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大企業優遇と従順な国民づくり
経済は規制緩和、政治は規制強化
池内了
総合研究大学院大教授
2007.5.9
かつて、日本の経済体制は「日本型社会主義」とか「日本株式会社」と呼ばれ、国家の手厚い保護を受けて企業は基礎体力を養うことができた。国家が牽引する空母にくっついて動く駆逐艦のようであるため「護送船団方式」とも呼ばれた。戦争で壊滅状態に陥った産業界を復興するためにはやむを得なかったのかもしれない。
企業が体力をつけて自立し、さらに多国籍化しつつある現代においては、国家の干渉はむしろ邪魔であるかのような雰囲気で経済の規制緩和がどんどん進められている。新規企業の参入を防ぐために設けられた諸種の規制が撤廃され、誰もが競争に参加できるようにするという名目であった。とはいえ、法人税の税率を引き下げ、株取引の税金の減免措置をするなど、大企業や富裕層を優遇する護送船団は依然として続いているのだが。
それは、私たちが安い費用でサービスを受けられる利得があるように見えるが、事実はそうではない。トラック業界やタクシー業界のように過当競争を招いて安全が疎(おろそ)かになり偽装建築や賞味期限の偽装表示のように仕事の質を著しく低下させることにつながったからだ。正社員を減らし派遣や請負ばかりを増やして露骨な格差社会となってしまった。株式会社立の大学のあるものは本来の大学の体をなしておらず、学術・文化の担い手の名に値しない状態にある。
事前の規制は緩やかにして自由競争を奨励し、事後の結果のチェックを厳しくして淘汰(とうた)させれば良いとするアメリカ流のやり方を踏襲しているのだろうが、事後のチェックすら規制緩和で大企業のやり放題である。少なくとも、人々の安全や生活や文化に関(かか)わる事柄に関しては、逆に規制を強化して安心を確保し、質の高さを維持するという配慮がなされなければならない。このまま見境(みさか)いのない規制緩和が進めば、安直で殺伐な社会になってしまうだろう。
経済の規制緩和が一方的に強行されるのに対し、政治に関わる事柄への規制はむしろ強化されている。ビラ配りだけで有罪判決が出され、日の丸・君が代の強制がなされ、教員の免許更新制や道徳の成績付けが上程されようとしている。国家の意向に従順な人間作りを目指しているとしか思えない。
特に、選挙にからむことでは、戸別訪問が禁止され、(市議選では)個人のマニュフェストの配布が制限されているように(やっと首長選ではマニュフェストが解禁されたが)、がんじがらめと言って良いくらい禁止事項ばかりである。結局、選挙運動は宣伝カーで候補者名をがなり立てるだけになり、きめ細かな政策論争は一切期待できない状況にある。
その極めつけ(きわ)は「国民投票法案」だろう。有権者を18歳以上としようとする規制緩和を見せかけにして(最低投票率を規定していないので本当の規制緩和かどうか疑わしい)、国家公務員や国公私立の教員の運動への参加を禁じていることだ。憲法を変えるような国家の将来を決しかねない問題については、誰でもが自由に議論でき、幅広く国民の総意を汲み(く)尽くせるよう、格段の配慮をしなければならないはずである。それを禁止するというのだから、党利党略だけで憲法改正まで突き進もうという下心があるとしか思えない。
このような選挙に関わる規制強化は、買収行為や執拗(しつよう)な説得工作を禁じ、過大な金をかけないためという名目だが、結局国家が国民を信用していないのだろう。買収や説得で投票すると仮定しているからだ。しかし、禁じれば禁じるほど情報が減り、人々が考える機会を少なくするから、結果的には民主主義をひ弱なものにしている。さまざまな意見に数多く接し、その優劣を判断して選択できるよう措置することこそが自立した個を育て民主主義を豊かにするのである。
経済の規制緩和で大企業と富裕層だけを優遇し、政治向きの事柄には規制強化で物言えぬ国民に仕立て上げる、そんな冷え冷えとした社会に未来があるのだろうか。
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