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□松岡氏の自殺と年金問題を巡る素朴な疑問 [国会TV]
http://seiji.yahoo.co.jp/column/article/detail/20070605-00-0601.html
2007年6月5日
松岡氏の自殺と年金問題を巡る素朴な疑問
この一週間ばかり素朴な疑問が頭から離れない。一つは松岡前農水大臣の自殺の理由であり、もう一つは年金問題を巡る政府与党の対応である。
故松岡前農水大臣は、緑資源機構の官製談合事件で検察の捜査が自分に向かっていることを知って自殺したというのが大方の見方である。逮捕されることを恐れて死を選んだ事になる。5月18日に談合の件で事情聴取を受けていた地元の秘書が自殺をしており、捜査が自分に向かっていることを感じていたのはその通りだと思う。しかしそれだけの理由で政治家が死を決意するであろうか。仮にそうだとすれば、松岡氏は政治家になるべきでなかった善人で小心な人物だったということになる。
1998年2月に自殺した故新井将敬衆議院議員は、衆議院本会議で逮捕の許諾請求がなされる直前に首を吊った。抗議の自殺とみられる。在日韓国人である新井氏は東大経済学部を卒業し、大蔵省の役人から衆議院議員と日本社会で最高のエリートコースを歩み、若手の論客としてテレビにもしばしば登場していた。新井氏にとって株取引を巡る容疑での逮捕は自らのプライドが許さなかったのだろう。
しかし松岡氏の場合は、これまでも食肉偽装事件や鈴木宗男衆議院議員が逮捕された「やまりん事件」などで疑惑が指摘されていた。いわばエリートコースとは逆に政界の汚れ役を引き受けてきた政治家である。いつか検察の捜査が向かってくることは覚悟していたはずだ。しかも松岡氏は現職の大臣だったから、検察といえども簡単に逮捕出来るはずはない。それが取り調べもないうちから自殺してしまうのは、何か他に理由がなければ納得できない。
最も考えられるのは、松岡氏の受け取った金が、松岡氏から何処へ流れたか、その「出」の部分に知られては困る事情があり、そこに捜査の手が及ぶことを恐れて自らを犠牲にした可能性である。汚職事件でよくあるケースだが、組織とそのトップを守るために内実を知る部下が自殺するパターンで、それに松岡氏を当てはめれば死を選んだ理由も分かる気がする。
何のためにどこに金が流れたか。様々なケースが考えられるので断言は出来ないが、政治の世界で最もありうる裏金の使われ方は、政界の実力者に金を渡してポストを得る猟官運動である。
かつて竹下登氏が田中角栄氏に対抗して「創政会」を立ち上げたとき、橋本龍太郎氏は自らのパーテイで集めた金を全額竹下氏に献上して、竹下登氏に次ぐ副会長に就任した。
農水省出身の松岡氏にとって農水大臣は究極の目標だったはずである。そのために自分が集めた金を全て献上したとしても不思議ではない。
松岡氏を農水大臣に任命したのは安倍総理だが、押し込んだのは小泉サイドだと言われている。小泉政権時代に実現出来なかった農水大臣就任を安倍政権で実現させたのだと言う。それが事実なら、安倍政権は「タウンミーティングのやらせ問題」と同様に小泉政治の「負の遺産」を引き継いだことになる。
しかしいずれにしても松岡氏の死によって金の「出」の部分は解明が難しくなった。疑問は解明されないまま終わることになるのかもしれない。
年金の基礎番号を統合する作業が、社会保険庁のミスにより5000万件も宙に浮いてしまっている問題で、政府与党は過去の責任を追及する姿勢を示した。自民党は統合の仕組みを作ったのは菅直人厚生大臣だったというビラを大量に作って、菅民主党代表代行の責任を追及している。また安倍総理は歴代社会保険庁長官の責任を明確にするよう渡辺行革担当大臣に指示した。
しかし過去の責任を追及することにどれほどの意味があるのだろうか。政治の責任はまずは国民を救うことにある。やるべきことは社会保険庁のミスによって不利益を被る国民をどのようにして救うか、その事に全力で取り組む姿勢を示すことだ。誰が過ちを犯したかを追及するのは二の次で良い。5000万件の年金記録をチェックし、支払うべき年金の支払いを実現させるのは容易なことではない。しかし政治が全力を挙げて取り組まなければ国民は到底年金制度を信用する気にはなれない。政治家であるならばそちらを最優先にすべきなのに過去の責任をあげつらう姿勢には疑問を感じる。
責任を追及された菅直人氏は、統合作業が始まったときの厚生大臣は小泉純一郎氏だと反論して責任論は泥仕合の様相だが、国民にとっては見たくもない応酬である。
年金記録の照合作業を全て行うことはほとんど不可能と思われていたが、国民の反発が強いと見た安倍総理は、5月30日の党首討論で「1年で行うと約束する」と断言した。もちろん本当にやり切れれば1日も早くやるに越したことはないが、本当に大丈夫なのだろうか。過去の責任を追及する姿勢を見せていただけに、実現できなければ逆に総理を辞めなければならなくなるほどの追及が襲いかかってくることになる。
何も1年と期限を切らなくとも誠実にこの問題に取り組む姿勢を見せれば、国民は納得すると思うのだが、そのような考えにならないのはどうしたことだろう。素朴に疑問を感じてしまう。
ついでにもう一つだけ感じた事を言わせて貰えば、6月1日の衣替えに際して、安倍内閣の閣僚達は以前からの申し合わせ通り、かりゆしウェアで閣議に臨んだ。しかしその日は仲間であった松岡農水大臣が自殺してわずか4日後の事である。その週ぐらいは喪に服す姿を見せても良かったのではないか。しかも明け方まで社会保険庁改革法案の採決を巡る与野党攻防が続いた日でもある。若さをアピールしたかったのかもしれないが、かりゆしが似合うのは誰かなどの会話は緊張感を欠いたものと受け取られても仕方がない。しかも間が悪いことにその日の東京は肌寒く、とても夏姿が似合う日ではなかった。誰か「延期しよう」と言う人はいなかったのだろうか。こんな事にも素朴な疑問を感じてしまう。
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