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安部譲二著『日本怪死人列伝』(2002年4月刊)、第2章「新井将敬」
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投稿者 passenger 日時 2007 年 6 月 01 日 00:34:48: eZ/Nw96TErl1Y
 

安部譲二著『日本怪死人列伝』(2002年4月刊)、第2章「新井将敬」

〔引用するに当たって――これから紹介するのは、作家の安部譲二氏が2002年に発表した『日本怪死人列伝』(産経新聞ニュースサービス)の第2章「新井将敬」の全文である。
 安倍政権の現職大臣・松岡利勝氏が不審きわまる変死を遂げ、世間には「自殺」として喧伝されている今、九年前にやはり自民党政府の金融スキャンダルのさなかに変死を遂げ「自殺」扱いで処理されて終わった新井将敬代議士の死にざまに関して、ここで見直しを行なうことは大きな意味がある。新井将敬氏の変死について書いた、安部譲二氏のこのルポは、いまこそ是非とも読まれるべきであるし、このルポの社会的意義は公共財産とも言うべき価値を有している。それゆえ、あえてここに全文引用のかたちで紹介させていただく。
 『日本怪死人列伝』には、このほかにも下山事件や、昭和末期から平成初期の時代に不審な死に方、殺され方をした多くの人物についてのルポが載っている。必読の書であるから、是非とも各自で購入して読んでほしいと思う。ちなみにamazonでの購入先は次の通り――
http://www.amazon.co.jp/日本怪死人列伝-安部-譲二/dp/459403487X/ 〕


■■ここから引用開始■■
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
第2章 新井将敬

 日興讃券に対する利益要求事件で、証券取引法違反(利益追加の要求)容疑
で衆院に逮捕許諾請求が出ていた自民党の新井将敬衆院議員(五〇)=東京4
区=が十九日、東京都港区高輪三ノ十三ノ三、ホテルパシフィックメリディア
ン東京二十三階の二三一二八号室で首をつり、自殺した。妻らにあてた少なくと
も二通の遺書が見つかったが、内容は明らかにされていない。逮捕許諾請求は
同日午後の衆院本会議で議決され、同夜、新井氏は逮捕される見通しだった。
総会屋への利益供与事件に端を発した一連の金融・証券事件の捜査に絡む自殺
者は、三人目となった。衆院の議院運営委員会は、同日夕に予定していた本会
議における逮捕許諾についての緊急上程をしないことを決めた。
                  (平成十年二月二十日産経新聞朝刊より)

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 当選四回、五十歳だった新井将敬代議士の死体が発見されたのは、平成十(一九九八)年二月十九日の午後一時から一時半頃までのことで、場所は品川のホテルの一室だった。
 発見したのは夫人だったが、あまりのことに動顛していたので、時間については、ほぼこの頃というだけで確認されてはいない。
 新井将敬の経歴と当時の置かれていた状態を、読者に改めてお知らせしておく。
 新井将敬は、東大を卒業すると僅かな問、新日鉄に勤めていたが、昭和四十八年に大蔵省に移った。
 そして昭和五十一年に自民党の大物議員だった故渡辺美智雄と知り合って、昭和五十七年に政務秘書官に就任すると、五十八年の衆院選に当時の東京2区から立候補したのだが、ポスターに「在日韓国人である」という妨害シールを、対立候補の陣営に貼られて次点に泣く。
 昭和六十一年に衆院初当選して、故渡辺美智雄の側近になったのだが、八年後の平成六年に自民党を離党し、以後、自由党・新進党・21世紀の会と転々として、平成九年七月には、再び自民党に戻った。
