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『従軍慰安婦をめぐる30のウソと真実』 大月書店 [Book_review] (思考錯誤)
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投稿者 gataro 日時 2007 年 6 月 28 日 21:14:00: KbIx4LOvH6Ccw
 

http://blog.so-net.ne.jp/furuido/2007-03-20-1 から転載。

『従軍慰安婦をめぐる30のウソと真実』 大月書店 [Book_review]  
                                
                               

『従軍慰安婦をめぐる30のウソと真実』 大月書店
吉見義明・川田文子編著
1997年、98頁、900円+税

本書<はじめに>から: 
「日本が戦争に敗れたとき、軍と政府は公文書を焼いて、戦争犯罪の証拠を消していった。日本軍が慰安婦制度(軍用・性奴隷制度)をつくり、アジアの女性にたいする重大な人権侵害を犯してきたことも、ほとんど反省されないまま、50年余がたった。
 1990年5月に盧泰愚大統領が訪日するとき、韓国の女性団体は「挺身隊」問題(当時韓国では慰安婦は挺身隊と呼ばれていた)に対する謝罪と補償を求める声明を発表した。だが、日本政府は「民間の業者がそうした方々を軍とともに連れ歩いている」(同年6月参議院予算委員会)と答弁し、軍の関与すら認めなかった。
 ところが、一部の政治家は「慰安婦は公娼」 「商行為に参加した人たち」といった発言をくり返し、被害者の訴えを封じようと動き出した。また、1996年、文部省検定済みの中学校教科書に慰安婦問題が記述されていることがあきらかになると、「自由主義史観研究会」を主宰していた藤岡信勝東大教授ら一部の研究者は、有名な作家・エッセイスト・財界人・マンガ家などと「新しい歴史教科書をつくる会」を結成するとともに、教科書から慰安婦問題を削除せよとのキャンペーンを展開している。
 その主張の核心は、国家の栄光のみをみつめ、侵略戦争や植民地支配の実態を直視することをさけるところにある。こうして、慰安婦問題では、軍と政府の責任を否定し、被害者を侮辱しつづけている」

本書が発刊されたのはいまから10年前(1997年)だが、上述の状況が変わったとも思えない。軍・政府は慰安婦問題に関与していない、軍が強制連行したという証拠はない、などと年中行事のように政治屋が発言を出したり引っ込めたりしている。そのくせ、アジアの各国には謝罪を済ませた、と一方では言う。国際的に通用しない発言内容をやっている国が国際舞台に乗り出せるわけもなく、マスゴミも政治屋の矛盾した発言や、政治屋による報道機関に対する自由な報道を恫喝により規制しているから、ニッチモサッチモいかない不毛な議論がニッポン社会のなかに淀んでいるのが現在の状況である。

本書は慰安婦問題に関する基本的なQ&A集である。なかには「子ども電話相談室」レベルの論点も混じっているが、首相や政治屋、自称歴史家、評論家、漫画家、企業人が子どもレベルのアホな解釈(子どもたち、メンゴ!)を平気でやっている国のこととてやむをえまい。この程度の質問に口ごもっているようではグローバルスタンダードに適合する人間、として国際社会から迎えてもらえまい。歴史教育を習っていない生徒や先生は、この回答集を出発点としておのれ自身で調査し、現代に通用する国際倫理を身に付けることがのぞまれよう。


本書の内容(目次の写しである):

■ I 日本軍と慰安所
01 ”従軍”ということばは、軍属という身分を示すものだ。だから”従軍慰安婦”という用語を教科書にのせるのは、まちがいだ
 (●注意: 。。教科書にのせるのはまちがいだ! という誤りを正す、ということ。以下同じ: 古井戸)

02 軍と慰安所の関係は、たとえていえば、文部省とその庁舎内にある食堂と同じだ。だから、慰安所の運営に批判されるようなことがあったとしても、その責任は軍にはない。

03 いまだってソープランドひとつつくる許可を得るにも警察や保健所など公共機関は関与している。慰安所だって軍が関与しているのは当然じゃないか

04 軍がかかわっていたといっても、慰安所を直接経営していたのは、軍ではない。軍の関与はすべて”よい関与”であって、なんの責任もない

05 慰安婦集めや、慰安婦経営にかかわった業者の多くは朝鮮人だった。責任を問うなら、朝鮮人業者を追及したらどうか

■ II 「慰安婦」の徴募
06 軍や警察は、業者があちこちで違法な慰安婦集めをしないように、指導していた。その証拠が、1938年3月4日の陸軍省副官通牒や同年2月23日の内務省警保局長通牒だ

