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北海道>旧軍、手榴弾300万個発注/45年5月 米軍の北海道侵攻備え  沖縄タイムス
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投稿者 Kotetu 日時 2007 年 6 月 26 日 06:02:05: yWKbgBUfNLcrc
 

2007年6月23日(土) 朝刊 31面




旧軍、手榴弾300万個発注/45年5月 米軍の北海道侵攻備え
製造担当男性証言「最後は自決」直感
 太平洋戦争末期の一九四五年五月ごろ、札幌市厚別区にあった旧陸軍の厚別弾薬庫で働いていた男性が、軍司令部から三百万発の手榴弾を製造するよう命令されたと証言した。戦局の悪化で、北海道内では当時、米軍侵攻に備えた水際作戦が立てられていた。製造の準備中に終戦を迎え、計画は実現しなかったが、男性は「手榴弾は道民に配られ、最後まで敵に抵抗した上で、いざというときは沖縄と同じように自決のために使うのだと直感した」と話している。(上原綾子)
 男性は、札幌市に隣接する江別市西野幌在住の寺崎清治さん(88)。弾薬庫勤務時は曹長で、弾薬や兵器の製造、管理などの技術責任者だった。

 命令されたのは、苫小牧沖など太平洋側からの米軍上陸が想定されていた四五年の五月か六月。北海道と樺太・千島の部隊を指揮した第五方面司令部の参謀長から、手榴弾二百万発を造るよう直接口頭で命じられ、さらに数日後に正式に届いた発注書には百万発増えて「三百万発」と記されていたという。

 札幌市によると、北海道陸軍の兵器補給廠と厚別弾薬庫は、四三年に北海道の北東に位置する米領アッツ島で旧日本軍が米軍と激戦を繰り広げ、ほぼ壊滅したのを機に、北方の兵力を増強するため造られた。

 四五年三月の東京大空襲前後から、物資不足で本土からの兵器補給が厳しくなり、弾薬庫でも弾薬や兵器を自活で製造するようになったという。

 三百万発の手榴弾の製造には、三百トンの火薬のほか、管体や導火線など膨大な部品が必要だった。寺崎さんは人員や資材を調達するため、道内各地を駆け回ったが、組み立て作業に着手する直前、八月十五日の敗戦を迎えたという。

 道の資料によると、四五年当時の道人口は約三百五十一万人。寺崎さんは「当時の新聞報道で、既に米軍が上陸した沖縄では住民や兵士が自決したことを知っていた」と言う。「最後の一兵卒まで戦え、捕虜になるより自決の道を選べと教えられた時代。三百万発もの手榴弾は当然、女、子どもに至るまで敵に抵抗できるすべての道民に配られるものだと考えた」と振り返った。


軍・住民一体の「根こそぎ動員」


 沖縄国際大の安仁屋政昭名誉教授の話 命令があったというのは、本土決戦に備えて義勇兵役法が制定され、軍隊と住民の区別なく根こそぎ戦場に動員する『国民義勇戦闘隊』が編成されることになった時期。北海道の場合、米軍に加えソ連軍の侵攻に対する恐怖もあったはずだ。大量の手榴弾を造ろうとしたのは、十分にあり得る話で、いよいよ北海道も決戦場になるという危機意識の表れだろう。

沖縄タイムス
http://www.okinawatimes.co.jp/day/200706231300_03.html

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