 恩人である故渡辺美智雄の葬儀を欠席し、幹部の怒りを買っていた新井将敬は、その時、旧渡辺派には戻れずにいたところを、亀井静香に救われて三塚派に入れてもらう。
 この頃、大蔵省では、金融機関から「金だ。女だ。ノーパンしゃぶしゃぶだ」と、いろいろ甘い汁を浅ましく吸った現役やOBが、次々と収賄容疑で逮捕されて、あたかも大蔵大不祥事の様相を呈していた。
 普段は何が起こっても、自分がどんなに怠慢で国に損害を与え、国民を苦しめてもどこ吹く風か……と、無責任の権化を決め込んでいた宮沢喜一も大蔵省出身だから、この時ばかりは、「今度は何がばれるのか……。自分に火の粉が飛んで来はしないか……」と連日、生きた心地もなかったのに違いない。
 平成九年十二月二十二日、読売新聞の朝刊一面トップに「日興證券 新井議員に利益供与」と、大きな見出しが出る。
 続けて二十三日の朝刊でも「"利益"新井議員が要求」、「強引に"儲けさせて"」と、追い撃ちを掛けたので、その途端に新井将敬は渦中の人になる。
 平成十年二月十六日、新井将敬の第一秘書と第二秘書が、東京地検で事情聴取。
 続いて二月十七日、本人事情聴取。
 二月十八日、マスコミが逮捕間近……と伝える中、事務所等に東京地検の家宅捜索が入る。
 新井将敬は議院運営委員会で弁明した後、夕方六時から、日興證券幹部との会話を録音したテープを記者団に聞かせて、身の潔白を証明しようとした。
 東京地検は内閣に新井将敬の逮捕許諾請求を行い、内閣から衆院議長、そして議院運営委員会と案件は流れて、議院運営委員会は即日、逮捕を許諾する。
 二月十九日の大新聞の朝刊は、各紙共、大見出しで「新井議員、本日逮捕」、「利益供与で新井議員、本日中に逮捕」と書き立てる中、新井将敬は午後一時から一時半の問に、品川のホテルで死亡していた。
 遺体を発見したのは夫人で、その日の夕方、検死した高輪署では、死因は縊死で死亡推定時刻は午後一時頃と発表。
 第ー発見者だった夫人の言から、新井将敬の死は、ホテルの空調吹き出し孔に浴衣の紐を掛けての、首吊り自殺……ということで処理された。

 新井将敬と私は、知らない仲ではない。
 と、書いたのはかなり控えめで、歳はひと回り私が上だが、とても気の合う呑み仲間だった。
 最初に会ったのはたしか昭和六十二年の真冬で、神奈川県三崎の鮪料理が専門の天咲だ。
 昭和六十一年に、私は単行本が初めて出版され、新井将敬は衆議院議員に当選したばかりという、お互に初々しい頃だったのが懐かしい。
 天咲は僅か九坪の小さい店なので、予約は一切取らず、地元の貸元でも満員の時は行列に並んで順番を待つのだ。
 寒い晩だったが、その日も天咲はよく繁盛していて、長い行列の中ほどに、新米国会議員の新井将敬が並んでいたのを見付けた私は、
「おッ、天咲の行列に並ぶ自民党の代議士は、いいもんだぜ」
 面識もないのに叫んだら、照れてはにかんでとてもいい顔をしたのを覚えている。
 昭和五十八年に、断然たる本命の石原慎太郎がいて、残りの議席を他の立候補者が奪い合うという、変形の激戦地、東京2区から立候補して善戦した新人、新井将敬を、選挙が好きな私は密かに注目していた。
 酔えば冗談にからかうだけで、私にはもとから差別意識なんかない。
 暗黒街に長く住んだ前科者の私には、そんなものは薬にしたくてもないのだ。
 私がホストをしていた週刊誌の対談に、新井将敬を招いたこともある。
 赤坂で酔っ払って、私が着ていたフィッシャーマンのスェーターを、脱いで新井将敬にあげてしまった時は、外に出てから寒くて参ったものだ。
 ホノルルで家の女房か、金もハスボートも、それに帰りの航空券もひったくりに盗られて、参り果てたことがあった。
 領事館ではパスポートの再交付に、四日掛かるというのだが、それでは東京の仕事にはとても間に合わない。
