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バブル経済を迷走へ導いた故・宮沢喜一元首相の功罪(立花隆の「メディア ソシオ-ポリティクス」)
http://www.asyura2.com/07/senkyo37/msg/422.html
投稿者 gataro 日時 2007 年 7 月 01 日 16:54:56: KbIx4LOvH6Ccw
 

http://www.nikkeibp.co.jp/style/biz/feature/tachibana/media/070630_miyazawa/index.html から転載。

立花隆の「メディア ソシオ-ポリティクス」
第112回 バブル経済を迷走へ導いた故・宮沢喜一元首相の功罪
2007年6月30日

宮沢喜一元首相の死亡記事を読んで、死因に「老衰」とあるのを見て驚いた。年齢を見ると87歳。病気で死んだのなら、この年で死んでも何の不思議もないが、何の病気にもかからず、ただ老衰で死ぬにはちょっと早すぎるような気がした。

しかし、ある時期から宮沢は急に老け込んでいたから、老衰死もあるような気がした。しかしむしろ、老衰というよりはアルコールによる多臓器不全のようなものだったのではないかという気がした。

酒豪で酒乱だった宮沢喜一

知っている人はよく知るように、宮沢は大量飲酒者として有名だった。造り酒屋の息子だったこともあり、宮沢は昔から酒豪として有名だった。

酒豪であると同時に、酒乱でもあった。酒乱の域に達しないうちは、人にイヤなからみ方をする時間がえんえんとつづくので、酒癖が悪い人として有名だった。

酒さえ入らなければ、頭がいい人だから、話は明晰であり、取材して気持ちがいい人だった。

私は数回会って話を聞いたことがあるが、からまれれることもなく、悪い思い出はない。

いちばん長時間会ったのは、80年7月、大平首相が急死した衆参同時選挙の直後だった。自民党が大勝利したものの、次の総理大臣が誰になるのかなかなか決まらず、政界は色めきたっていた。

総理候補時代の宮沢喜一

当時、次期総理として有力視されていたのは、宮沢喜一(大平派)、中曽根康弘(中曽根派)、河本敏夫(三木派)の三人だった。

当時の政界で圧倒的な政治力を持っていたのは田中角栄であり、最大派閥は田中派だった。しかし、角栄はロッキード事件の被告人だったから、自民党からは自ら脱退しており、党外にいた。

党外の人が自民党最大の実力者で、田中派が総裁候補を立てることもないという奇妙な状況がつづいていた。

派閥の大きさでいうと、田中派90、大平派77、福田派77、中曽根派50、三木派42という順になっていた。どの派閥も単独で多数派を形成できず、どの派も、田中派の支援を得ないと総理の座を獲得できないという情勢にあった。

つまり、このときの総理の座の行方は、被告人田中角栄の選択ひとつで決まったのである。

そいういう状況下で、有力三候補は、何を考えているのか。田中の政治支配をどう思うのか。自分が総理大臣になったら、田中の影響力を排除する内閣を作ることができるのか。

こういったことを、この三人の候補たちに連続インタビューして、「文藝春秋」8月号に『被告人の選択を待つ首相候補たち』というかなり長い記事を書いた。

総理の器を論じた宮沢の自己評価

実際には、田中角栄は次の総理としてこの三人の誰も選択しなかった。選んだのは、この時点では誰も予想していなかった鈴木善幸だった。

インタビューの時点では、鈴木の名前は全くあがっておらず、下馬評は三人にしぼられていた。三人ともそれを意識して、ソワソワしていた。

とりわけ中曽根は、三人の中では自分が田中角栄にいちばん近いと思っていた。なにしろ田中の宮沢ぎらいは有名だったし、河本は宿敵三木派の番頭だったから、田中が選ぶはずがないと思っていた。だから、自分が選ばれるにちがいないと思って、ガチガチに緊張していた。

いちばん緊張を欠いていたのは、宮沢だった。宮沢は、自分が田中に嫌われているのをよく知っていたから、自分が選ばれるはずがないと思っていたし、自分自身田中が嫌いだったから、田中に頭を下げてまで総理大臣になりたいとも思っていなかった。

それに、当時は自分が総理大臣の器であるとは思っていなかったらしく(総理大臣になるのは、それから11年後の91年)、自分が次の総理候補であることを、ハナから否定して、こんなことをいった。

「総理大臣になる人というのは、やっぱり風格が必要なんです。なんというんでしょうか、やっぱり、どんな場合でも床の間を背にして座るのがいちばんぴったりする人なんです。ぼくがつかえた池田(勇人)さんにしても、佐藤(栄作)さんにしても、大平(正芳)さんにしてもそうでした。その人が床の間に座っていると、自然に全体がおさまる。そういう人なんです。自分が人の先頭に立って何かをするというより、その人がそこにいると、自然にみんなが力を発揮するようになる。それが本当のリーダーですね。ぼくは床の間が似合わない人間ですから、総理大臣は合わないんです」

