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歴史上の謝罪外交についての雑感
2007年04月15日(Sun)
Category経済の視点から
まずは「カノッサの屈辱」が印象深い。神聖ローマ帝国皇帝ハインリヒIVが真冬の雪の降る中に3日間立ち続け、ローマ教皇グレゴリウスVIIに謝罪した事件。時は西暦1077年。教皇権の強まりを知らしめた事件だと教科書に書かれているが、実際のはその後、意外な展開となった。数年後にハインリヒはグレゴリウスを追放し、グレゴリウスはサレルノで1085年に死んだ。勝ったのはハインリヒだったのだ。
それから約900年後の1970年、ドイツ首相ブラントはポーランドのワルシャワに出かけて行って、ゲットー跡地で、文字通り、地面に跪いて謝罪した。ドイツの首相はそれからもたびたび東ヨーロッパに謝罪し続けた。すると、東ヨーロッパ共産圏はあまり長くかからず崩壊した。ここでも勝ったのは謝罪した側だ。
ドイツとポーランドの間の外交には、ドイツの指導者たち、ドイツの民、ポーランドの指導者たち、ポーランドの民という、大まかには4者が絡んでいた。ドイツの指導者たちがポーランドに謝罪を続けた結果、ポーランドでは指導者たちと民が乖離し、指導者たちは力を失った。
その後のヨーロッパ外交は謝罪合戦が繰り広げられた。フランスは民間レベルでだが無理やりユダヤ人に謝罪した。かつてドイツ人に濡れ衣を着せていたイェドバブネでのユダヤ人虐殺事件について、ポーランドは公式に謝罪した。1845年のジャガイモ飢饉について、イギリスは1997年に公式謝罪した。最近では、奴隷貿易についてアフリカ諸国に謝罪するかどうかを検討中だ。
謝罪する側があまり金もかけないのに外交で優位に立つことが多いことに目を付け、ビジネス書にも大げさな謝罪で主導権を握るテクニックが紹介された。
アジア外交における日本の指導者の謝罪はどうも迫力に欠ける。その上、別の政治家が変なことをいうので、せっかくの謝罪がたびたび台無しになってしまう。日本が中国につぎ込んだ6兆円は、外交上の効果としてブラントの土下座にまるで及ばない。
東アジアで日本はどうも孤立しがちだ。一方、ヨーロッパでドイツは通貨統合にまでこぎつけた。
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