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□待望の「初入閣」で恩義? 飯島氏宛の松岡遺書中身 [ZAKZAK]
http://www.zakzak.co.jp/top/2007_05/t2007053015.html
待望の「初入閣」で恩義? 飯島氏宛の松岡遺書中身
自殺当日も病院にいち早く駆けつけ
数多くの疑惑と謎を抱えて自殺した松岡利勝前農水相。議員宿舎のテーブルに8通の遺書が整然と並べられていたが、その中に小泉純一郎前首相に仕えた飯島勲・前首相秘書官と、自民党の景山俊太郎参院議員にあてられたものがあったことが注目されている。死の間際に松岡氏は何を考えたのか。
「私自身の不明、不徳の為、お騒がせ致しましたこと、ご迷惑をおかけ致しましたこと、衷心からお詫び申し上げます。自分の身命を持って責任とお詫びに代えさせていただきます」
松岡氏は「国民の皆様、後援会の皆様」と題する遺書にこう記していた。その他、安倍晋三首相ら6人には封書の遺書で「親展」とあったが、この中に飯島氏と景山氏あてがあった。
飯島氏への遺書の存在を報じたのは30日の朝日新聞朝刊。
飯島氏は1945年、長野県生まれ。72年、小泉氏の初当選直後に秘書となり、小泉氏の大臣就任とともに厚相秘書官、郵政相秘書官などを歴任。2001年4月、小泉内閣誕生に伴い首相秘書官に就任した。
その独特の風貌と、永田町や霞が関に築き上げた人脈から、秘書官当時、閣僚以上の存在感を発揮していたが、なぜ、松岡氏は国会議員でもない飯島氏に遺書を残したのか?
ここに興味深い新聞記事がある。06年9月27日、松岡氏の地元紙「熊本日日新聞」が報じた、「安倍内閣発足 松岡氏待望の初入閣」という記事だ。
≪午後3時、松岡事務所に、安倍首相から電話が入った。松岡氏は『たった今、連絡を受けた。安倍内閣の一員として国民のために頑張りたい』と神妙な表情。小泉首相の飯島勲秘書官に早速、連絡し、『秘書官のおかげ。本当にありがとうございます』と頭を下げた≫
飯島氏は、松岡氏が自殺を図った28日、慶応病院にいち早く駆け付けている。
自民党関係者は「小泉内閣時代、郵政政局で主流派に転じた松岡氏が、首相官邸に『定期便』と揶揄されるほど頻繁に訪れていたのは有名。松岡氏の入閣に『小泉サイドの力が働いた』という噂はあるが、事実は分からない。安倍首相が松岡氏をかばい続けた一因もそこにあるのか。ただ、遺書を残すほど2人が密接だったことは間違いない」と語る。
一方、景山氏は1944年、島根県生まれ。70年に早大大学院修了後、竹下登元首相の秘書になった。島根県議を経て95年に参院議員に初当選、現在2期目。「参院のドン」こと青木幹雄参院会長の懐刀といわれる。
景山氏は松岡氏にとって長男の義父にあたる親戚同士。遺書を残しても不思議ではないが、それ以外にも気になる接点がある。
東京地検特捜部は25日、松岡氏の地元・熊本県にある農水省所管の独立行政法人「緑資源機構」の出先機関「阿蘇小国郷建設事務所」に家宅捜索に入った。
農林業振興などを目的とした「特定中山間保全整備事業」をめぐる談合疑惑がターゲットとされたが、この事業の事業区域は何と、松岡氏の地元・熊本と、景山氏の地元・島根の2カ所なのだ。
松岡氏は家宅捜索が入った25日、その後の予定をキャンセルして地元入りし、父の墓参りなどを済ませ、週明けの28日に自殺した。
「誰も言おうとしないが、景山氏あての遺書があったのは、単に親戚ということだけなのか…」(党関係者)
松岡氏が残した闇は深い。
ZAKZAK 2007/05/30
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なぜ病院に飯島前首相秘書官が? [ヤフー掲示板]
http://www.asyura2.com/07/senkyo35/msg/450.html
投稿者 white 日時 2007 年 5 月 29 日 10:19:36: QYBiAyr6jr5Ac
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