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(回答先: 仲井真知事が緊急入院(沖縄タイムス) 投稿者 天木ファン 日時 2007 年 6 月 25 日 11:09:35)
http://www.okinawatimes.co.jp/day/200706251300_01.html
県・町の反対押し切る
【与那国】米海軍佐世保基地(長崎県)所属の掃海艦ガーディアン(排水量一、三六九トン)とパトリオット(同一、二五〇トン)が二十四日午後、県内の民間港湾としては初めて与那国町の祖納港に入港、約百二十人の水兵が下船した。外間守吉町長が「反対」を表明、県が使用自粛を日米に申し入れたが、米軍は日米地位協定を盾に入港を強行した。
艦内での会見で艦長らは、三日前から米海軍将兵二人が町内に入り、港の水深や水兵のための飲食、娯楽施設などを調査していたことを明らかにした。
仲井真弘多知事は同日、「県が民間港湾の使用自粛を要請する中、祖納港を使用したことは遺憾。今後、緊急時以外は民間港湾を使用しないよう自粛を強く求める」との談話を発表した。
祖納港には同日午後零時半にガーディアン、午後一時二十分にパトリオットがそれぞれ入港。埠頭の長さが足りないため並行して接岸した。
岸壁では町内外から約百二十人が「入港反対」のシュプレヒコールを繰り返し、一時、米水兵らの下船を阻止したため、タラップ設置は入港後、三時間以上が経過した午後四時すぎにずれ込んだ。午後四時半には負傷した乗組員一人を那覇市内へ搬送するため下船させた。
同日夕の艦内での記者会見でスティーブン・デモス艦長らは、今回の寄港について「数カ月前から予定されていた」と説明。両艦船の乗組員は九十人ずつで計百八十人。
◇ ◇ ◇
入港強行 島二分
【与那国】与那国町の祖納港に二十四日、県内の自治体で復帰後初めて米軍艦船が入港した。灰色の掃海艦が姿を見せると、シュプレヒコールを繰り返す労働組合や平和団体の中で、抗議行動に不慣れな島の高齢者らも拳を上げた。「地域振興のためならやむなし」と入港を静かに見守る町民も。外間守吉町長は反対を表明、一方で崎原孫吉町議会議長は艦内での夕食会で「懲りずに来てほしい」と歓迎の意を示すなど、人口千七百人の島の「指導者」の対応も真っ二つに分かれた。反対住民らの座り込みによって米軍のタラップの取り付けは二時間ほどずれ込んだ。
数隻の漁船が停泊していただけの港は、正午前から慌ただしさを増した。米海軍掃海艦寄港のために前日から停泊していたタグボートが出港。約十五分後に最初の掃海艦「ガーディアン」がゆっくりと船体を現した。「与那国から出て行け」―。住民らの抗議のボリュームが上がった。
戦時中を与那国島で過ごした牧野トヨ子さん(84)は「昔のようなことを繰り返してはいけないと思い、ここに来た」と語った。祝い用のかまぼこを頭に載せ、運んでいる途中、米軍の空爆を受けた経験があるという。「軍のやることを許せば、少しずつ慣らされてしまう」と力を込めた。
寄港に反対する住民の会の新崎長吉共同代表(65)は「住民を無視した友好親善はあり得ない」と強調。女性の会の請舛姫代さん(52)は「子どもに昼ご飯を炊けないが、あなたを戦争に行かさないために、お母さんは港に行くと言ってきた。入港を断じて許さない」と声をからした。
抗議集会を数メートル先で見ていた元町助役の崎原用能さん(60)は、那覇市から取り寄せた星条旗を三日前に港に設置した。「宮古や石垣の方が港の整備は進んでいるので、与那国が軍事拠点になることはない。使いたいときに大いに使ってもらって、いいのでは」
崎原議長が役員を務める海運会社は、タラップの設置など、入港の準備をする下請けに入った。「自分は商売人だから」と前置きした上で、「米軍が来ることで、島の民宿もレンタカーも予約がいっぱいになった。島が潤うから、私ははっきりと賛成する」と語った。
「米軍には一切協力しない」という外間町長の意向を受け、港に町職員の姿はなかった。
乗組員の上陸を阻止しようと、掃海艦の前で座り込みを続ける反対住民らを説得するよう、在沖米国総領事館や外務省が港湾管理者の県に要請。県が住民らと話し合ったが、タラップの取り付けは米軍の計画より二時間ほどずれ込んだ。
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