宮沢のこの自己評価はあたっているところがある。

軽さが目立つ能吏タイプ

宮沢は、たしかにドッシリかまえた総理大臣タイプの政治家ではなく、総理大臣につかえるときに、その能力を最も発揮する能吏タイプの政治家だった。

長い政治家生活において、宮沢が精彩を放ったのは、総理大臣時代ではなく、むしろ、経企庁長官、官房長官、大蔵大臣、外務大臣といった立場から他の総理大臣を支える役割を果たしていた時代だった。

総理大臣になってからの宮沢には、テレビカメラに向かったときも目玉がキョロキョロ動きすぎるなど、人間としての軽さが目立った。

結局、80年7月のインタビューの時点では、そもそも総理大臣になる意志がないことが早々にはっきりしたので、その話題は10分くらいで切り上げた。そしてそのあと、かなり長時間にわたって聞いたのは、もっぱら経済の話だった。

当時、ニクソン・ショック、石油危機、インフレ、数次にわたる円の切り上げを経て、経済はひと昔前とは全くちがう様相を示しつつあった。

このような経済の大変動期を迎えて、政府の経済財政政策はそもそもどのようなプリンシプルにもとづいて運営されているのか。そのあたりに、かねがね大きな関心をよせていたので、当時いちばんの経済通と目されていた宮沢に会う機会を得たのを幸い、次から次に経済に関する疑問をぶつけていった。

ひと昔前のケインズ理論にこだわる

「ひと昔前なら経済財政政策は、ケインズ理論にのっとってやっていれば、まちがいなかった。だけど、いまはもうそういう時代じゃないでしょう。いまはどいういうプリンシプルにもとづいて経済を運営しているんですか」

と聞いた。すると、この質問を聞くまでは、丁寧にいろんな質問に答えていた宮沢が、突然表情を変えて、キッとなった。

「いえ、ケインズ政策の時代が終わったなんてことはありません。いまでもぼくはケインズ理論が基本的にいちばん正しいと思っています。ケインズに代わる理論はありません」

ときっぱりいった。そのあまりにも強い口調にびっくりした。

そのころ経済学の世界では、ケインズはすでに古い理論とされ、その向こう側を論じるのが新しい経済学と思われていたから、これほど絶対的なケインズ理論信奉者が目の前にいることに驚いたのである。

宮沢の死に際して、新聞各紙は、政治家宮沢の功罪についていっせいにいろいろ書いていた。各紙でその罪の筆頭にあげられていたのが、あのバブル崩壊前後の時代、首相あるいは蔵相として日本の経済財政政策の中心にあった宮沢のもっぱらケインズ政策に依拠してのカジ取りだった。

とりわけ悪評が高かったのが、98年の小渕内閣時代の宮沢財政だった。

蔵相として小渕首相を世界一の借金王に

経済状況がどんどん悪化する泥沼の不況状態の中で、経済に全く自身がない小渕が頼りにしたのが、「平成の高橋是清」とおだてて引っぱり出した宮沢だった。

宮沢は蔵相の就任記者会見で、経済政策を問われると、自分のことを「時代遅れのケインジアンといわれています」といって、財政で景気を刺激するケインズ政策を中心にすえることを宣言した。そしてその言葉通り赤字国債をどんどん発行しては、景気刺激をつづけた。

そしてついには600兆円をこえる借金を積み上げて、亡くなる前の小渕首相が、「オレは世界一の借金王だ!」と自嘲するほどになった。

その膨大な借金政策が功を奏したかというと、それでも景気は一向に回復せず、晩年、宮沢はこの借金政策を振り返って、「ヘドロにコンクリートパイルを打ち込むようなものだった」と語っていたという。

21世紀の日本が、このときの借金のツケを払うためにこれまでも苦しみつづけ、これからもまだまだ苦しみつづけなければならないこと(歴史的財政破綻状況)はいまさらいうまでもない。

失敗は小渕時代の財政政策だけではない。

あのバブル時代の検証記事として最もすぐれているのは、日経新聞の「検証バブル・犯意なき過ち」(後に同書名で刊行)だと思うが、その一章が宮沢の長文インタビューにさかれている。それを読んだときに、この人はこんな無責任さで、そして、これほどわけがわからないままに、日本の経済のカジ取りをやっていたのか、と怒りの思いでいっぱいになった。