07 強制連行によって慰安婦を集めたケースはない

08 吉田清治さんの本での告白が強制連行の証拠とされてきたが、現地でのその後の調査で、この告白はウソだと証明された

09 日本人慰安婦のなかには、もともと日本国内で売春婦(芸妓、娼妓、酌婦など)だった者が多いという。朝鮮人・中国人など他国・他地域から集められた慰安婦もそれと同じだ

10 慰安婦が10万人もいたというけれど、そんなに多くなかった。だから名乗りでている人数も少ない

■ III 慰安所の実態
11 日本軍兵士と慰安婦の関係は、当時の売春婦と客に似たようなもので、加害とか被害とかいうほど悪いものではなかった

12 慰安婦にはかなり自由があった。休みの日には買い物にでかけたりもできたのだから、それほど悲惨な目にあったわけではない

13 慰安婦は、個室のある大きな家に住んでおり、前線にしては優雅とも見える生活に満足していた

14 太平洋戦争で生じた200万人に近い戦死者の約7割が広義の”餓死”だったとされる。慰安婦より悲惨だったのが、激戦場の下級兵士だった

■ IV 戦争と性暴力
15 慰安所をもっていたのは、日本軍だけではない。どこの軍隊にも慰安所と同じようなものがあった

16 アメリカ軍も占領軍のための慰安所設置を日本政府に命令した

17 慰安所のおかげで、戦地にいる兵士のすさんだ気持ちはやわらげられた。だから、こういう施設はどうしても必要だった

18 戦争にレイプはつきものだ。それを防ぐために慰安所があった

■ V 軍慰安所と公娼制度
19 当時の日本では、法律で公証制度が認められていたのだから、慰安婦も公娼(娼妓)と同じだ

20 慰安婦は通常の商行為をしていただけだ。しかも、ふつうの兵士の100倍もの収入があった

■ VI 歴史教育と「慰安婦」問題
21 97年度から採用される中学校の7つの教科書が”慰安婦が強制連行された”などと書いているのは事実に反する

22 中学生に従軍慰安婦問題を教えるのは早すぎる

23 こんな問題を子どもに教えようとするのは自虐的な考えで、日本人としての誇りを失わせることになる

■ VII 「慰安婦」問題と過去の克服
24 被害を受けたという人たちの証言にはまちがいもあって信用できない。補償金ほしさの自称”慰安婦”もいる

25 いわれるような被害を受けていたとしたら、どうして戦争の終わった後すぐ訴えなかったのか

26 男女同権などといういまの価値観からすれば悪いことだとしても、その時代にはその時代の価値観があったのだから、いまさら批判しても仕方がない

27 たしかにほめるべきことではなかったかもしれないが、ご先祖の恥をさらすことはないだろう

28 日本は国際法に反することはしていない。していたとしても、国家だけに責任を負わせるのは酷である。そもそも50年以上も前のことなのだから、すでに時効がせいりつしているではないか

29 第二次大戦後の各国との条約で、戦争中の被害への補償については処理ずみだ。

30 自分とは関係のないことでいつもアジアから謝罪を要求されてムカつく

囲み記事<検証> 「ゴーマン」な慰安婦マンガの大いなる歪曲
1 ”生娘”はすべて将校がカンパして帰した?
2 新聞広告で慰安婦を集めた?
3 日本軍は慰安婦に人権を与えた?
4 高収入だから性を売る女がいるだけだ?
5 口をとざしている日本の女は凄い?

##

以上のQ&Aから、現在問題になっている論点のQ&Aをピックアップし、以下、要約する。04と07である。

●04 軍がかかわっていたといっても、慰安所を直接経営していたのは、軍ではない。軍の関与はすべて”よい関与”であって、なんの責任もない

軍の関与の程度からタイプ分けすると:
(1) 軍直営の慰安所
(2) 業者に形成させる軍専用の慰安所
(3) 民間の売春宿を指定して一定期間試用する軍指定の慰安所

問題となるのは(1)と(2)だ。
軍の責任が問われる理由は、国内の公娼性(国家が公認している売買春制度)にはあった「拒否する理由」「外出の自由」「廃業の自由」などを認める軍法をつくらず、女性たちを慰安所に閉じこめて、使役していたからである。千歩譲って、軍が慰安所をつくること自体に問題がないとしても、女性達の自由意志にもとづく「売春」であるというためには、上述の権利が保障されていなければならなかった。しかしこれはなかった。

さらに、日本・朝鮮・台湾からつれてきた未成年者を使役することも問題だった。当時、日本が加入していた「婦人及び児童の売買禁止に関する酷使条約」では、21歳未満の未成年者を国外に連行することは、本人の同意があっても違法とされたのである。

軍が慰安所を国外につくったことも問題。国際法では、本国から国外にいわゆる売春婦を送り出すことを厳しく制限していたからである。

直営の慰安所の場合、慰安所制度に強制性があり、未成年者が使役されていればただちに軍の責任となる。直営の慰安所は、上海や常州、インドネシアにあった。海軍嘱託などが雇用契約責任者となり食糧・衣類・日用品などを軍が無償で与える準直営の慰安所が多数存在した(厚生省資料)。

業者が経営する第二のタイプの慰安所も、軍または警察が選定しており、軍の身分証明書をもっているので純粋な民間業者ではない。業者と軍の関係は、慰安所制度創設・運用の主役は軍であり業者は脇役でしかなかった。慰安所設置を決定するのは現地の部隊であり、業者は勝手に慰安所を作ることはできなかった。

日本・朝鮮・台湾から慰安婦を前線近くまでつれてくるには、軍が軍用船への乗船許可や、列車・トラックなどの使用と通行許可をださなければ、不可能だった。戦地への交通は軍が完全に統制していたからである。慰安所の建物は軍が接収して業者に提供した。このようなことを軍がしなければ、業者は慰安所を経営することができなかった。
(以上、p14〜16から)


●07 強制連行によって慰安婦を集めたケースはない

強制連行はあった。なかったという論者は、(現在、安倍首相が馬鹿のひとつ覚えのようにくり返しているように)官憲が奴隷狩りのような拉致・連行はなかった、と意図的に狭く限定する。しかしこれは問題のスリカエ、矮小化、であることはあきらかである。<強制連行>とはなにを指すのか?が問題である。

<強制連行>とは、本人の意志に反して連行することだ。すなわち本人の自由意志に反して連行することである(北朝鮮の拉致、も、家屋に侵入して拉致したわけではない。観光旅行と偽って某国に案内し、身柄を拘束すれば、拉致、強制連行、というだろう: 古井戸)。このように解釈すれば、
(1) 前借金でしばって連行する
(2) 看護の仕事、食事を作る仕事、工場で働く、などと騙して連行(誘拐)
(3) 拉致
などがこれに含まれる。

(2)の騙して連れて行くのを強制連行に含めるのは、慰安所についたとき、無理矢理(本人の意志に反して)慰安婦にするからである。最初から暴力的に連行するよりこのほうが簡単に移送できる。官憲が直接やっておらず、業者がやった場合も元締めとなる業者は軍が選定し、女性たちを集めさせているのだから当然軍の責任になる。

強制連行を指示する命令書がないから強制連行はなかったはず、という者がいるがナンセンス、そもそも、違法な指示を命令書に書くはずがない(その程度の智慧は軍にもある:古井戸)。東京裁判資料によればインドネシア、フィリピン、中国では現地女性が強制的に慰安婦にされた。

さらに問題なのは、未成年者の連行である(国際条約違反)。韓国や台湾のヒアリングでは、半数を超える慰安婦が未成年であるのに送り出されている。
(以上、本書p22〜25から)

##

15年間にわたる中国との戦争のなかで、日本軍は満州を含む中国全地域で言語に絶する残虐行為をくり返した。とくに一般民衆への被害が大きいのが特徴であり、虐殺、強姦、放火、掠奪、毒ガス使用、生体実験、アヘン密輸入。。ありとあらゆることをやった。この<実績>を事実と考えるひとであれば、慰安婦の強制連行などで驚かないだろう(古井戸)。そうでないひとにとっては他人事だろう。

