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西日本は、すでに梅雨に入ったらしい。関東地方も今日あたりから梅雨に入るという。どうも入梅は、そんなに歓迎されないようである。私も梅雨はそんなに好きではない。だが現在の首都圏の水がめは、必ずしも十分でないという。暖冬で雪が少なかったこともその一因であろう。しかし、雪解け水というのは、そもそも真夏を乗り切る水源とはならないようである。やはり梅雨にしっかりと雨が降らないと、夏の水が心配になるのである。
梅雨は、農業者にとっては待ち遠しいのであろう。私たちが子供のころは、確かに田植えは梅雨の頃だった。田植えをするには、たいへんな農業用水が必要である。いわゆる田作りというやつだ。田圃をまず三本鍬と呼ばれるもので丹念におこすのである。それが済むと田圃に水を張り土を柔らかくする。そしてなんと呼ぶのかちょっと思い出せないが、鉄の歯の付いた物が回る農具で土を泥状にする。その次に、大きな板に取っ手を付けた農具で泥状の土を平らにする。それが落ち着いたころ、最後に8角だったか10角だったか思い出せないが、多角の木枠の農具で鏡のようになった田圃に枡目を入れる。その+のところに苗を植えるのである。升目の真ん中に植えるのではない。子供のころ、なぜ折角つけた升目の真ん中に植えないのか分からなかった。
耕地面積の多い、ということはだいたい裕福な農家では、これらの作業を馬を使ってやっていた。牛を使ってやる農家は、これよりちょっと規模が落ちる農家だ。水飲み百姓と呼ばれていた貧しい農家では、これらの作業を全部人力で行わなければならなかった。それは本当につらい作業だった。私の家は農家ではなかったので、3反5畝(35アール)の田しかなかった。商売(絹織物製造業)をやっていたころは、家中の者がおおぜいで田植えの行ったのであっという間にできた。私の家に働きにきていた人たちは、みな農家の子女であった。農作業は手馴れたものだった。田植えは、一家総出のお祭りのようなものだった。
ところが稼業が倒産した後は、これらの仕事を数人の家族でやらなければならなくなった。私も中学生だったので手伝わせられた。辛いつらい作業であった。しかし、このような作業を一緒にやった父や母や姉たちとの思い出は、いまでも強い絆として残っている。私には7人の姉がいるが、主に一緒に農作業をしたのは私のひとつ上の姉である。この姉とときどき会う。別に農作業の話をする訳ではないが、なぜか特別な感情が湧くのである。一緒に暮らしたということと、仕事を一緒にやったということはちょっと違うようである。
いま家族で一緒に仕事をするという機会は、非常に少なくなっている。家族の絆が弱くなっている一因は、こんなところにもあるのだろうか。草木にも梅雨は必要なであろう。庭木や街路樹や公園の草木も、夏の猛暑に堪えなければならない。というより、夏の猛暑の中で生長する。昨年の夏、加藤紘一氏の実家が放火されたとき、私は翌日見舞いに山形県鶴岡市に行った。列車の中でいろいろなことを考えながら鶴岡市に向かった。連日猛暑が続いていた。人間も動物も猛暑でヘタリ切っていたが、田畑の作物や野山の樹木はその中で気を吐いていた。私は鮮烈な印象を憶えた。
このような強い植物があればこそ、動物は生きられるのである。近ごろ毎日のように話題となっている二酸化炭素ガスを吸収してくれるのも植物である。もっとも、それがどのくらいの削減効果があるのか、私は知らない。これは一度キチンと調べなくてはならない。紫陽花(あじさい)は、梅雨どきに咲く花である。乾いたときの紫陽花は、大輪だがそれほど見事というものではない。ひとたび雨が降ると、紫陽花は絢爛豪華となる。燦然とその存在を現す。それまでちょっとくたびれていた花まで蘇生するのである。即写寸言に柄にもなく紫陽花のことを掲載しているので、ご笑覧いただければ幸いである。
一度ちょうど田植えのころ、成田空港から外国に向かった。空から見た関東平野はまるで湖のようであった。先祖がわが国を「みずほの国」と名付けたことを、初めて理解できた瞬間だった。わが国は、水には非常に恵まれている。農業用水にしろ生活用水にしろ、私たちの水にもつ感覚と外国の人々のそれは非常な差違があるのであろう。しかし、これは天の恵みである。感謝しつつも、この恵みを受けることに遠慮は要らないであろう。
わが国の右翼反動は、みずほの国という言葉が好きだ。革新陣営(最近ではこのようないい方もあまりしなくなった。だからといって左翼という言葉もあまり使われない。要するに存在感をあまり示せないということか……)の人々は、みずほの国という言葉をあまり使わない。しかし、至るところで殺伐としてきたわが国を本当に「みずほの国」と呼べるのだろうか。わが国を殺伐とした国にした責任は、右翼反動にある。こんどの参議院選挙は、「みずほの国」を取り戻す戦いでもある。
それでは、また明日。
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