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(回答先: シリーズ 平和と自衛:憲法施行60年 投稿者 天木ファン 日時 2007 年 6 月 17 日 19:59:59)
http://www.mainichi-msn.co.jp/seiji/gyousei/archive/news/2007/06/16/20070616ddm010010173000c.html
論客放談、首相は聞き役
◆安倍人脈、勉強会に集結
◇「靖国には明日行け」
「イラク戦争はまずいとか、なんで日米同盟が壊れるようなことを言うんだ。久間(章生)防衛相なんてやめさせたらどうですか」
酒の勢いも手伝って無遠慮な発言が飛び出しても、安倍晋三首相はただ苦笑いしていたという。
安倍首相は今年1月22日と初訪米前日の4月24日、首相公邸にジャーナリストの桜井よしこ氏、評論家の金美齢氏、渡部昇一上智大名誉教授、政治評論家の屋山太郎氏、田久保忠衛杏林大客員教授らを招いて食事をした。この保守論客の会も、安倍首相が官房副長官だったころから続いている。気の置けない仲間うちの談論風発が、首相のお気に入りだ。
会の世話役は岡崎久彦元駐タイ大使。東京大学の北岡伸一、田中明彦両教授も顔を出してきた。2人は首相の私的懇談会「安保法制懇」の委員に加わっている。かつては谷内正太郎外務次官も参加していた。中国情勢、歴史認識から閣僚人事まで遠慮のない意見が飛び交うが、安倍首相は、もっぱら聞き役。「靖国神社には断固行け、明日行け」という論客のツッコミで一座がドッと沸き、首相が笑いの渦に引き込まれる場面もあった。
安保法制懇の原形となった「安全保障勉強会」や、この「保守論客の会」のように、首相のために設けられた勉強会は、官房副長官として官邸入りしてから始まったものが多い。そのほとんどに岡崎氏が絡んでいる。首相候補と見込んで教育係を買って出て、保守系人脈を次々と紹介してきた。首相の外交・安保観を形作ってきた「プロデューサー」的存在と言える。
安倍首相の成蹊大入学時の面接官だったという佐瀬昌盛・拓殖大客員教授を講師に迎え、首相を交えて「集団的自衛権の勉強会」を開いたのも岡崎氏だった。
岡崎氏以外の人が主宰した会合としては、日米の安全保障関係の専門家が安倍首相を囲んだ通称「海軍勉強会」がある。米側から米海軍出身のジェームズ・アワー・バンダービルド大教授、トーケル・パターソン元NSC(米国家安全保障会議)アジア上級部長らが出席。日本側からは岡崎氏のほか、海軍に詳しい阿川尚之慶応大教授(前駐米公使)らが参加した。海上自衛隊の幹部が出席したこともあった。日米同盟がテーマの中心で、会を始めたのは故・斎藤美津子国際基督大名誉教授。斎藤氏が亡くなった04年に自然消滅した。
これらの勉強会は、報告書やリポートをまとめたわけではない。安倍首相の安全保障政策へのかかわりを具体的に論証することは難しいが、重要な影響を及ぼしたことは疑いない。集団的自衛権行使を含め、憲法9条解釈を検討する「安保法制懇」の委員13人のうち、少なくとも7人はこうした会のメンバーだった。
◇「仲良し」賛成派一色−−安保法制懇
「私は安倍首相のブレーンではない」
安全保障勉強会や保守論客の会の関係者は一様に、首相のブレーンと呼ばれることに対する違和感を訴える。
70年代以降では、大平正芳、中曽根康弘両首相が、有識者を活用して「ブレーン政治」を展開した。中曽根氏は、信頼する故・佐藤誠三郎東京大教授や瀬島龍三・伊藤忠商事相談役らを政府の諮問機関に送り込んだ。特定のブレーンが議論を誘導する「審議会政治」で、自らの政策を強力に推進した。
気心の知れた有識者を活用するという意味で、安倍首相の安保法制懇も手法が似ているように見える。しかし、首相が折に触れて助言を仰ぐ塩川正十郎元財務相は「安倍さんの場合、この人だと決めた人がいる感じじゃない」と見る。「分野ごとに人を使い分けている。審議会のようなものは、むしろ官僚OBを使うとうまくいくと思っているようだ」。これは首相周辺の解説。
昨年秋の自民党総裁選では、靖国神社参拝に関する対処方針をまとめたグループが注目を浴びた。中西輝政京都大教授▽伊藤哲夫日本政策研究センター所長▽島田洋一福井県立大教授▽西岡力東京基督教大教授▽八木秀次高崎経済大教授−−。そのまま首相のブレーンになるという見方があった。
