★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK36 > 821.html ★阿修羅♪ |
Tweet |
(回答先: 慰安婦問題の意見広告 [池田信夫 blog] 投稿者 white 日時 2007 年 6 月 18 日 12:45:19)
2007-04-03
■[慰安婦問題]軍による強制連行はあった 公文書編(1)
慰安婦問題は性暴力の問題です。なぜなら被害者の訴えの主体が、性行為を強要されたことにあるからです。にもかかわらず被害者の証言を否定する人たちは、軍慰安所で性暴力があったことから目を逸らさせる目的で、強制連行の有無だけを争点として掲げ、論点をすり替えようとします。
それでも強制連行が争点と言い張るなら、なぜ韓国や台湾の元慰安婦の大部分が、騙し連れによって慰安婦にされ性暴力を受けたと訴えているのでしょうか。なぜ被害者が訴えてもないことを争点にする必要があるのでしょうか。私には理解できません。
とは言うものの「本当に慰安婦の強制連行はなかったのか」と疑問に思う人のために、今回は反論しておきます。まずはよくある「慰安婦の強制連行はなかった」論者の言い分から紹介します。次の下村官房副長官の発言はその一つです。
従軍慰安婦問題:「軍の関与はなかった」下村官房副長官(毎日新聞2007年3月26日)
下村博文官房副長官は26日の記者会見で、いわゆる従軍慰安婦問題について「(強制連行をめぐり)軍の関与はなかった、直接的な関与はなかったと私自身は認識している」と語った。
下村氏は97年に内閣外政審議室長が参院予算委で「政府が発見した資料には強制連行を直接示す記述は見当たらなかった」と答弁したことを紹介。「この答弁に沿った個人的な発言だ」と述べ、内閣として旧日本軍の関与を認めて謝罪した河野洋平官房長官談話(93年)を見直す意思はないことも強調した。
1948年に開かれたバタビア裁判で、オランダ人女性をで強制的に慰安婦にした日本軍将校の裁判が行われています。(スマラン慰安所事件または白馬事件)したがってオランダ人女性の「強制連行」を直接示す公式文書は実在します。
なぜ下村官房副長官は、ちょっと調べればすぐわかってしまうようなことを隠すのでしょうか。不思議でなりません。この発言は安倍首相のこれまでの発言とほとんど同じ(毎日新聞:従軍慰安婦問題:「強制性」の定義、首相使い分け)なので、下村官房副長官は安倍首相の本音を代弁しているようにも見えます。
1992年8月30日、裁判資料を入手した「朝日新聞」が詳しく報道しています。またオランダ政府は94年1月24日、資料調査に基いて「日本占領下蘭領東インドにおけるオランダ人女性に対する強制売春に関するオランダ政府所蔵文書調査報告書」と題する報告書を発表しました。
それによれば事件は1944年2月、オランダ領東インド(インドネシア)で起りました。民間人抑留所のオランダ人女性が、南方軍幹部候補生隊によって、スマランの慰安所に強制連行され性暴力を受けたのです。
44年4月、自分の娘を連行されたオランダ人抑留所リーダーが、陸軍省から捕虜調査に来た小田島董大佐に直訴しました。この事件はすでにオランダ本国にも伝わっており、国際世論の反発を恐れた陸軍省や軍司令部は、やむなく2ヶ月でこの慰安所を閉鎖しました。
しかし強制連行の事実が陸軍省まで伝わったのにもかかわらず、事件関係者は誰一人として処罰されませんでした。それどころか能崎清次少将は、事件が発覚し慰安所が閉鎖された後、1945年3月に陸軍中将に昇格し、第152師団長になっています。
(ここの「独立混成第56旅団」を見れば1945年3月に第152師団長(=中将)に就任したこと、ここの「1944(昭和19)年9月10日」を見れば前階級は少将だったことがわかります)
日本の敗戦後、この事件は、バタビアで開かれたオランダ軍事法廷(BC級戦犯裁判)で裁かれました。その判決は次のとおりです。
スマラン慰安所事件の被告と判決
氏名 階級・身分 求刑 判決 罪名 職名
能崎清次 陸軍中将*1 死刑 懲役12年 ABC 幹部候補生隊長
池田省三 陸軍大佐 死刑 懲役15年 @AB 幹部候補生隊付
岡田慶冶 陸軍少佐 死刑 死刑 @AB 主な担当者
河村千代松 陸軍少佐 懲役10年 懲役10年 @A 副官
村上類蔵 軍医少佐 懲役10年 懲役7年 C 幹部候補生隊付
中島四郎 軍医大尉 懲役20年 懲役16年 BC 幹部候補生隊付
石田英一 陸軍大尉 懲役2年 懲役2年 C 幹部候補生隊付
三橋弘 陸軍司政官 懲役5年 無罪 スマラン州庁
古谷巌 軍属(業者) 死刑 懲役20年 A スマラン倶楽部
森本雪雄 軍属(業者) 懲役20年 懲役15年 A 日の丸倶楽部
下田真治 軍属(業者) 懲役5年 懲役10年 A 青雲壮
蔦木健次郎 軍属(業者) 懲役5年 懲役7年 A 将校倶楽部
(注1) 階級は敗戦時、職名は事件当時です。
(注2) 罪名は@婦女子を強制売春に連行した罪、A売春強制罪、B強姦罪、C抑留者を不当に扱った罪。
(注3) 計画の中心的役割を果たしたとみられた大久保朝雄大佐は、日本に帰国していたが、47年1月、オランダの追求を知って自殺している。
(参考)吉見義明『従軍慰安婦』1995、秦郁彦『慰安婦と戦場の性』
この裁判では、オランダ人女性を強制連行し慰安婦にした将校らが裁かれ、日本は51年サンフランシスコ平和条約によってこの判決を受諾しました。
裁判資料の罪名において強制連行の事実は明確に記されており、日本政府はその内容を認めているのです。下村官房副長官も安倍首相も、国民の前で公然とウソをついていることになります。
余談ですが、スマラン慰安所事件に関して産経新聞が「日本軍上層部の方針に逆らった末端の将兵が勝手に連行し」などという駄文を掲載しています。(産経新聞)
少将・大佐・少佐のどこが「末端の将兵」でしょうか。"自民党の機関紙"と揶揄される産経新聞ですが、こんな基本的事実を歪めてまで日本政府の責任を矮小化して何の意味があるのでしょう。何の反省もない証拠ですね。
また軍の方針に逆らったものというなら、事件関係者が誰一人として処罰されず、それどころか事件発覚後、命令違反の張本人である能崎清次少将を陸軍中将に昇格させたことはどう説明するつもりなのでしょう。
たとえ軍司令部が、自由意思の者だけ慰安婦にするという条件で慰安所開設を許可したとしても、命令違反を犯した者を処罰しなかったら、軍は慰安婦の強制連行を黙認していたとしか説明がつきません。
【参考記事】
クッキーと紅茶と『まず「軍慰安所」自体を問題とすべきです』
http://d.hatena.ne.jp/bluefox014/20070304/p1
美しい壺日記『続 従軍慰安婦は強制です』
http://dj19.blog86.fc2.com/blog-entry-33.html
Permalink | トラックバック(11)
*1:事件当時は陸軍少将
http://d.hatena.ne.jp/yamaki622/20070403/p1
▲このページのTOPへ HOME > 政治・選挙・NHK36掲示板
フォローアップ: