★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK34 > 134.html ★阿修羅♪ |
Tweet |
矛盾のし掛かる3期目の石原都政(上)
勢いも、凄みもない「裸の王様」青木 理(2007-04-09 00:38)
街頭演説で支持者の声援に応える石原慎太郎氏(3月28日、東京・新宿) (撮影者:吉川忠行) 下馬評通り、東京都知事選は石原慎太郎氏の圧勝で終わった。だが今回の当選は、果たして石原氏にとって幸せなことだったのか。選挙結果を聞き、まず浮かんだのはそんな懐疑だった。
私はこの何カ月か、2期8年の石原都政を検証する取材を続けてきた。その結果は講談社発行の月刊総合誌『現代』の4、5月号に『石原慎太郎「モノ言う知事」の品性と功罪』と題して発表した。興味のある方はぜひ参考にしていただきたいが、この取材を通じて多くの都庁幹部や職員、都関係者らと会い、話を聞いた。
彼ら、彼女らは、ほとんどが石原都政を嫌忌し、憤っていた。実際、 おひざ元の都庁では職員の心がすでに石原氏から離反していることを示すデータもある。
例えば都政専門紙『都政新報』が昨年11月、300人以上の都職員に実施したアンケートによれば、回答者の半数以上の56・3パーセントが石原氏の3選出馬に反対し、部長級以上の幹部職員では62パーセント、課長級では66パーセントが「石原氏は3選出馬すべきでない」と答えていた。
石原氏をめぐっては、昨年暮れから豪華外遊や高額接待、あるいは4男を都の美術事業に関わらせていた実態などが問題化し、「都政私物化」ぶりが批判を浴びた。だが、アンケート実施はそれより前にあたる。つまり、「都政私物化」批判を抜きにしても、都職員の大勢は石原都政継続に否定的だったことになる。今回の選挙で示された判断とは対照的だ。
なぜこのような状況に陥っていたのか。取材に応じてくれた人々が挙げた石原都政の問題点は数多い。「独善的トップダウン」と「側近政治」の弊害はその代表例だが、2期8年で積み重なった矛盾は3期目の石原氏に重くのしかかってくるはずだ。
新宿区にそびえる東京都庁 (撮影者:OhmyNews編集部)■側近の専横
石原都政の「側近政治」を象徴したのが浜渦武生氏だ。石原氏が衆院議員時代から秘書を務めた浜渦氏は、「懐刀」とも「片腕」とも評される石原氏の最側近である。過去に何度か暴力沙汰を起こすなど適格性に疑問もあったが、石原都政発足の約1年後に副知事に就くと、週に2、3日しか登庁しない石原氏の“名代”として都政に専横を振るった。
その弊害は数知れない。石原氏の威を借って人事と情報を独占し、浜渦氏を通じなければ都職員の声は知事に届かない。重要案件はすべて浜渦氏の了解が必要とされたが、気に食わぬ都幹部とは会おうとしない。仕方なく職員は浜渦氏に「お手紙」を出して意向を伺った。だが、意に沿わぬ都職員は公然と怒鳴られ、恫喝(どうかつ)され、時に降格された。「副知事様、申し訳ございません」などという「詫び状」を書かされた職員も多い。
「とにかく仕事にならなかった」と都幹部の1人は嘆息して振り返る。
組織とは不思議なものだ。浜渦氏への反発が渦巻く一方で、進んで忠誠を尽くす人物も生まれる。ある都幹部によれば、「浜渦さんへの『お手紙』は手書きの方がいいらしい」などと真顔で言う職員も現れた。次第に都庁中枢にはイエスマンばかりが目立つようになり、耳に痛いことも諫言する幹部は姿を消していった。死屍累々。都政は当然、荒廃する。
これは何も浜渦氏だけの責ではない。都官僚の側にも問題はあったし、何よりも最大の責は石原氏にある。都庁にほとんど姿を見せず、都政を丸投げしたのは石原氏にほかならないのだ。しかし、浜渦氏も2005年7月、ついに更迭に追い込まれた。自民党都議の実力者らを追い落とすため、都議会でヤラセ質問を依頼していたことが問題化したのが原因だった。要は都議実力者らとの権力闘争に破れたに過ぎないが、石原氏は都政中枢から「最大の片腕」を失った。
結果、どうなったか。石原氏は相変わらず週に2、3日しか登庁しない。しかし、都政中枢から「名代」は消え、都職員の心も離反している。ある与党都議は「石原知事は今や自民、公明の上に乗っかっているだけの存在」とまで語っていた。石原都政には今、善かれ悪しかれ当初のような「勢い」もなければ、「凄み」もない。「裸の王様」のような状況下で石原氏は3選を勝ち取ったのである。
(後編に続く)
http://www.ohmynews.co.jp/news/0/6645
▲このページのTOPへ HOME > 政治・選挙・NHK34掲示板
フォローアップ: