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2007年05月02日
久間防衛大臣の訪米に思う
久間防衛大臣の今回の訪米は、かつてのどの防衛庁長官の訪米にも見られなかった異例な訪米に終わった。歴史に残る最悪の訪米であったと記憶されるであろう。自らの対米批判発言で米国を怒らせた久間大臣は、イージス艦機密漏洩の責任問題までも抱えて、敢えて訪米した。これでは対等な協議は望むべくもない。負い目を負った訪米は安倍首相ひとりで十分だった。
久間大臣の迷走ぶりは今振り返って考えてもお粗末なものであった。イラク攻撃は誤りだったと言ってブッシュ大統領を批判した久間防衛大臣は、普天間基地移転問題では「あまりやかましく注文をつけるな」と文句を言った。当時日本のメディアの中には、あれは久間大臣の信念に基づいた計算された発言であったなどと、まことしやかに報じるものもあった。とんだ見当違いだ。単なる軽率な失言に過ぎなかったのだ。安倍首相は久間大臣を更迭して米国の批判を封じるべきであった。失言による辞任が不名誉というならば、イージス艦機密漏洩の責任をとっての辞任という事もできた。それだけの深刻な漏洩事件であった。更迭が正しい政治的対応であった。
しかし安倍首相はそういう政治センスに欠けていた。久間防衛大臣も失言の影響の大きさに対する自覚と責任感がなさすぎた。その後の迷走ぶりは哀れですらあった。チェイニー訪日時には面会を拒否され、日本国民の前で辱められた。それを許す防衛官僚も情けない。親分をここまでコケにされて、なお宗主国米国の指導者にひれ伏す様は、国防を預かる者の矜持のかけらも感じられない。小役人根性そのものである。
米国の反応に震え上がった久間大臣は、自らの発言の釈明に追われた。その負い目は自らの政策判断の放棄にまでつながった。沖縄の意向を重視すると言っていた普天間基地移転先のキャンプ・シュワブ「V字形滑走路」について、「米国には逆らえないところがある」とうそぶいて丸呑みし、その負担を沖縄県民にしわ寄せした。ついに安倍首相は4月27日の首脳会談で沖縄住民の了承のないままに、「合意通り着実に実施する」と表明してしまった(5月1日日経新聞)。これから沖縄県民にどう説明するつもりであろうか。
今回の訪米は米国内の不信感を解消するための「我慢の旅」(5月2日読売新聞)であった。米国に着いて真っ先に訪れたのは、対テロ戦争で中心的な役割を担うフロリダ州タンパの米中央軍司令部だった。ファロン司令官は不在で、対応したのはニコルス副司令官であった。日本関係者はこれに不快感を示すのでもなく、「まだ米国は怒っているのか」とおびえていたという(5月2日 読売新聞)。その副司令官に、久間大臣は聞かれもしないのに「引き続きバックアップしたい」と伝え、会談後の記者会見では、イラクの安定化に向けた米軍の増派について「私は支持します」と言い切った。驚いたのは、その記者会見で、ブッシュ大統領の増派決定を「最後の賭け」と言った事だ。一歩間違えばまたしても失言になりかねなかった発言である。「増派をしてでもやる、という決意を高く買う」とごまかして批判を免れた。
ゲーツ国防長官との会談では冒頭から約30分も久間大臣が一方的に釈明につとめ、会談時間の7割は久間が話してゲーツ長官がコメントを付け加えるだけだった(5月2日 日経新聞)。あげくの果てにゲーツ国防長官には「防衛省だけでなく、日本全体の問題だ」といわれる始末である。安倍首相はこれをどう聞くか。
こんな状態で2プラス2会談を行ったのだ。麻生外相もまた、「青い目(白人)がやるから中東はうまくいかない」などという失言を犯して精彩を欠いている。とうていまともな対米外交などできるものではない。米国の要求するミサイル防衛計画への協力の前倒しを合意して帰ってくるだけのセレモニーだ。集団的自衛権の議論や憲法改正などの議論はもはや不要なのである。すべては米国の言うとおりに進められていく。戦後62年経って、ここまで対米従属が完成したという事だ。日本はどうなっていくのか。
http://www.amakiblog.com/archives/2007/05/02/#000361
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