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07年4月:無党派とは何か
2007.04.16 Monday 18:37
注目されていた統一地方選挙前半戦は、結局現職首長の圧倒的強さが確認される結果に終わった。今回の選挙には、無党派層と呼ばれる人々の政治的な思考様式が現れたように思える。
東京都知事選挙で三選を果たした石原慎太郎氏と、広島市長選挙で同じく三選を果たした秋葉忠利氏とは、政治信条や政治手法においておよそ対極に位置する。石原氏は好戦的な発言を繰り返し、女性や外国人に対する蔑視発言に現れているように、人権感覚など持ち合わせていない。秋葉氏は、平和と人権を政治の基本に据えており、核兵器廃絶運動のシンボルである。両者が、それなりに有力な新人の挑戦を易々と退け、無党派層の支持を獲得して楽勝したことは何を意味するのであろうか。
まず明らかなことは、無党派層は平和主義あるいはナショナリズムといった特定の主義について、中身を理解して共鳴しているわけではないということである。情報化が進んだ今日、東京の無党派層はタカ派で、広島の無党派はハト派だなどということはあり得ない。リーダーが発する言葉の意味よりも、リーダーが持つ存在感、あるいは彼らがかもし出す磁場のようなものに無党派層は引かれるのであろう。そして、石原にも秋葉にもなびきうるということは、無党派層は磁力の絶対値を問題にしているのであって、その方向には無頓着だということを意味している。
こうした傾向は小泉時代に顕著になっていたが、小泉という特異なリーダーが退場しても依然として続いている。要するに、日本人と政治の関わり方が変わったということであろう。伝統的な民主主義の理論においては、国民は政治家・政党が示した政策を比較吟味し、自らにとって最も好ましい、あるいは有利になる政策を示す候補者を選ぶという論理が前提とされていた。しかし、小泉時代にはこの前提が崩れてしまった。労働分野における規制緩和や社会保障分野における小さな政府路線は、勝ち組にあらざる大多数の普通人にとって不利な政策であった。まさに人々は自分たちに不幸を押し付ける政治家に歓呼の声を上げたのである。今回の東京都知事選挙では、「ババア発言」に見られるように女性蔑視を公然と語る石原知事を、他ならぬ中高年の女性も支持した。政治家に対する評価基準が崩れているとしか言いようがない。
現実の世の中では、小泉時代に弱者も支持した冷酷な構造改革の効果により、貧困、地域格差の拡大、医療の崩壊など、矛盾が累増している。この地方選挙や七月の参議院選挙では、そのような矛盾を是正するための方策について論議し、選択することが求められるというお決まりの論評を私もしてきた。しかし、事態はそうした民主主義の常套句を受け付けないほどに深刻化している。まっとうに人権や平等を訴えても、強力な磁場から発されたメッセージでなければ、普通の市民に届かない。民主主義や人倫に反するメッセージでも、強力な磁場から出てきたものは届いてしまう。
石原知事の圧勝を見て、東京の無党派などいい加減なものだと叫びたい衝動に駆られる。とはいえ、秋葉市長を選んだから広島の無党派は偉いと持ち上げるのも(個人的にはそうしたいのは山々であるが)、やはり的外れである。無党派層に対して言葉がしだいに通じにくくなっても、やはり政治を変えるためには言葉によって問題を説明し、言葉によって対策を議論する以外に、方法はない。たとえば、民主党の言う「生活維新」などという訳の分らないスローガンではなく、医療や介護のサービスをいかに確保するか、そのためにどれだけのコストを負担するかという具体的な議論から始めなければならない。(中国新聞4月15日付)
| 山口二郎 | その他の新聞 | comments(3) | trackbacks(0) |
Comment
2007/04/17 5:59 PM posted by: しょうじ
こんにちは。山口先生の論評をいつも興味深く読ませてもらっています。
広島県在住です。広島市民ではありませんが、秋葉氏を応援し、選挙を手伝いました。
秋葉氏の勝因は、クリーンであること、地味ながら財政を健全化させたこと、力強い平和宣言を発すること、品格ある風貌であることではないかと思います。
