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報道番組をみているとニュースキャスターまで、枕言葉のように“連日報道している宙に浮いた年金(もしくは消えた年金)ですが…”と切り出す。年金に関する不祥事が、次から次へと発覚する。いま問題になっている5000万件とは別に、1430万件もの年金記録がマイクロフィルムなどで社会保険庁の倉庫に眠っていると柳沢厚生労働大臣が答弁せざるを得なかった。年金記録をコンピュータ化する以前のものだというが、これはやはり宙に浮かせてはならない記録であることは間違いない。そして今度は、「コムスン」問題である。こういうのを泣きっ面に蜂というのだろう。
永田町徒然草No.449で書いたが、こうした“宙に浮いた年金記録”のために本来ならば受給できた年金を、どのくらいの人がいくらくらいの金額を受け取れなくなってしまったかということであろう。またこれをキチンと解決しておかないと、将来どのくらいの人がいくらくらい受け取れなくなるのかということである。その金額を柳沢厚生労働大臣は答弁できなかった。本来ならば昨日答弁する筈であったのだが、報道をみている限りでは明らかにしなかったようである。もしこのことをキチンと答弁していれば、大々的に報道されていた筈だからである。まずこの点を明らかにすることがいちばん重要ではないのだろうか。犯罪に例えるならば、被害金額である。手口はそんなにあくどくなくても、被害金額が大きければそれだけ社会的非難は強くなるからである。
昨日、『週刊文春』『週刊新潮』『週刊現代』『週刊朝日』の4誌を買ってきた。そしてそれらの年金に関する記事を全部読んでみた。週刊誌の発行部数というのはいまや数十万部で新聞に比べればそんなに多くないが、政治をみる上でやはり重要な資料なのである。特に「見出し」が大事なのである。週刊誌の発行部数は少なくても、新聞に大きな広告を出す。これを多くの人がみるのである。また電車などのいわゆる“中吊り広告”が多く読まれるのである。以下の各パラグラフ毎に今日買ってきた『週刊文春』『週刊新潮』『週刊現代』『週刊朝日』の問題の記事の第1ページをこの順序で掲載する。まだ写真の下にキャプションを付けることは私の腕ではできないからである(笑)。
見出しだけではなく、それなりに参考になることも各誌に書いてあった。『週刊新潮』で政治評論家の小林吉弥氏は次のように述べている。『政治の責任を問うなら、やはり平成8年以降を考えるべき。つまり、名寄せ作業をしてきたこの10年、とりわけその後半に、厚生委員会や自民党の社会部会に所属していた議員が、作業状況のチェックを怠っていたことの責任を問うべきなのです。その意味で真っ先に思い浮かぶのは、この10年に厚生委員会理事や社会部会長を務めてきた安倍首相その人です。しかも安倍首相は、この10年間の7割を占める期間、森、小泉という総裁が輩出し、政権を担ってきた派閥である清話会における社労族の代表的存在なわけです。しかも、3年前の年金未納問題で年金制度改革が焦点になった時には、自民党の幹事長でもあった。そう考えると、今回の問題における安倍首相の責任は、決して軽くはないと思います。』
『週刊現代』のメイン記事は、例の「大相撲八百長」で記事あったので、年金問題の扱いはちょっと小さいような気がした。1982年以降の社会保険庁長官17名の氏名と天下り先が書いてある。その中で私が知っているのは、持永和見氏だけだった。宮崎県選出の宏池会の後輩議員であった。彼は退職後、直ぐに衆議院議員になっている。私が1979年(昭和54年)に衆議院議員になった時に、すでに厚生省は省庁の中で最大の予算をもっている官庁であった。しかも福祉は選挙にも有利である。そういうところに利権がない筈がない。安倍議員が社労族になろうとしたのも、そういう理由があったのかも知れない。「コムスン」はテレビCMなどで名前だけは知っていたが、この業界の最大手とは知らなかった。意外に安倍首相と親密だったのかもしれない……。
『宙に浮いた約5000万件の年金記録問題、安倍首相はその解決策として、衆議院・厚生労働委員会での審議はわずか4時間という前代未聞のスピードで「救済法案」(年金時効特例法案)を通過させた。
民主主義国家といえども、政治はしょせん権力闘争である。そのために最終的に「数の力」で決着するのは仕方のないところであろう。だが、最初に「強行採決ありき」で、しかも、国民にとってこんなにも重要なアジェンダ(検討課題)にもかかわらず、審議を軽視したとしたら、かなり問題だ。
立法は議会制民主主義の根幹である。それを否定、もしくは軽視するとなれば、独裁政権と一体、なにが違うのだろうか。
安倍首相は、年金特例法の成果を「救済」と声高に叫ぶ。確かに、生活費を切り詰めながら掛け金をおさめてきた、多くの年金受給者を救うのは急務だ。
だが、、原因を作ったのはいったい誰であろうか。政府自ら「振り込め詐欺」のようなことをしておいて、何が「救済」なのか。それを言うならば「弁済」ではないか。
言葉には魂が宿っている。「救済」という高みに立った物言いに、自分の年金が不安で仕方がない国民と同じ目線、当事者のひとりという意識はあるのだろうか。』
これは、『週刊朝日』に掲載されたジャーナリスト上杉隆氏の小論文からの引用である。『「連日の強行採決は、国民の目から見ていかがなものかな」6月1日未明、終盤国会での「強行採決」を連発している安倍政権に対して、本来身内であるはずの河野洋平衆院議長からですら不快感が示された。安倍首相は、突然の逆風の中、夏の参院選に向かって明らかに冷静さを欠いているようだ。困難な政治課題に対して速やかに解決する魔球などない。また、いかに速い球を投げ込もうと、ストライクでなければ、球数が多くても意味はない。政治の球審は国会で、観客は国民だ。その選球眼が鋭いことを安倍首相は知っているのだろうか』と上杉氏はその論文を結んでいる。ドイツのハイリゲンダムで行われたサミットから帰ってくる安倍首相は、これから何をしようとするのだろうか。騙されないようにしなければならない。
それでは、また明日
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