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2007年05月20日
参議院不要論の裏を読む
参議院が5月20日で創設60周年を迎えるという。そのせいだろう。今日のいくつかの新聞は参議院の有用性について書いている。しかしこれは今日に始まったことではない。これまでにも折に触れて参議院不要論、参院改革論は論じられてきた。しかし最近は頻繁に参議院の不要論が強調されている気がする。
5月20日の読売新聞の社説もその一つである。「今の姿のままではいられない」と題するその社説は、「参院に求められているのは、本来、衆院に対する抑制、補完の機能だろうが・・・実際の姿は衆院のカーボンコピーであり・・・衆院同様の審議を繰り返すため法案成立に時間がかかる(だけでなく)・・・郵政改革法案を否決・廃案に追い込んだ(例にみられるように)・・・法案成立に不安定性をもたらす・・・」などと、あたかも参院は不要であると言わんばかりである。
確かに参院は衆院に比べて首相指名や予算先議権などで劣っている。最近では衆院で予算案が通過したり、重要法案が通過したりすると、それで国会の役割は終わったといわんばかりの風潮が、国会
しかし参院が本来の機能を発揮すれば、「良識の府」として、衆院との均衡や衆院の補完、それにもまして衆院の暴走を抑制する役割は十分に果たせるのだ。参院が悪いのではない。それを構成する参院議員が悪いのだ。参院議員をそこまで軽視する衆院とそれを許す政情が悪いのである。
解散・総選挙のない参院議員は、いったん当選してしまえば6年間の身分が保証される。それをいい事に、参院はタレント議員や、衆院を落選した議員の駆け込み寺になっている。仕事をしなくても、政党の宣伝や応援団になっていればいいのだ。それがおかしいと私は言いたいのだ。逆に言えば、6年間の身分保障を活用し、本気で政治家の使命を果たせば、参院議員は常に選挙におびえる衆院議員よりはるかに強い立場にあるはずだ。参院議員一期6年で使命を終える覚悟とやる気があれば、参院議員は誰も恐れることはない。おそれるのは一票を投じてくれた国民だけである。素晴らしい仕事ができるはずなのだ。その事はまた、三期18年も国会議員を務めておきながら、国政に何も残さずに辞めていったタレント議員などの例を想起すれば、能力とやる気のない者に参院議員の職を与えることが、いかにもったいない事かを証明している。
仮に参院がなくなったとしよう。今の二大保守政党化の流れと、自公政権の強硬化を考える時、強行採決でなんでも立法化することが出来るようになるだろう。参院で同じような議論をしなくて済むということは、政権政党にとってそれだけ面倒なことがなくなるという事だ。こう考えると参院不要論は今の風潮と見事に合致する。
必要なのは参院改革だけではない。衆院を含め、選挙制度を含め、国会議員の定数や評価の方法を含め、国会そのものを見直す必要があるのだ。その時が来ていると思う。それなくして参院の不必要性だけが強調されるのは、更なる権力政治の強化を目論む情報操作であるとさえ思ったほうが良い。
もっとも参院がすぐに無くなるという懸念は不要だ。青木参院議員会長や扇参院議長のように、国会議員としての本来の使命を果たす事無く特権を享受して来た与党議員がなくならない限り、参院もまたなくならない。それはそれでまた大問題ではあるのだが。
http://www.amakiblog.com/archives/2007/05/20/#000383
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