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実際に暗殺に使われた使われた銃は果たして見出しの銃であろうか?
事件の翌日に報じられたニュースでは、
「口径7ミリの銃」というものであった。
その後、38口径のS&Wとの報道に落ち着いた。
しかし、伊藤さんの体内から見つかった銃弾そのものの大きさについての報道は無い。
また犯人が犯行に使ったとされる実銃が公開された事もない。
伊藤さんの体内から見つかった銃弾は犯行に使われたとされる38口径S&Wの銃弾だったのだろうか?
別のものである可能性も考えられるのだ。
7ミリ銃弾と38口径銃弾の間には大きさに随分と違いがあるのだ。
下に参考資料を紹介しておく。
http://www.screenplay.co.jp/column/2004/040715.html
けん銃などのサイズを表わす数値として「口径」が使われる。「口径」には、アメリカ系(インチ表示)とヨーロッパ系(ミリメートル表示)とがあり、口径0.38インチ、口径0.45インチなどと表示する。38口径、45口径などとというのは俗称である。下の表を参照すると分かり易いだろう。『L.A.コンフィデンシャル』のシーンでは、38口径と45口径の銃、リボルバーやショットガン(散弾銃)などが使われている。
インチ ミリメートル 俗称
0.22 インチ 5.59 ミリメートル 22 口径
0.25 インチ 6.35 ミリメートル 25 口径
0.30 インチ 7.62 ミリメートル 30 口径
0.32 インチ 8.13 ミリメートル 32 口径
0.38 インチ 9.65 ミリメートル 38 口径
0.45 インチ 11.4 ミリメートル 45 口径
この様に38口径は9ミリ以上の大きさ(直径)で、7ミリのものとは間違いようが無いであろう。
事件直後の7ミリ銃弾の報道を聞いたとき、私は32口径の自動拳銃が使われたのではないか(トカレフ、ワルサー、ブローニングなど)と考えたのだった。
早急に精確に連射するには回転式でシングル・アクションで撃つよりも小型高性能の自動拳銃が適しているからだ。
馬鹿馬鹿しい話ではあるが、数字7と9とが似ているので間違えて報じられた可能性が無くは無い。
38口径S&Wであのような犯行が出来ない訳ではない。
S&Wでも回転式と自働式とがあってどちらのものかは判らない。
実物が公開されていないからだ。
犯行の銃と同じものが報道されていない可能性を疑う必要はあると思う。
S&W(スミス・アンド・ウエッソン)について参考資料を紹介しておく。
http://www.special-warfare.net/data_base/202_pistols/pistol_sw_revolvers_01.htm
SMITH & WESSON
http://www.ne.jp/asahi/tao/so-sui/guns-sw.htm
実銃メーカー別・スミスアンドウエッソン(S&W)
さて、「二束わらじ」が権力行使の「下請け」として使われる事については、
「論理的に権力構造を把握する」ためのテーマとして採り上げなければならない。
この探求作業が為されていないがために倫理的問題として扱って、使い物にならない頓珍漢な結論を導き出して国民の政治活動の進歩を阻害させる結果を招いているのである。
暴力団やヤクザ者を権力行使に使う事は、当該権力が弱体だからである。
江戸幕府が「ばくち打ち」に十手を与えて取り締まりの手先に使ったのは、自らの「権力波及力の不足」を補う為の事である。
「民に知らしむべからず、寄らしむべし」として政治権力を独占した武士階級は民を弱体化して統治するという安易な姿勢に流れた為に、民は政治的には精神的虚弱状態に陥り、武士の統治を補完補佐する能力を失ってしまった。
従って、武士下級は犯罪対策の協力者として乱暴者で亜犯罪者の「ばくち打ち」を手先として頼らなくてはならなくなった訳である。「安きに流れた報い」と相成った訳である。
民に政治力を着けさせようとして民を育てる事に努めていたならば、この様な事態は招かなかった。
戦後政治において自民党は自らの特権維持の為だけに努めた為に、勤労人民は自民党に頼る事は出来ず、そのために共産党と創価学会が勤労人民の面倒を見ることになり、共産党と創価学会公明党は大躍進をしたのである。両団体は民を自らに寄らしめたのである。彼等を頼る民は彼等に自らを預けた。
この事は真に自民党の不徳の致すところである。
徳川幕府の統治の後を継いだ明治政府は、そして明治維新体制の日本の政治指導者たちは武士階級と同様に国民に「政治力」を着ける努力をまるで怠ってきた。
国民に教育力と武力を着ける努力を行っても「政治主体」として育て上げる努力はして来なかった。
「国家国民の指導者」の任務の一つには「国民の政治的育成」がある筈である。
それが行われないと国民は何時までたっても"一人歩き"が出来なくなるのである。
総理大臣や防衛大臣が、たかが暴力団の一人が引き起こした「卑劣な平和市長暗殺事件」に恐れおののいて外国訪問において相手方の要求に従うのみで交渉を放棄し、さらには諸外国に対して八方美人に振舞う有様は、「国民から浮いた政治権力の『虚弱性』」に由来する。
国民に「政治を打ち立てて、自らがそれを護って行く力量」が備わっていない事がこの様な結果を招いている。
米国の歴史においても政治統治力が弱体なところでは乱暴者に治安維持の下請けをやらせてきた。
有名な保安官とされているワイアット・アープの例を見ると興味深い。
彼は賭博の胴元もやっていたのであり、清水の次郎長の様な人物であった。
http://www.colkid.com/colkid-gunleather-0130-wyattearp.htm
☆ ワイアット・アープという人 ☆
ワイアット・アープは、ダッジ・シティで保安官を務めていましたが、その後1979年トゥームストンに移り住みます。銀で沸きかえるトゥームストンの町の、酒場の賭博を取り仕切り、一儲けするつもりでした。そこでバージル、ワイアット、モーガンのアープ3兄弟が集結します。
しかし兄弟は、現地で幅を効かせていた、カーリー・ビルを首領格とする「ならず者」の集団、カウボーイズと対立していくことになります。やがてバージルが、トゥームストンの市保安官を引き受けることになります。当時は保安官といっても、ならず者と紙一重で、以前はお尋ね者だった人も多かったといいます。何よりも銃が扱えて、ならず者たちを制圧する能力が要求されたのです。そこに、博打うちで肺病に犯された元歯医者のドク・ホリディも参加し、アープたちに加勢します。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AF%E3%82%A4%E3%82%A2%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%97
ワイアット・ベリー・スタップ・アープ(Wyatt Berry Stapp Earp, 1848年3月19日 - 1929年1月13日)は、アメリカ西部開拓時代の保安官。
アープの例を見ると、日本での国家権力・地方権力の暴力団との「癒着構造」と全く同じであることが解ります。
つまりこれは「癒着」ではなく、「権力構造そのもの」なのです。
末端では、行政権力と暴力団とが相互乗り入れをしていて体質を共有し合っているのです。
これを克服する道は一つしかないのです。
即ち国民自身が政治に責任を持つようになって自ら政治を担うようになる他はありません。
それが出来るようになれば、この様な「弱体政治」は無くなります。
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