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□大仁田氏 参院選辞退…23日政界引退会見 [スポーツ報知]
http://news.livedoor.com/article/detail/3209022/
大仁田氏 参院選辞退…23日政界引退会見
2007年06月23日09時45分
自民党の大仁田厚参院議員(49)が、7月の参院選への立候補を辞退することが22日、分かった。昨年5月に自民党から第1次公認を得ていた大仁田氏だが、国会会期延長などに疑問を持ち、急きょ、出馬辞退を決めたという。スポーツ報知の取材に対し、大仁田氏は「なぜ今、会期延長なのか。こんなばかにされた選挙は出たくない。辞退する」と話した。自民党サイドに正式には伝えておらず、突然の不出馬に党内では波紋が広がりそうだ。大仁田氏は23日に“政界引退”会見を行う。
内閣に不満 大仁田氏が政界引退を意識し始めたのは、今月中旬。国会会期延長の話が現実味を帯びてきたころだった。大仁田氏は「なぜ今、会期を延長するのか。投票日をずらす必要があるのか。参議院は政権争いの道具じゃない」と怒りをあらわにした。
この日も国会会期の延長をめぐり、与野党が激突。与党内にも官邸主導による会期延長への不満がくすぶっており、大仁田氏は直前まで悩み抜いた末、「官邸のやり方に嫌気がさした。こんなばかにされた選挙は出たくない。辞退する」との結論に達したという。23日に会見を行い、経緯を説明する予定だ。
大仁田氏は「小泉旋風」が吹き荒れた2001年参院選で、約46万票を獲得し初当選。委員会で民主党の森ゆうこ参院議員と乱闘を繰り広げたり、自民党の杉村太蔵衆院議員の“教育係”に名乗りを上げるなどして、その存在感を示してきた。
功績残せず その一方で、05年の郵政法案採決では、涙ながらの不可解な棄権。その煮え切らない態度に、事務所や自身のブログには批判が殺到した。06年の長崎県知事選でも、出馬を検討するも直前でキャンセル。目立つためのパフォーマンスは記憶に残ったが、政治家としての“功績”はほとんど残らなかった。
それでも、自民党では浮動票を狙えるレスラー候補として、昨年5月という早い段階で大仁田氏を第1次公認候補として決定していた。いまだ、党側には出馬辞退の意向を正式には伝えておらず、党内の混乱は必至とみられる。
今後について、大仁田氏は「早稲田大や東大にチャレンジしたい」「メタボリックなどの現代病の研究をしたい」などとしている。これまで数々のパフォーマンスで周囲を混乱に陥れてきた邪道の“政界空騒ぎ”は、突然の出馬辞退という形で終幕を迎えた。
◆大仁田氏の政界邪道メモ
▼2001年7月 参院選で移動中、選挙カーが爆発。軽油とガソリンを間違えたことが原因。その後、ヒッチハイクで遊説をこなし初当選。
▼03・7 外交防衛委員会での採決をめぐり、森ゆうこ議員と大乱闘。「サスケと組んで、俺の挑戦を受けろ」と呼び掛ける。
▼05・8 郵政民営化法案の参院採決で「解散なら離党」とブチ上げるも不可解な棄権。テレビで浜田幸一氏に一喝され、しょんぼり。
▼05・10 杉村太蔵衆院議員の教育係に名乗りを上げるも、無視される。
▼05・11 「偉大なるイエスマン」武部勤幹事長に「NO」を突きつける。
▼06・7 初監督となった映画「もんじゃ」に、古賀誠衆院議員が特別出演。製作発表では「北野武監督を目指す」と鼻息が荒かった。
▼07・4 北海道夕張市でチャリティープロレスを開催。鈴木宗男衆院議員が特別レフェリーを務めた。
◆大仁田 厚(おおにた・あつし)1957年10月25日、長崎市生まれ。49歳。73年、全日本プロレスに入門し、故・ジャイアント馬場さんの付け人を務め、74年デビュー。84年、試合中のけがで一度は引退するが、89年、FMWを旗揚げし、有刺鉄線や電流爆破などのデスマッチを敢行する。95年、再び引退表明も、96年にはカムバックした。2001年、参院選で自民党比例代表で約46万票を獲得、比例3位で初当選。05年、明大政経学部2部卒業。著書に「邪道でごめんね」ほか。
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