルは米ソ二ヵ国の共同管理。
期限未定
占領軍の撤退が始まると、四ヵ国共同管理委員会を設置し、朝鮮は信託統治を経て、完全独立を実現させる。
この分割占領第二幕としての日本分割占領案は実現されず、幻に終わった。朝鮮統治をめぐって米ソが対立し、また東西冷戦が急速に進んで、第二幕の占領政策が放棄されたためである。運が悪すぎ(3)東西の冷戦のおかげで日本は分割占領を免れたが、朝鮮は南北分断状態が固定されてしまった。この経緯を知ると、冷戦を怨むというより「日帝36年」を怨むというより、もっと根本的なことにため息が出る。
朝鮮半島の人々が悪い隣人を持ったことにつくづく同情せざるを得ない。
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