 困り果てて新井将敬に電話したら、
「何とかする。安心しろ」
 と、心強い声で言ってくれて、何と翌々日、領事館に行ったら、私と女房のパスポートがちゃんと出来ていたのだ。
 持ち回りで、超特急でやってくれた……と、後で聞いた私は、衆議院議員の力を改めて思い知った。
 御礼は私のことだから、パイナップルを六個あげただけだったが、勿論、新井将敬も秘書たちも嫌な顔ひとつ見せない。
 新井将敬は意欲に溢れた気の強い、颯爽とした若手の保守政治家だった。
「出自のハンディはあっても、この男は、かなりのところまで出世する、大蔵大臣にはなるに違いない」
 と、その頃、私は睨んだものだ。
 平成十年の二月十九日は、私は仕事でアメリカのミシガン州に行っていて、日本からの電話で事件を知って暗澹とする。
「ホテルの部屋で首吊り自殺をした……」
 知らせた電話の声に、当時の事情をよく承知していて、心配していた私は、
「このくらいのことで、あの気の強いタフな男が、死んだりなんかするものか」
 と、反射的に思ったのだ。
 日本に帰っていろいろな媒体で事件報道を確認した私には、いくつかの謎や納得のいかない点が湧き上って来た。
 検察の逮捕許諾請求を、議院運営委員会は「待ってました」とばかりに、ろくに新井将敬の弁明も審査せず、証拠のテープも受取りを拒否して許諾したのは、なぜか。
 それ以前に、逃げも隠れも出来ない衆議院議員で、東京地検の事情聴取にも素直に応じていた新井将敬を、起訴するのにしても在宅ではなく、逮捕すると決めたのはなぜなのだろう。

 在日韓国人だった新井将敬は、十六歳で日本に帰化すると、慶応大学の医学部に合格しながら一浪して、翌年、東京大学の理1に入り直し、入学後、更に経済学部に転部している。
 就職も最初は新日鉄に入社して、その後大蔵省から故渡辺美智雄の秘書、そして政冶家を志すと激戦区の東京2区から立候補して落選、次の選挙で初当選と、紆余曲折、試行錯誤の限りと言っていいほどの経歴だ。
 初当選以来ずっと自民党にいたわけではない。
 人生の修羅場、土壇場を、自分の腕と判断だけで、新井将敬は何度も凌ぎ切って、議員バッジを胸につけていた。
 日興證券に足を引っ張られて、金融疑獄のスケープゴート、トカゲの尻尾切りにされたこの事件も、たとえ有罪でも判決にはほぼ必ず執行猶予がつく。
 もしつかなくても求刑は懲役二年以内で、判決は実刑一年だったら高過ぎるくらいだ。
 暗黒街では量刑の多少を「重い・軽い」と言わずに「高い・安い」という。
 私は普通の言葉だとそんなことはないのだが、こんなことに限ってつい昔の特殊な言葉や印象を遣ってしまうのだ。
 このくらいのことで閉口垂(へこた)れる新井将敬なら、政治家になんか成らずに、今頃は慶応病院の医師になっている。
 精神的に異常なタフで、心臓と顔に厚い苔の生えているハッキリ言って恥知らずでなければ、日本の国会議員は四期なんかとても務まりはしない。
 それに新井将敬には、他の野卑な国会議員にはない強烈なダンディズムが、深く潜在していたのを、呑み仲間の私は知っている。
 百歩譲って死ぬにしても、ホテルの部屋で、自分が失禁した汚物を垂れ流して不様に縊(くび)れ死ぬなんて、そんな手段を新井将敬が採るわけがない。
 新井将敬は、肉のしっかりついた体格のいい男だ。
 首を吊って死のうと思った時に、ホテルの浴衣の紐を、空調機の吹き出し孔の羽根にかけたりなんかするものか。
 昔から首吊り自殺をしようとする者は、自分の体重を確実に支える枝振りのいい松を選ぶと決っている。
 椅子かベッドの上に立って、誰があんな浴衣の紐と、吹き出し孔の羽根が、八十キロほどの体重が一瞬、グンッとかかる衝撃に耐えるなんて、思うものか。
 私は昭和三十一年に目黒区のお寺の植込みの中で、松の枝から吊り下っていた男を、救けようとしたことがある。