柏村氏の敗因は、参院選で無党派で当選しながらすぐ自民党に入った変節ぶり、これが非常に大きなウェイトを占めると思います。
>情報化が進んだ今日、東京の無党派層はタカ派で、広島の無党派はハト派だなどということはあり得ない。
おっしゃる通りで、人々の考え方にあまり地域差はないと思います。
ただ、広島は原爆問題が身近にあるため、(普通なら左翼的だ、と敬遠されるであろう)「平和」が抵抗なく、むしろ非常に大事なこととして受け入れられる雰囲気があります。その点は他の地域と異なるのではないかと思います。
あと広島は大都市とはいえ、ほどほどの規模です。東京に比べて、(言い方は悪いですが)地縁的、血縁的なつながりが強いと思います。祖父母が政治家の後援会に入っていて、政治家を身近に感じている、という若者が多いんじゃないかと思います。
東京は住んだことがなく、あまり知らないので比較ができないのが辛いですが……。
2007/04/17 6:47 PM posted by: しょうじ
度々すみませんが、補足です。
広島市長選の候補者だった柏村氏には、元地元テレビキャスターとしての大衆的人気と、政治家になった後の変節ぶりによる嫌われよう、という得票数を大きく左右する二つの要素がありました。
二つのうちどちらがより大きな影響を与えるのかな?と思っていました。選挙結果を見ると、後者(嫌われよう)の方が大きかったようですね。
2007/04/19 10:32 AM posted by: ともみつ
いつも興味深く拝読しています。「生活研」のブックレットもいくつか読ませていただいています。いわゆる全労連系ですが、先生のような活動が今求められていると実感しています。触発されて書いたブログをお送りします。
「政治の磁場−左に振る力の結集を」
現在の政治状況を「無痛覚症」あるいは「痛覚喪失」という学者がいる。「新自由主義的政策」によって痛みを受けているはずの弱者が、それを作り出した政治家に投票するという極めて不思議な現象をそれで説明する。
「茹でガエル」の実験に通じる。熱いお湯にカエルを放り込むと熱さに驚き飛び出すが、水にいれ徐々に加熱していくと知らぬ間に「茹でガエル」になるというもの。
果たしてそうだろうか?
マニフェスト選挙といわれる。マニフェストとは、従来の公約と違い「苦い薬」の入った政策体系のこと。「苦い薬」は、「痛み」といっても良いかもしれない。
痛覚が麻痺したのでも痛点が希薄になったのでもなく、痛みについての考え方が変化し、痛みの「ツボ」が変わってきているのだとしたらどうだろうか。
公約の羅列は信用されなくなった。「甘い言葉」や「非難する言葉」には、反応しなくなった。少なくとも反応する層が少なくなったのではないか。
「心地よさ」「正当性の主張」への疑りの反対として、「痛み」に対する許容力が出てきているのではないか。
山口二郎氏は、現在の投票行動を悲観して「磁場の力」で表現する。革新か保守化の磁場のベクトルではなく、磁場の絶対値の強い方に「票」は吸い寄せられると。
とすると、磁場力の弱い「甘い言葉」や「非難」は嫌われるが、それがある一点を越えた時点で吸引力を獲得する、と解釈できるのか。不安の裏返しとしての「強さ」への希求とも取れる。
そうであれば、何も真新しいものではなく、怖い時代の再来を予感させる。
そうさせないためには、何が必要か。右ではない左の磁場だ。
ヨーロッパでは、右と左の磁場の間を振り子はゆれる。政策の行き過ぎを普段の政治行動で是正させると同時に、選挙で振り子を振ることによってバランスさせる。
「利益誘導」「地縁血縁」「公約の羅列」等々従来の磁場が効かなくなりつつあるのは事実。政策の磁場の力も増している。
ただ足りないのは、それらをもう一方の極に集め魅力ある政策体系にまとめ上げる力だ。「白紙委任」ではない、参加意思の伴った未来への付託を獲得する力だ。
振り子が触れるためには、強力な左の地場がいる。
いま、日本の政治にはそれが求められているのではないか。
http://yamaguchijiro.com/?eid=568
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