しかし、北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会(救う会)の幹部である島田、西岡両氏を除き、他の3人との関係は、今は親密というほどでもない。
御厨貴東京大教授(日本政治史)の見方はこうだ。「大平さんの時は、必ず中立や反対の人もメンバーに入れた。違う意見を反映させて緊張感を持たせた。今回の安保法制懇は賛成意見の人ばかり。内閣法制局の解釈を変えようという、かつてない重要なプロセスなのに、賛成ばかりでは逆に意見が硬直化する。ブレーン政治というのは、特定の人からアドバイスを受ける手法。安倍さんの場合は、仲良しの人が並列的にたくさんいるだけで、ブレーン政治とは異なる」。はた目には首相ブレーンと見られがちな有識者が「ブレーンではない」と口をそろえる理由は、その辺にあるのかもしれない。
5月、首相と親しい古屋圭司衆院議員が会長、中川昭一政調会長が顧問となって、自民党に「価値観外交を推進する議員の会」(価値観外交議連)が発足、安倍首相の主張に賛同する議員43人が集まった。外交理念の形成にとどまらず、安倍政治を後押しする中核勢力になるのでは、と注目を集めている。
経済人の集まりである「四季の会」も見逃せない。メンバーには安全保障に対する関心が深く、日米同盟を重視する経営者が多い。首相の外交・安保政策に一定の影響力を持つと見られている。
◇「解釈変更」優先論も 集団的自衛権、方向性一致せず
安倍首相の外交・安全保障人脈は、日米同盟・国土防衛を重視する点は共通だが、憲法改正に関して一致しているとは言えない。
「教育係」の岡崎氏は言う。「憲法改正っていうのは数の問題。やるつもりでも数が足りないとできない。どっか(の政党)と妥協しなくちゃいけない。そうすると水増しになって薄くなっちゃうからね」
改憲よりも、集団的自衛権行使のための憲法解釈変更を優先するという意味。改憲に固執する自民党内の主張の背景には「集団的自衛権の話を遅らせようという意図がある」と言い切る。
安保法制懇の他の委員たちも、改憲には賛成だが、がむしゃらに改憲を目指すより、現実的な外交・安保政策が妨げられなければそれでよい、という考えの持ち主が少なくない。
安倍首相自身は、集団的自衛権の解釈変更と憲法改正の関係について、どう考えているのか明らかにしていない。憲法改正を最大の課題と位置づけながら、集団的自衛権行使「解禁」の検討を始めた。自民党内の見方とは異なり、憲法解釈を変えたら憲法改正が遠のくとは必ずしも思っていないようだ。
安保法制懇委員の坂元一哉大阪大教授は典型的な解釈変更優先論。「自衛隊にできることはここまでですよ、ということが決まれば、後は憲法典の文章の改定になる。いきなり憲法の条文を削って大論争になるよりも、憲法改正がやりやすい」と語る。集団的自衛権をどこまで認めるか、海外での武器使用はどういう場合かを決めて、国民の支持が得られれば、後はその範囲内で憲法の条文を直すだけであり、憲法改正のハードルはかえって低くなるという判断だ。
安倍首相は、勉強会を通じて坂元氏の考えを熟知しており、それを意識して坂元氏を安保法制懇の委員に選んだと見るのが自然だろう。
◇政策・路線、祖父に共鳴 社会保障分野は手薄
「これは岸信介元首相の書です」。3月18日、神奈川県横須賀市の防衛大学校を訪れ、応接室に案内された安倍晋三首相は、五百旗頭真(いおきべまこと)学校長の説明を聞くと身を乗り出し、しばし壁の掛け軸に見入った。
岸氏が首相を退いて8年を経た1968年の揮毫(きごう)で、ふだんは図書館にある。
「士不可以不弘毅」
(士は以て弘毅(もっこうき)ならざるべからず)
リーダーのあるべき姿を説いた論語の一節だ。「弘とは考えが遠大なこと、毅とは意志が強固なこと」という解説が補ってある。首相は背広のポケットから手帳を取り出して熱心に書き取り、間もなく防大卒業式会場へ向かった。
昨年10月29日、海上自衛隊の観艦式。ヘリコプターで護衛艦「くらま」に降り立った首相が応接室で長いテーブルの一番奥の席に腰掛けると、吉川栄治海上幕僚長は「初めての観艦式には岸首相に来ていただきました」と説明した。
