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私はどんな政党に対しても幻想は持たないつもりでいる。
政党は、小さな市民運動よりも組織が大きい分、市民にとって政治運動の核ともなり得るものであり、また、仲間作りに役立つ組織であると思う。
しかし、政党内部のみでの意見交換では意見が固定的になりがちであり、また、社会にあるあらゆる集団の宿命として、集団への帰属意識、誇りといった感情から、集団の外の意見や、他の集団に対し、敵対的になったり、自分の所属している集団が一番いい集団だと思いたくなる傾向があると考えられる。
そうした結果が、よく批判される党利党略といったものであると思う。
しかし、私はそれはそれとして批判しつつも、ある程度やむを得ないものとして目をつぶることが必要だと思っている。というのは、どんな組織も腐敗する恐れがあると考えているからである。組織を構成するのが人間である以上、腐敗は不可避と言ってもいいくらいだろう。問題はその腐敗を腐敗と気付いて正していくことができるかどうかである。
自浄能力のある組織か否かが問題だ。
政党に関して言えば、政治的主張や手段に反省すべき点があった場合、それを反省し、改めているかどうかである。
私は護憲のためには共産党や社民党の存続は必要だと考えている。
護憲派市民は「護憲のために改憲政党の民主党を支持する」などという逆立ち行為をするよりも、今ある護憲政党を盛り上げる努力をするべきだと思う。
阿修羅で、政党による党利党略を批判する文脈で、護憲・平和と党の維持、どちらが大切なのか、という疑問を提示した人がいた。
手段として、党の維持も必要というのが私の考えである。
政治はどうしても政党政治にならざるを得ないと考えられる。
自分と合う考えの者とグループになるのは人間の基本的習性であるし、一定程度の勢力を持たなければ政治を運営することもできないと考えられるからである。
したがって、社会を形作る政治をよくするためには、政党の勢力分布を変えることが必要条件になってくる。
これは、党員や党中央部だけの党利党略の問題ではなく、主権者たる国民全員が考えるべき問題なのである。
基本的人権、平和、格差社会を作る構造の破壊 といったことのためには、自民、公明、民主にはない考えの党を躍進させることが必要だと私は考える。
基本的人権・平和と党の維持、どちらをとるかと問われたら、私はどっちもとると答える。
前者が政治目的であり、後者はそのために党員だけでなく国民がとるべき政治的手段であると考えるからである。
護憲政党の維持を訴えることは、党利党略というよりは、国民による、国民利国民略なのである。
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