 直径が十ミリほどの細いロープだったが、晴れた月夜の晩なのに水で湿らせてあった。
 私は汚物でグズグズになっていた首吊りの下半身を、下から抱えあげて、せめて張ったロープをゆるめて首を楽にしようとしたのだが、そうしたのが精一杯で、一緒に散歩していた女も、ロープの結び目には手がか届かなかったし解けない。
 仕方がないので、懐に入れていた匕口(あいくち)を女に取らせると、見つけて来させたリンゴ箱
の上に登らせて、それで私が懸命に支えていた首吊りのロープを、スパッと……ではなくゴシゴシ切ってもらったのだ。
 首吊りをしたロープは、体重が掛かって固く締まるから、指が届いてもまず解けるものではないと、私はこの時の経験で知っている。
 私はこの原稿を書く前に、お願いして真理子夫人と当時の秘書だった大山義満氏に会って、話をうかがったのだ。
 夫人はホテルの部屋に入って、吊り下っていた新井将敬に仰天するとホテルの中にいた運転手を呼んだのだという。
 もし空調機の吹き出し孔の羽根に、浴衣の紐を通して首を吊っていたのなら、どうして夫人と運転手はふたりきりで、遺体が降ろせてベッドの上に安置できたのか。
 午後三時頃、ホテルに駆けつけた亀井静香・平沼赴夫両代議士の言では、新井将敬の遺体はベッドの上に安置されていて、とても安らかな顔だったと、これは真理子夫人と大山秘書も同じことを語っている。
 そもそも私は、最初に部屋に入った夫人と、それに運転手に話を訊きたかったのだ。
 夫人にお目に掛かる前に、その希望は伝えてあったから、私は大山秘書を運転手だとばかり思っていて、途中で違うことを知って鼻白む。
 なぜ夫人は私が望んだ運転手を連れて来なかったのだろう。
 首吊り自殺は糞尿を垂れ流すので、密閉されたホテルの部屋でやったら耐えられない臭いの筈なのに、この事に関しては、不思議なことに誰も何も語ってはいない。
 夫人と運転手は発見してから、代議士ふたりが飛んで来る迄の約二時間に、事務所にいた秘書たちやホテルの者も呼ばずに、ふたりだけで遺体を降ろして拭き清めたというのは、何故か。
 夫人が動顛していたのは当り前で、その時の記憶が定かではないのも、私は責めたり
はしない。
 この状態で死亡した遺体を、洗い清める……、少なくとも、他人が見られるようにするのには、かなりの量のタオルがいる。
 とてもホテルの部屋にあったタオルやティッシュペーパーぐらいでは、どうにもならない。
 平沼代議士や夫人、それに秘書の話では、吹き出し孔からは浴衣の紐が、ダラリと下ったままだったという。
 もし新井将敬がそんな状態で総死ー風いたのだとしたら、浴衣の紐をどうやって解いたのだろう。
 こんな肝心なことを、夫人に訊きそびれた私は馬鹿たれで、新聞記者だったらクビになっていたかもしれない。
 狂言ではなく本当に自殺しようと思った者の心理状態と、新井将敬の状態が違うことに私は気がつく。
 本当に死のうと決めた者は、やり損う、仕損じることを恐れるのだ。
 だから首を吊ろうと決めた者は、まず、細くても丈夫な紐を選んで、周到な者は水で湿すと、次には枝振りのいい松か、頑丈な梁を探すと決っている。
 そうしなければ、自分の体重で紐が切れたりほどけたり、枝が折れて失敗するからだ。
 誰が丈夫とは見えない浴衣の紐を、頼りない空調の吹き出し孔の羽根に通して、首を吊ったりするものか。
 縊死する男の心理を無視している。
 ホテルの中でも、確実に、しかも苦しまずに死ねる手段は他にいくらでもあるし、新井将敬は衝動的に何でもやってしまうような、そんな女子大生のような男ではない。
 ホテルの部屋の中には、クシャッと潰したビールの缶と、それにウイスキーのミニチュアボトルが、十本ほど空になって床に散らばっていた。
 このミニチュアボトルに関して、夫人は全く違うことを警察とマスコミに語っている。