首相の左後方の壁には57年10月、初の観艦式に臨んだ岸元首相のスナップ写真が数枚。すべてモノクロームだが、首相は感慨深げに眺めていた。
祖父・岸氏に対する安倍首相の思い入れは強い。主な政策や路線は、ほとんどが模倣とすら見える。「自主憲法」「日米の双務性」「日中は政経分離」など岸政権の重要なキーワードは、そのまま安倍政権でも登場している。「戦後レジームからの脱却」も、岸氏の「独立の完成」と響き合う。
源流は、戦犯容疑者だった岸氏が巣鴨プリズンで想を練った戦後の復興策にある。岸氏は公職追放を解かれた52年、「日本再建連盟」を結成し、「憲法改正と独立国家体制の整備」「共産主義排除と自主外交堅持」を掲げた。これが54年に鳩山一郎氏らと結成した日本民主党の政策大綱、55年に結党した自民党の政策綱領に受け継がれ、安倍政権につながる。
安倍首相は自民党幹事長だった04年1月、岡崎久彦氏との対談でこう語っていた。「祖父が断固改定をやり抜いた日米安保条約の双務性を高めるのが我々の世代の責任」−−。「安保法制懇」の設置は、実現への第一歩だ。
◇
「安全保障と社会保障−−これこそが政治家としての私のテーマだ」。著書「美しい国へ」の中で、首相はそう断言している。日米安保条約改定や国民皆年金制度導入など、どちらも岸政権が実績を上げた分野だ。ただ、憲法・安保政策での勢いと対照的に、社会保障分野はおぼつかない。年金記録漏れ問題で揺れる今月13日、自民党全国政務調査会長会議に出席した安倍首相は「戦後レジームからの脱却という使命を帯びた私の内閣でこそ解決できる」と高い調子で訴えたが、その声は逆風にかき消されがちだ。
祖父と孫。政策とキャッチフレーズは似ているが、人柄はだいぶ違う。「昭和の妖怪」と言われた祖父は、そのスケールの大きさと複雑な性格という点で、安倍首相とは比較にならない。
若いころの岸氏は、思想家・北一輝の国家社会主義革命に心酔。戦前の革新官僚の代表格で、戦後は一時、社会党右派への入党すら考えた。
戦後政治史上、吉田茂元首相に始まる経済成長重視の保守本流に対抗したイメージを強調されることが多いが、自営業者や零細企業労働者も加入できる国民皆年金制度や最低賃金制度は、岸政権が導入した。これが池田政権以降の高度経済成長の基盤となったというのが定説だ。
安全保障をめぐる岸元首相の発言をたどると、現実課題への対応というより将来への問題提起に比重がある印象を受ける。「経済援助などの集団的自衛権は行使できる」「自衛のための小型核兵器保有は可能」「敵基地攻撃は自衛の範囲に含まれ可能」……。そのつど物議を醸したが、岸氏は後に「誰かが一遍は神髄に触れた問題を国民にぶつけ、真剣に考えさせなければいかんとの考えだった」と回想している。
◆安倍政権と保守
◇理想押し付ける矛盾−−中島岳志氏・北海道大准教授(アジア研究)
保守主義者は、自分たちの理性的判断で理想の社会をつくるなどという夢は見ない。現実の条件を前提に、いかにしてよりましな社会をつくるかが彼らの課題である。
近代保守主義はフランス革命への批判から生まれた。フランス革命の指導者たちは、自分たちの理性によって理想的な社会を構築できると考えた。しかし、革命は民衆の熱狂を呼び起こし、結局、恐怖政治に陥った。だから保守主義で重要なのは、理性を疑い、熱狂を嫌うということだ。
それを前提に考えると、日本の戦後保守政治の源流が、鳩山一郎ら大政翼賛会に抗した政治家や吉田茂という現実主義的な外交官だったというのは興味深い。つまり、軍国主義の理想や熱狂に対して冷めていた人々こそが、戦後の保守政治をつくったと言える。
その後も保守主義的発想は、たとえば対アジア外交で生きていた。1970年代の福田赳夫首相による「福田ドクトリン」や、大平正芳首相の「環太平洋連帯構想」が好例だ。彼らは対米協調も重視しながら、現状を急変させずに地域の繁栄と安定を図ろうとした。
ところが、安倍政権の唱える「自由と繁栄の弧」や「価値の外交」は、自ら信奉する理想を現実に対して押しつけようとする。この点だけを見ても、安倍政権は保守主義の文脈に位置づけられないと言えるだろう。(談)
毎日新聞 2007年6月16日 東京朝刊
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