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2007年06月08日
「平和に生きたい」と願っていた老婆を自爆テロに走らせたもの
今回の選挙で国民が関心を持つのが年金であり格差や教育、景気であるという。それは当然だ。それらは人々の暮らしに直結する目の前の問題である。しかしそういう問題に関心が行くのも平和であるからこそである。戦争はすべてを奪う。平和はすべてに優先する。
昨年11月パレスチナで老婆が自爆テロに走ったというニュースを読者は覚えているだろうか。その詳細を私は6月5日の東京新聞であらためて知った。「パレスチナ占領40年、失われた故郷」という連載記事の第一回の記事だ。萩文明記者の渾身のレポートの要旨を以下に紹介する。この記事を読んで平和の大切さをかみしめたい。戦争や軍事を安易に口にする事を慎みたい。何よりも、戦争を行なう権力者たちを拒否、排除しなければならない。
・・・子供9人、孫とひ孫は約70人。パレスチナ自治区ガザで、身体に爆弾を巻きつけた70歳の女性ファティマ・ナジャルが、軍事攻撃を続けるイスラエル軍の兵士らに近づいて自爆した。パレスチナで最高齢の自爆攻撃である。
「もし知っていれば、必ず止めた。テロリストでも戦闘員でもない。私たちの、かけがいのない母だから」と三男のサメイル(37)が悔やむ。
ナジャルが子供のころには存在しなかったイスラエルは、第三次中東戦争(67年)でエジプト領ガザを占領したままだ。「平和に生きたい」。それがナジャルの口癖だった。だが、「イスラエルの戦車」対「パレスチナの投石」という構図の民衆蜂起がナジャルの生活を一変させた。石を投げた息子は逮捕され、自宅は破壊され、サメイルはナジャルの面前で何度も殴られた。別の息子たちも逮捕され、ナジャルは面会のため足しげく刑務所へ通った・・・
「オスロ合意」で今度こそ平和に暮らせると思ったが平和は続かなかった。民衆蜂起が再開されるとイスラエルは徹底破壊に乗り出した。ナジャルの孫(18)がイスラエル兵に射殺された。泣き叫ぶナジャル。「なぜ、何の罪もない孫を殺したのか」。別の孫も重傷を負い、親しい友人の一家は女児一人を残して殺害された・・・
積年の憎悪と屈辱。ナジャルは急速にハマスに傾斜していく。家族が一緒に、平和に暮らす。その小さな願いさえ、ガザではかなわない。絶望のガザで、イスラエル国家より長く生き、耐えてきたナジャル。その人生の結末は、サメイルの目には「占領が、温厚な母を自爆に駆り立てた」と映る。
「テロは支持しない。だが、目の前でパレスチナ人を殺害するイスラエル軍に挑んだ母が、間違っていたとも思わない」とサメイル。その行為が、暴力の連鎖を拡大させるだけだと分かっていても・・・
我々は、どんなにつらくても、どんなに苦しくても、この記事から目をそらせてはいけない。このような犠牲者はナジャル一人ではない。不条理な軍事力の犠牲になって人生のすべてを奪われているのはパレスチナ人だけではない。人間をここまで追い詰める米国の軍事優先政策は決して許されるものではないのだ。
米国の軍事政策に協力する事は、誰がどう弁護してみても間違いである。なぜ今、憲法9条を変えなければいけないのか。それは「テロと戦う」米国から更なる軍事協力を求められているからだ。戦争を禁じている憲法9条が邪魔だからである。憲法9条を捨ててはいけない。憲法9条を守ろうと訴えることは正しいことなのである。「仕方がない」とあきらめることは怠慢に過ぎない。正義を求めるもう一人の自分から逃げていることだ。
http://www.amakiblog.com/archives/2007/06/08/#000417
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