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http://www.mainichi-msn.co.jp/eye/shasetsu/news/20070623k0000m070160000c.html
沖縄は23日「慰霊の日」を迎える。1945年のこの日、沖縄は組織的戦闘が終結した。9万人とも10万人以上ともいわれる住民を犠牲にした戦いは、今なお癒やせぬ傷を残す。それを改めて示したのが教科書書き換え問題である。
沖縄県議会は22日、集団自決をめぐる高校日本史教科書の検定意見撤回と記述回復を求める意見書を全会一致で可決した。
文部科学省の検定意見は「軍の命令があったかどうか明らかでない」とし、教科書会社は「日本軍から集団自決を強制された人もある」などとしていた記述を削除・修正した。これに対し意見書は「軍の関与なしに起こり得ない」と反論し、「沖縄戦の実相を正しく」伝えることを求める。反対意見書は既に県内の大半の自治体議会でも可決し、署名運動も広がった。何が人々を動かしたのか。
公開中の映画「ひめゆり」を見た。13年をかけた長編ドキュメンタリーである。野戦病院に動員されたひめゆり学徒隊の数少ない生存者たちが戦跡に立ち、極限の体験や亡き友を語る。
当時10代の彼女たちは45年4月の米軍沖縄本島上陸前から軍に組み込まれ、南部への後退も軍と行動を共にした。そして6月18日、突然軍に「解散」を命じられる。
「この壕(ごう)を出て行け、と言われても全部アメリカ軍に包囲されている。どこに行けという指示もない。こんなことってあるか、と本当に悔しい思いがしました」「目の前が真っ暗になり、へなへなと座り込みました」「捕虜になることは国賊、非国民と呼ばれ、誰からも相手にされない恐ろしいことでした。兵隊たちが『米軍は男は虐殺し、女は辱めを受けた後、戦車でひき殺されるぞ』と言ったのを信じ込んでいました」……。
ひめゆりの犠牲者は解散命令後に急激に増えた。手投げ弾による集団自決も含まれている。投降はあり得ぬ選択だった。戦闘終了まで数日という時期に少女たちは死地に追いやられた。敗走兵らに壕を追われた一般住民も同様だ。
日本軍にとって沖縄は米軍を引きつけて消耗させ、本土決戦の準備時間を稼ぐ島だった。一方水面下では政府や重臣、宮中の中に「和平」を模索する動きがあった。だが中央の要人たちは互いに顔色をうかがい、特に軍部を恐れ、優柔不断のまま時を空費する。
国の中央がかじ取りを失ったような無責任の連鎖状態の中で、沖縄は文字通り「捨て石」として放棄された。現地でも軍には住民の保護、安全確保という発想や態勢が極めて乏しかった。
62年前に沖縄の人々が味わった絶望と孤立無援の恐怖、死地へ押し出される無念。それを想像、実感することはたやすくないが、今生きる私たちがそれに鈍感であってはならない。23日の式典に参列する安倍晋三首相はそのことを霊と県民に語りかけてほしい。
毎日新聞 2007年6月23日 0時03分
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