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□時評2007慰安婦決議が問う安倍首相の「保守」=中西寛 [中央公論]
http://seiji.yahoo.co.jp/column/article/detail/20070424-04-0501.html
2007年4月25日
時評2007慰安婦決議が問う安倍首相の「保守」=中西寛
米下院で上程された慰安婦問題に関する決議をめぐり、安倍首相のコメントが波紋を広げている。決議は、一九九三年に宮沢内閣の河野洋平官房長官が発表した談話を尊重し、謝罪や教育への反映を求めるものであり、これに対して安倍首相は「狭義の強制性はなかったと考えている」と発言して、河野談話を否定するかのように受け取られた。その後、政府は辻元清美議員の質問に対する答弁書で、河野談話の基礎となった資料でも「軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述は見当たらなかった」と述べる一方で、河野談話を継承する意向を示し、問題の収束を図ろうとしている。
この決議は提案者のマイケル・ホンダ民主党議員らが過去何度か提出してきたものであり、民主党が議会多数派となったことなどから成立する見込みが高まっている。決議自体が日米関係に影響する可能性は小さく、日本国内で論争が高まることや、この段階で日本政府が表立ったロビー活動を行うことはかえって事態を紛糾させるであろう。日本政府としては火に油を注ぐことは避けるのがよい。
ただし、今回の決議は、慰安婦問題を含めた歴史認識をめぐる論争が歪んで米国にて政治問題化するという構造を改めて示した。その点では靖国神社問題やアイリス・チャン氏が火をつけた南京虐殺問題などとも類似する。私は、閔妃殺害事件や張作霖暗殺、柳条湖事件など日本が行った謀略だけでも、帝国主義時代でさえ正当化しがたいし、朝鮮統治や戦争中の日本軍の行動も非人道的な側面を多く持っていたと考えるが、日本のアジアでの行動については事実関係が不明瞭なことも多くあり、曖昧な反省や謝罪を行うよりも実態究明のために日本政府が誠意をもって内外の研究者を支援することを優先するべきだと考えてきた。河野談話やその基礎となった調査が性急な形で行われ、その反動として極端な否定論を呼び起こした面も否定できないと思う。日本政府としては客観的事実として明らかな過去の非については率直に認めるという姿勢を貫くことが、中韓だけでなく、米国を始めとする国際社会で日本の信用を高める方法だと思う。
それにしても安倍首相の発言がこれほど波紋を広げたのはなぜだろうか。靖国神社参拝について言及しないという方針で中国、韓国との首脳外交の再開に成功したものの、支持率が下降気味の首相がそろそろ「歴史カード」を切るのではないかという永田町的な観測もないとはいえない。
しかし、より本質的な問題は、首相の思想的曖昧さへの問いかけにある。つまり首相の標榜する「保守主義」とは何を意味するかという疑問である。首相の著作『美しい国へ』を読んでみると、首相はこの言葉を二重の意味で使っているようである。一つは、日本古来の伝統や歴史を尊重する立場としてであり、それは明治維新政府を支え、祖父岸信介元首相に受け継がれた長州の思想的系譜に連なる。もう一つは、アメリカにおける「リベラル」批判の文脈で、平等主義的な「大きな政府」に反対する立場とされる。そこには東京で生まれ育ち、アメリカ留学を経験し、父安倍晋太郎の外相秘書官を長く務めた都会派の感覚が窺える。
この二つの顔は必ずしも矛盾するものではない。日本の伝統の中に自由や民主主義の要素を見出し、アメリカの保守主義との協調を主張することは不可能ではないからである。しかし首相が関心を持つ憲法や教育、さらには歴史認識問題となると難しい事態に直面することになる。戦後六〇年間、日本が自由民主主義と平和と繁栄を謳歌したことは確かであり、その成果は誇ってよい。しかしそのことと「戦後レジームの見直し」を掲げることに矛盾はないだろうか。
約六〇年前に制定された憲法や教育基本法が時代に即さなくなったなら、その修正を提起することには文句のつけようがない。しかし連合国の占領の正当性を否定するところから議論を始めるなら、首相は激しい国際的抵抗を覚悟しなければならないだろう。現在世界で進んでいるのは、連合国が作りだした戦後秩序の修正ないし再編ではあっても、否定ではないからである。日米同盟を対外政策の基礎とする安倍首相にとって、首相の「保守主義」も前者の範囲内でのみ可能であることを、今回の慰安婦決議問題は改めて示したといえよう。
(なかにし ひろし 京都大学教授)
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