本書はうすい。100頁にも満たない。2〜3時間あれば精読できる。是非図書館で読んで貰いたい。

岩波新書、小林英夫著『日本軍政下のアジア』(大東亜共栄圏と軍票)、1993年発行、から引用しよう。
終章 「ふたたび被害調査の旅へ」から。

「。。この旅でわたしは、日本の軍事占領が、本書で述べてきたことにとどまらない、深い傷痕をのこしていることをあらためて実感した。
 フィリピンでは従軍慰安婦問題の調査を行った。 (略) 太平洋戦争jの緒戦でバタアンの激戦地をもち、終末期にレイテの激戦地をもつフィリピンは、文字通りの被害を集中的に受けた国のひとつである。フィリピンの女性達もその例外ではなかった。
 首都マニラに隣接するケソン市。道を少し奥に入った比較的静かなおちついた一角にある住宅。入口に看板がなければみすごされてしまうごくごく普通の建物。そこにネリア・サンチョさん(44歳)が主催するフィリピン女性従軍慰安婦調査班(Task Force on Filipino Comfort Women)の事務所がある。対応に出た事務局のシャロンさんに話を聞く。彼女によれば、この調査研究班の発足は1992年7月のことで、現在までに従軍慰安婦にされたフィリピン女性約100人と戦争中にレイプされた女性39人が名乗りでたという。話を聞くと、彼女らの多くは当時10代後半から20代前半で、日本軍に拉致され性的暴行を受けた経験をもつ。当日事務所に来てくれた三人の女性の場合もその例外ではない。

 ジュニシア・メダリア・ウマピット(68歳)。セブ島姥ローン・グラナダ出身。父は漁夫で母は農夫。六人兄弟の四女として1925年グラナダに生まれた。日本軍がフィリピンに侵攻したときは17歳で、ラプラプ市の学校にかよっていたという。彼女が郷里グラナダに帰った1943年のある日(正確な月日は記憶にないという)、ゲリラ調査のためトラック5台に分乗した日本軍が村に侵入、村民を教会に集合させてゲリラ摘発をおこなった。そのとき彼女は拉致され、性的暴行をうけ、ひきつづき他の二人の女性とともにマクタン島に連れていかれた。そして昼間は飛行場建設工事の賄婦、夜は日本軍兵士の性的相手となることを強要されたという。4ヶ月のちにすきをみて脱走。日本軍敗北の日まで山中にかくれていた。

 ルフィナ・フェルナンデスさん(66歳)。マニラのシンガロン出身。父はサンミゲル・ビール工場ではたらいていた。女ばかりの五人兄弟の長女として1927年、マニラに生まれている。日本軍がマニラに侵攻してきたときは15歳。英語とタガログ語を学んでいた。日本軍のマニラ侵攻直前に山へ非難し一年以上山中ですごしたが、安全を確認しマニラにもどり、自宅へ帰った1944年のある日、日本軍兵士5人が家に乱入した。娘たちに暴行をはたらこうとしたので父が抵抗、そのもみあいのなかで父は殺され、彼女は兵舎に拉致された。そこで兵士達の性的相手をすることを強要されたのである。3ヶ月のち、兵舎から脱走しようとして発見され、日本刀で右腕を斬られて重症を負ったという。まくってくれた右腕には数カ所の刀傷がふかくきざまれていた。

 いまひとりの女性は、会うなり泣きだしてしまい、ついに名前すら聞くことができなかった。
 彼女らは現在、戦争中の被害の補償を求めて裁判提訴中である。日本軍政期におきたできごととして、この種の話は決して例外的とはいえない。日本軍の性的暴行が頻繁であったことはフィリピン民衆の間に語り継がれている。」

著者小林はp215で
 「虐殺、強姦、強制労働、これらはもはや戦争犯罪というべきことである。しかも、これらは戦場で戦闘行為に付随しておきたのではなく、占領地で女性や子どもをふくむ一般市民に対してなされたのであった。数多くの証言がそれをうらづける。いまこそ、徹底した被害調査と誠意ある補償がなされるべきであると、わたしはつよくおもう」
 と言っている。日本政府はどのような調査を行ったか?

 日本敗戦前後、満州に侵攻したソ連兵士により、日本軍に見捨てられた多数の子女が陵辱されたという。また、1945年以後、日本に駐留した米国進駐軍による数多の強姦事件が発生している(規制が敷かれ報道されることがなかった)。政府は調査をロシア、米国に要求し、謝罪を要求したらどうか? 被害者に証言をもとめたらどうか? 何も知らぬ夫や家族に囲まれて過去を消して、安定した生活をしているかもしれぬ被害者がどのような心理状態で証人として名を挙げたか、理解できぬのだろうか?

「拉致の証拠がない」と、現地の国々を訪れ証人の前で言ったらどうか?それとも証人がすべて死に絶えるのをひたすら待つか?

リンク:
季刊『東ティモール』3号からの連載記事: 
東ティモールにおける日本軍性奴隷制 by 古沢希代子
http://www.asahi-net.or.jp/~ak4a-mtn/info.html

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