効果がなかった為替介入

同書からちょっと引用すると、こうだ。

86年プラザ合意後の大蔵大臣時代、円高を防ぐためにしていた為替介入について、

「20億ドルぐらい介入するんです。当時のカネで3000億でしょう。それでも『相場はびくともしない』『入れても反応がない』『ごぼっと飲み込まれてしまってブラックホールみたいだ』というんです」

3000億円を入れて2日もすると、その介入の効果は全くなくなる。

「ドルが減価するのを分かってて買うんだから、買うのもバカみたいなことだし、何もしなくてバカ、何かしてバカ、まるでどうしようもないですよ」

88年の、バブルのもとになった過剰流動性の供給政策について、

「有効求人倍率が極端に低くなっていた。マクロでこうですといっても、とても(流動性を供給する)政策はやめられなかったでしょうね。(略)あの時のことを思い出すと、どこかで間違っていたでしょうと聞かれるとそうでしょうとは思うものの、どこでどうしたらいいかというと思いうかばない」

バブル時代は、

「猛烈に税金が入ってくるし、法人税で1兆円入りましたという日もあった。すごいんだ。(略)だから政府は悪くないわけだなあ。みんな悪くない。他方で土地の値段が上がりはじめていましたが、社会悪になって現われる程ではない。あれで万事終わりなら、めでたしめでたしみたいな話ですよね。(略)私もバブルの騒ぎを超えてものが見えていたとは言えない」

すべてが人ごとの官僚タイプ

バブル崩壊を振り返って、

「役人の世界は一つのセクショナリズムでねえ、自分の受け持っている分野だけを見てますから、全体的にそういう空気になっていることは感じないんでしょう。役人たちが不動産、株の状況はこれは一時のことであって、必ず回復するだろうと考えてきた。従って事態が回復すれば何も問題ではない、とそう考えたんでしょう」

とにかく、すべてが人ごとなのである。

責任意識が皆無としかいいようがない。役人の世界すべてがそうであり、自分もまたその世界にドップリつかってきたから、何の反省もないのである。しかし、一度だけこれはあまりにもひどいからアクションを起こそうと思ったことがある。

92年、株価が大暴落して危機ラインといわれた1万5000円を割り込んだとき、首相の宮沢は、一時株式市場を閉鎖して、日本の金融システムが危機にあることを国民に告げ、不良債権処理のため公的資金を金融機関に投入することまで考えた。三重野日銀総裁に電話をかけ、日銀特融に踏み切ってもらう話までつけていた。

しかし、宮沢は迷った末に、その道をとらなかった。このとき、そのような強行手段をとっていたら、その後のバブル崩壊はかなりちがった展開をたどっていたにちがいない。

「多くの役人が考えていたように不動産でも株価でも回復して、そういう部分はテイクケアされちゃうという可能性が半分でもある限り、真相はこうですよ、と言っても何ら役に立たない。言えなかったということですね」

不動産も株もマーケットが回復すれば危機は去る。その可能性が少しでもある限り、役人たちは危機の存在を認めないということである。

いい思いつきも実行されなければゼロ

宮沢という政治家の最大の特徴は、「優柔不断」にある。いろいろいいことを思いつくところまではいくのだが、それを断固として実行するということができない。迷った末に何もやらないのである。そのあたりが、小泉といちばんちがうところだ。公的資金を注入しての不良債権処理という小泉改革がやったと同じことを、宮沢は10年前に思いついて途中までは実行に移しかかっていたのである。

日銀総裁の同意まで得ていたのに、最終段階で迷った末に逃げてしまったのである。

どんないい思いつきも、実行されなければゼロである。

宮沢に実行力さえあれば、あの「失われた10年」もなかったのかもしれない。宮沢が思いついての「とりやめ」から、小泉の果断な実行まで、ちょうど10年である。

この辺も含め、宮沢政治、宮沢財政を総括してみると、功より罪のほうがはるかに多かったと思う。

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立花 隆

評論家・ジャーナリスト。1940年5月28日長崎生まれ。1964年東大仏文科卒業。同年、文藝春秋社入社。1966年文藝春秋社退社、東大哲学科入学。フリーライターとして活動開始。1995-1998年東大先端研客員教授。1996-1998年東大教養学部非常勤講師。2005年10月-2006年9月東大大学院総合文化研究科科学技術インタープリター養成プログラム特任教授。2006年10月より東京大学大学院情報学環の特任教授。2007年4月より立教大学大学院21世紀社会デザイン研究科特任教授。

著書は、「文明の逆説」「脳を鍛える」「宇宙からの帰還」「東大生はバカになったか」「脳死」「シベリア鎮魂歌—香月泰男の世界」「サル学の現在」「臨死体験」「田中角栄研究」「日本共産党研究」「思索紀行」ほか多数。近著に「滅びゆく国家」がある。講談社ノンフィクション賞、菊池寛賞、司馬遼太郎賞など受賞。

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