 直後の高輪署では、「新井はビールは呑んでいたが、ミニチュアボトルは呑まなかった」と、言っているのだが、後に週刊誌のインタビューで、
「ビールを呑んでから、ストレートでグイグイ、ミニチュアボトルを呑んだので……」
 心配だったと、新井将敬の失意の故の自殺を、補強するようなことを語っているのが、私には腑に落ちない。
 それになぜ、変死に間違いはないのに、司法解剖が行われなかったのだろう。
 マスコミは、夫人の強い要望に応えて、亀井静香代議士が、高輪署に申し人れたからだと、揃って報じている。
 この原稿の取材でインタビューに応じてくれた元秘書の大山義満氏は、
「あの時、解剖をしないでくれと、警察に申し出たのは自分です」
 夫人でもなければ、亀井静香代議士でもない……と、言い放ったのだ。
 驚いて、「なぜ……」と眩いた私に、大山氏は、一刻も早く新井将敬を自宅に帰してやりたかった……と言ったのだが、この話は分かったようで分からない。
 あの金融疑獄の最中に、突然、逮捕された総会屋からみの書類の中から、利益供与の証拠が出たとして、日興證券の社長や役員に裏切られた挙げ句、逮捕寸前にまで追い込まれた新井将敬は、誰が見てもトカゲの尻尾切りに選ばれた無残なスケープゴートだ。
 変死したのを司法解剖しておかなければ、必ず後日、いろいろな憶測が囁かれることになるのだから、秘書たる者はたとえ夫人が強く要望しようとも、ここは敢えて筋を通すべきだと、私は思う。
 こんな場面で、一刻も早く家に……と、センチメンタルなことを言っても、私には頷き兼ねる。
 たとえば……の話だが、ここで変死の時に通常行う司法解剖をしておけば、私もここで採りあげなかったかもしれない。
 動顛した夫人は、ホテルの部屋で変わり果てた夫を発見すると、警察にもホテルのマネジャーにも、秘書たちにさえ連絡せずに、亀井静香代議士に電話をした。
 高輪署はマスコミに、死亡推定時刻は午後一時頃……と、言っているのだから、夫人が発見した時は、生々しい言葉を敢えて使うが、まだ生温かかった筈だ。
 紐を外してベッドに横たえてから、電話するのは、一一九番か、そうでもなければ一一〇番の筈で、出戻りの新井将敬を自民党に迎え入れてくれた代議士ではないと、私は思う。
 死亡してからいくらも経っていなかったのに、夫人や運転手は、なぜ専門家に頼んで蘇生を試みようと思わなかったのか。
 中尾栄一代議士の事務所に居て、夫人からの電話を受けた亀井静香代議士は、居合わせた同じ三塚派の平沼赴夫代議士と共に、ホテルに急行する。
 着いたのは三時頃だったが、この時の状況を亀井静香氏は、マスコミに、
「俺たちは高輪署の署長と一緒に、ホテルの部屋に入った」
 と、最初に語って新聞記者に追及されると、
「署長と言ったのは勘違いで、高輪署の保安課長だった。いずれにしても『空白の二時間』などと、いい加減なことを言ってもらいたくない」
 なんて言ったのが、事件の裏にある黒い事情を、国民に推測させ嗅がせてしまったのだ。
 高輪署はマスコミの取材に困惑して、
「高輪署には、保安課長という役職はない」
 と、答えている。
 ここまで私は、新井将敬の経歴と性格、それに官界と政界を揺さ振り慌てさせた金融疑獄と大藏不祥事、トカゲの尻尾切りのスケープゴートにされて、逮捕寸前だった事情を書いた。
 利権を漁って汚い金を懐に人れ、更に利益供与で票と金を得るのは、自民党の御家芸だということは日本国民が、共通して認識していることだ。
 しかし、資料の当時の新聞を読んだ私は、肝心なことが書かれていないことを知って溜息をつく。これなら夫人に、浴衣の紐をどうやって解いたか聞き漏らしたドジな私でも、クビになんかなるものか。
 調べて書かずに、警察や政府・自民党の垂れ流すことを書く大新聞は、マスコミという名に値しない。
 なぜ新井将敬が、スケープゴートに撰ばれてしまったのか。
