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インフレと歴史教科書-「インフレ」を悪、「デフレ」を善と教える歴史教育(経済コラムマガジン482号)
http://www.asyura2.com/07/senkyo34/msg/967.html
投稿者 JAXVN 日時 2007 年 5 月 21 日 08:18:42: fSuEJ1ZfVg3Og
 

http://adpweb.com/eco/eco481.htmlの続きです。
「経済コラムマガジン07/5/21(482号)

・インフレと歴史教科書

・松方デフレの補足
本誌はずっと政府紙幣発行などを財源とした積極財政を主張してきた。4年前、日経新聞の招きで来日したスティグリッツ教授は、なんと日本に「プリンティングマネー(政府紙幣)の発行」の提案を行った。筆者は「よく言ってくれた」という感想を持ったが、予想通り各方面から否定的な反応があった。しかしそれらの多くは政府紙幣についてよく知らない人々からのものであった。

そこで本誌は03/5/5(第295号)「政府紙幣発行政策の誤解」http://adpweb.com/eco/eco295.html、03/5/12(第296号)「滝田洋一氏への反論」http://adpweb.com/eco/eco296.html、03/5/19(第297号)「政府紙幣発行の認知度」http://adpweb.com/eco/eco297.html、と3週に渡り、これらに対して反論を試みた。ところで本誌は先々週からインフレと公務員の関係を取上げているが、たまたまこれにも関連するのが最後の03/5/19(第297号)「政府紙幣発行の認知度」である(政府紙幣については今後も度々取上げるつもり)。ここでは松方政義大蔵卿(後に大蔵大臣)によるデフレ政策(松方デフレ)と構造改革について触れた。

その部分を抜粋すれば「松方自身も、デフレ政策を構造改革なんて少しも考えていなかったはずである。たしかに明治10年以降、農産物が高くなり、自作農民は潤った。反対に都市の俸給者や旧武士階級は、米などの農産物が高くなり、生活に窮していた。そして松方は、日頃から「農民は贅沢をしており、けしからん」と言っていた。どうも松方には、農民に対して差別意識があったと思われるのである。それを松方の構造改革と呼ぶのはまさに詭弁である。」となる。ここで特に問題になる箇所は後ほど取上げるが「生活に窮した都市の俸給者や旧武士階級」である。しかしそれに言及する前に松方デフレについてもう少し補足する。

明示維新以来の政府紙幣発行と先代大蔵卿大隈重信の殖産新興政策で日本経済は活況を呈していた。ただ大隈重信の積極財政政策は多少度が過ぎていたため、さすがに明治10年以降物価が上昇するようになった。そこで大隈重信は引締め政策に転じたが、ちょうどこの効果が生まれ始めた頃(明治14年)、政変が起き大隈は失脚した。そして次の大蔵卿に任命されたのが、大隈の政敵であった大蔵官僚出身の松方政義であった。

松方は増税や緊縮財政を行うだけでなく、金本位制復帰への地ならしとして政府紙幣の償却をどんどん行った。一転して日本経済は大きく落込み、物価は下落した。特に農産物の価格の下落は大きく、農民への打撃は大きかった。このため自作農が次々と小作農に没落した。

ところが今日の構造改革派には松方の政策を評価する者が多い。松方デフレによって喰いつめた農民が農村を離れ、町に出て労働力となり、近代産業が発展したという話になっている。まさに供給サイドの経済学そのものの考えである。例えばバブル経済崩壊後にも「不良債権の整理を徹底して行え」という声が構造改革派から起った。不効率な悪い企業を潰せば、生産性の高い分野に生産資源が移ると言っていたのと同じ理屈である。

しかし殖産新興政策を行ったのは、積極財政派の大隈重信や伊藤博文である。松方デフレで喰いつめたから大量の農民が都会に出て行ったとはとても考えられない(そのような人々は極少数派でいたかもしれないが)。もしそうなら東京などの大都市の周辺にスラム(発展途上国の大都市の周辺に見られるようなスラム)ができていたはずである。そうではなく大隈などの殖産新興政策によって都会に新しい働き口が生まれ、これらの収入が良く、また都市生活の方が快適と感じたから人々は都会に出て行ったと考えるべきである。

今日の中国でも同じように、地方の農民が大都市に出稼ぎで集まり経済発展を支えている。しかし大量の地方の農民が出てきたのは、大都市に働き口がどんどん生まれたからである。決して地方の農民が喰いつめて大都市に出てきたから中国の経済が成長しているのではない。100年以上も前の事になると、構造改革派もいい加減な事を言うものである。


・松方政義の評価
歴史というものはなかなか公平な立場で記述されないと筆者は考える。大隈重信の経済政策によってたしかに物価は上昇したが、農産物の価格高騰によって農民の方は潤ったのである。大隈のインフレ政策によって困窮したのは「都市の俸給者や旧武士階級」層である。何も日本国民の全員が不幸になったのではない。ところがたいていの歴史書によれば、まるでインフレによって日本の全国民が迷惑を被ったような印象を持つのである。

また当時本位通貨となっていた銀の相場が毎日立っており、紙幣との交換比率が日々変動していた。銀貨は貿易の決済に使われていたのである(当時日本は金本位制と銀本位制の両建てであったが、主な貿易相手国が銀本位制のアジアの国々がであったため、日本も実質的に銀本位制であった)。明治10年くらいまではこの比率(銀紙比率)がほぼ1対1であったが、インフレによって明治14年には1対1.7くらいになった。

銀紙比率は今日の為替レートに該当する。つまりインフレ時、為替は円安になったのである。この円安が問題になった。しかし円安で損をするのは輸入業者であり、逆に輸出業者は円安で儲かっていたはずである。当時、日本は貿易赤字国だったので輸入関係者の方が多く、ことさら円安へのクレームが大きくなったと筆者は考える。

「都市の俸給者」の代表は公務員である。簡単に俸給が上がらない公務員は大隈のインフレ政策で生活が困窮したと考えられる。戦後の高度成長期に安月給のまま据え置かれた公務員と同じ立場に置かれたのである。

旧武士階級とは、封建制度の解体に伴い武士の身分を失った者達である。彼等には武士の身分と引換えに秩録公債が支給された(秩録処分)。しかしインフレでこの秩録公債の利息が目減りしたのである。ただでさえ旧武士階級の明治新政府への不満は大きく、インフレは明治政府としても神経を尖らす事態であった。

さらに松方デフレによって自作農が没落したが、当時の自由民権運動の中心はこの自作農民が中心であった。自作農の没落によって自由民権運動は大きな痛手を被ったのである。このようにインフレだデフレだ言っても単に経済の問題に止まらなかったのである。

筆者は、公平な立場から言えば松方デフレは政策の失敗と見る。しかし明治政府の内部では、松方は決してそれほど悪く評価されていない。それどころか後に松方は2度も総理大臣になっているくらいである(総理大臣として見るべき成果はほとんどなかったが)。

教科書に記述される歴史もなかなか公平なものにならない。特に日本のように公務員・官僚の関与が大きい国の歴史教科書は、どうしてもバイアスがかかっていると考えるべきである。どうしても「インフレは悪」というニュアンスが強くなる。この公務員・官僚を牽制する立場にいるのが政治家であるが、彼等も公務員・官僚の作った教科書で歴史を勉強している。したがって多くの政治家も「インフレは悪」と刷り込まれているのである。

来週は江戸時代のインフレを取上げる。」
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