 一応は三塚派に属していたと言っても、新井将敬は渡辺派からも嫌われていた「出戻り」だ。
 それに大蔵省出身のはぐれ者は、自民党では珍しいので、大蔵大不祥事を終息させるためのトカゲの尻尾には一番いい。
 親分の三塚とは縁も薄いし、それに亀井静香氏には、後でどうにでも話がつくと、犠牲者に新井将敬を撰んだ者は思った。
 この男は、いわゆるエリートだったので、厳しい出自からのし上って来た新井将敬の性根というか、ド根性を計り間違えて、安易に撰んでしまったのだと私は思っている。

 これからが私の推論になる。
 私の知っている新井将敬は、頭がよくて渋太(しぶと)い政治家だ。
 逮捕されて法廷に引き擦り出されても、他のヤワな二世代議士や役人あがりのように、落ち込んだりもしなければ、政治生命を喪うなんて発想もない。
 発想と理念が、新井将敬は他のぼんくら共とは、全く違っていたことを私は知っている。
 それに新井将敬の持っていた美学やモダニズムと、それに見栄や気取りは、たとえ自殺するとしても、あの無残な首吊りは決して撰ばない。
 大望を抱いていた五十歳の政治家は、殺されたのだ。
 実行犯は、三人でも可能だが私は四人だったと思っている。
 そのホテルが新井将敬の常宿だと知っていて、何日か前から実行犯はツインルームを二部屋、取っていたのに違いない。
 その部屋で実行犯たちは、浴衣の紐と、それに空調の吹き出し孔の羽根が、八十キロ以上の重量に耐えるかどうかを、事前にテストした筈だ。
 四入の実行犯は、白人や黒人、それにひと目で外国人だと分かる男たちではなくて、ほぼ日本人だったと私は思う。
 外国人であれば、部屋に押し入って新井将敬を制圧したら、次にすることは両手と両足を、肌を傷つけない細く切ったタオルか、あるいはメリヤス編みの包帯で縛って、鼻を摘んで口を開かせる。
 こうすると、された男は苦しいから嫌でも口を開く。
 そこにミニチュアボトルのウイスキーを、喉の奥に注ぎ込むのだ。
 むせても、どうせ殺してしまうのだから構わない。
 殺し屋は非情でなければ仕事にならない。
 ウイスキーと一緒に、強力な睡眠薬も呑ませる。
 そして正体がなくなった新井将敬を、バスルームまで運んで、水を張ったバスタブの中に三分間、頭を押さえつければ仕事は終りだ。
 睡ろうとして泥酔した逮捕直前の新井将敬は、誤って着衣のまま浴槽に倒れ込み、溺死した……、ということになる。
 しかし実行犯が日本人だと、自殺イコール首吊り、という固定観念が潜在しているので、もっとずっと手の込んだことをするのだ。
 自殺しようとした者がベッドに置いた不安定な椅子の上で、あの空調の吹き出し孔の羽根に、浴衣の紐を通すのだって、嫌になるほど根気の要る作業だということが、試してみれば誰にでも分る。
 ホテルの部屋に押し入るのは、そんなに面倒なことではない。
 四人の実行犯のうちひとりが女であれば、用心深い新井将敬でもチェーンを外して、ドアを開けるだろう。
 特にその女が新井将敬のよく知っている人なら、チェーンを外す可能性は高くなる。
 ホテルの部屋やマンションに押し入る時は、チェーンを中にいた奴に外させるのが勝負だ。
 チェーンを掛ける習慣が新井将敬になければ、メイドの持っているマスターキーの、複製を作ればいいし、他にいくらでも部屋に押し入る手はあるのだ。
 乱入した四人の実行犯は、新井将敬を難なく制圧して、締め殺すまでに、ウイスキーを注ぎ込む時間まで入れても、十五分は掛からなかったのに違いない。
 遺体を実行犯が、本当に吹き出し孔に浴衣の紐で吊るしたかどうか、私は今でもこの原稿を書きながら、首を捻っている。
 吊していたら、部屋の中は大変な臭いになっていた筈だが、誰もそんなことは証言していない。
 その時、亀井静香代議士と共に、現場のホテルの部屋に飛んで行った、平沼赳夫代議士は、私の中学の後輩だ.
 麻布中学出身の政治家を応援する「麻立会(まりゅうかい)」という会がある。
 会員のひとりで中学の頃、タッチフットボール部だった川崎電気の村上勇二君が、平沼代議士と親しいので、私は電話取材の口利きをお願いした。
 当時、通産大臣の要職にあった平沼代議士が嫌な声ひとつ出さずに電話に出てくれたのが、私は嬉しい。
 平沼代議士と亀井代議士が行くまでは、真理子夫人の言う限りにおいては誰も、ホテルの部屋には入っていない。
 夫人と運転手と、それに新井将敬の遺体だけだ。
 僕は電話に出た通産大臣に、他のことはほとんど訊かずに、
「入ったホテルの部屋は、かなりな臭いだったでしょう……」
 と、一番知りたかったことを訊いた。
「いいえ、そんな臭いはしなかったですよ。僕と亀井さんがホテルの部屋に入って行った時には、新井さんの遺体はベッドの上で、シーツが首までかけられていました」
 通産大臣はそう答えてくれたので、お礼を言って私は電話を切った。
 僅か二時間足らずの間に、夫人と運転手は吹き出し孔からぶら下っていた新井将敬を、浴衣の紐を解くか切断せずに下に降ろして、更に垂れ流していた汚物を拭き、凄かったのに違いない臭いも、なんとかしたというのか。
 誰が実行犯に、命令したのか……。
 一番疑われたのは亀井静香氏だが、それは最初に本当ではないことを言ってしまったからで、私は、ただ驚いて飛んで行っただけだと思う。
 亀井静香氏は警察官僚のエリート出身だ。
 調べることに慣れている人物は、逆に追及される立場になると、頭に浮んだことを考えずに、そのまま口にしてしまうことがよくある。
 警察官は本来、捕えて白状させる人で、追及される人ではない。
 何か隠さなければならないことがある時は、追及されたり痛い所を突かれると慌ててしまうのだ。
 夫人から電話を受けた亀井静香氏が、取るものも取り敢えずホテルの部屋に急行したのは、新井将敬が何か他人の目に触れてはまずいものを、残していなかったか……と、心配したからに違いないと私は思っている。
 何しろ大蔵大不祥事の真っ只中で、死んだ新井将敬はスケープゴートにされて、恨みを残していたのだから、どんな証拠や書き置きが残されていても不思議はない。
 亀井静香氏の心配していたものが、あったかどうか、警察やマスコミに知られる以前に処理されたのかは、今となっては私に知る手段はない。
 実行犯に命令したのは、亀井静香氏とその周辺の人物ではなく、別のルートだと私は推測する。
 亀井静香氏だったら、発見した夫人が電話をして来た時に、中尾栄一代議士の事務所に同じ派の平沼赳夫代議士と、一緒になんかいたわけがない。
 急行したということは、思いがけない事態で、不安だったからだ。
 命令した者であれば、意外でもないし、不安だったことは既に処理されている筈だから、慌てて飛んで行く必要は何もない。
 その人物がスケープゴートに安易に選んだ新井将敬は、思ってもいなかったほど、渋太く強気で、議院運営委員会でも日興證券幹部との録音テープを証拠に、堂々と無実を唱えたから、法廷でこれをやられたら大変なことになると、震えたのだ。
 起訴されて有罪判決を喰らえば、政治生命を断たれて黙って消えて行くような男ではないと知って、震えたその男は、とんでもない相手を、スケープゴートに選んでしまったと判断の甘さを悔んだ筈だ。
 現代の日本の政治の中枢にある者は、背広を着てネクタイを締めた鬼だ。日本の、長い歴史を溯っても、これほど非情に人の命を奪った権力者はいない。
 現代の日本には、無残に殺された者の恨みが満ち満ちている。
 私は納得しかねる怪死事件を調べ直して、自分の推論を求める原稿を書いているが、こんな推論なんかしなくてもいい日本にしたいと、大きな溜息をついた。

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■■ここで引用おわり■■

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