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<停職6ヶ月「出勤日記」・4>「日本の教員組合はなぜ立ち上がらないのか」と仏人記者
4月16日(月)
八王子は朝から雨。立川は、2時間くらいは何とかもったが、あとは冷たい雨。3月の気温とか。たっぷり着込んだつもりでも、午後は寒かった。
朝は道が混んでいて、遅刻ぎりぎりの生徒が駆け込む時刻に到着した。「朝ごはん食べてきた?」「目覚めた?がんばろう!」などと声をかけ、校舎内に入っていく生徒たちの後姿を見送った。
通行人はとても少なく、でも2人の方が声をかけてくださった。一人は立川市の職員とおっしゃる男性。「何かしなければ、と思います」と。もう一人は、70歳前後と思われる女性。「世の中、右に向かってますね」と。この門の前に立つこと3年目にして、初めて出合う人がいるものだ。
昼休みには3年生が初めは2人、次に5〜6人、「がんばってますね」と言って面会に来た。見ると、その一人は朝駆け込んだ中の一人だった。彼らが1年生の時に3時間ほど授業をした、それだけの関係だったのだけれど…。「おれの名前、おぼえている?」「ぼくは?」――「ゴメン。顔は覚えているよ」。5校時を告げる予鈴がなり、「じゃあね」と走っていった。
下校時は、まだ部活動が始まっていない1年生に「さようなら」の挨拶をかけた。違和感なく、挨拶を返してくれる開放的な生徒がかなりいた。
今日は寒さと雨に耐えながら、原稿を書いて過ごし、3時に「退勤」。
4月18日(水)
今日も雨が降ったり止んだりの寒い1日。南大沢学園養護学校へ。7時45分頃到着すると5分経つか経たないかで、副校長の一人が私の見張り役で出てきた。
出勤する職員や生徒たちに挨拶をしていると、一人の男性が私の前に立って言った。「校長のOです。ここに立たれると迷惑なんですが」。入学式の朝、苦情を言いにやってきた時が初対面、今日は2回目で顔を覚えるまで行っていなかったので、「校長でいらっしゃいますか」なんてとぼけたことを言い、何が迷惑なのかを訊いたが、それには答えずに、中に入ってしまった。隣にいた副校長に同じことを訊くと、「近所から何か言われるかもしれない」とのこと。「そういう場合は、直接本人に言ってください、とおっしゃってくださいね」と伝えた。でも、ここは全く人通りがないから、近所から苦情が来るなどということがあるだろうか?
再び校長が出てきて私に、経営企画室から書類が郵送されたかを訊く。昨年から都立学校は「事務室」とは言わず、「経営企画室」といういかめしい名称が使われている。私は校長に、「事務の方にお聞きしたいことがたくさんあるので、後で訪ねます」と言うと、「訊きたいことは電話でお願いします」の一点張り。立て続けに3度「電話でお願いします」と言うと、校長は門の中に入って行った。
ここから見える、門から10メートル先にある経営企画室の人に直接訊くのは禁止とは、停職被処分者に対し何と形式的な、非人間的な対応をするものや!などと思っていると、今度は校長、副校長1人、経営企画室の方2人が「話があるなら外で聞く」とやってきた。いやはや・・・。都立学校では、これが常識なんだろうか?校長の判断ではなく、都教委の判断であることは明々白々。校長はどんな気持ちで私に対面しているんだろうか?
お子さんを送ってこられたおかあさんが、プラカードの文字をじっと見ていらっしゃる。「これ、私なんです」と自己紹介をし、なぜ立てないか、どんな処分なのかを説明した。「立たなかっただけで、(この処分)ですか?!」と驚かれる。「今まで疑問にも思わず、立って来ました。なぜ、なんて考えてもみませんでした」とおっしゃる。これをきっかけに考えてもらえたらうれしい。
体の大きい男子生徒もプラカードを見て、どうしたのかを訊く。「卒業式で『国歌斉唱』があるでしょ。私、そのとき立たなかったの。そしたら、9月まで学校に来てはだめって言われたの」と話すと、「かわいそう」と言う。
この学校の人以外道を通る人はまずいないので、始業と同時に読書を始めたところ、次々に子どもたちが教員たちと何組も出てくる。走るクラス、お散歩に行くクラス。「行ってらっしゃい」と声をかけると、返事が返ってくる。手を握って応えてくれた子もいた。名前を訊かれたり、私も訊いたり。エプロンと三角巾を着けた生徒たちに、何をするのかを訊くと、「喫茶です」という。道を挟んで隣接する公園の一角にある建物で毎週水曜日に喫茶室を営業・実習するのだそうだ。早速行ってココアを注文し、暖まらせてもらった。
今日は訪問者が2人。
夕方は、新宿でフランス人記者の取材に応じた。10・23通達と都教委の攻撃・弾圧についてインタビューに答えると、記者は、「フランスでこのようなことが起きたら、教員たちは黙っていない。皆立ち上がります。日本の教員(組合)はなぜ、おとなしいのですか」とも訊かれた。この差は、やはり教育にある…。
4月19日(木)
鶴川二中へ。家を出る時には降っていた雨が、学校に着いた時には上がっていたけれど、今日も寒かった。登校してきた一人の生徒が、「石けんありがとうございました」と言ってくれた。3学期の授業で廃油を使って作り、寝かせておいた石けんが配られたのだった。この生徒の気持ちがうれしかった。
午後は、「日の丸・君が代」裁判の傍聴と集会のはしごをした。
4月20日(金)
8時、都庁に。出勤する人たちにチラシを配り、マイクで訴えた。チラシ配りは初めてという若い人の参加もあって、総勢14人。マイクの訴えも2箇所で行なって、楽しいチラシ配りになった。
その後都教委教育情報課に「処分をしないでください」の署名の追加分を、処分は発令されてしまったけれど、署名してくださった全国の人たちの気持ちを届けに行った。
教育情報課のある30階は、恒例の、私たちだけにする差別的な警備体制が敷かれている。入り口を閉め、「東京都教育委員会」の腕章をつけた2人の職員が立って、私たちの入室・面会を妨害する。「集団で来るから」妨害するのだと言う。警備員も数人配置されている。
面会を求めても私たちは中に入れてはもらえず、しばらくして係長を名乗る人が出てきて、室外で対応した。教育情報課の係長は、入れ替えがあったとのこと。後任の係長だった。前任者は1年で異動。1年じゃ、仕事を覚えるだけで精一杯で、発展的継続的な、都民の利益に資する仕事などできるはずがない。都教委、都庁での部署の異動も、石原都政になってから、特にこの数年は短期間過ぎて、職員の間でも批判が多いと聞く。都政及び都教育行政を都知事の嗜好で弄ばないでもらいたい。
来週面会する約束をし、その時間と場所をファックス連絡することを確認して終えた。
午後は、鶴川二中の離任式に参加した。それぞれの離任者一人ひとりに、代表の生徒が「ことば」を述べてくれ、花束の贈呈。私は授業を受けての、身に余る「ことば」をもらい、うれしくありがたかった。
私からの挨拶は、何日かあれこれ考えたうえで、生徒たちが私に対し、ずっと疑問に思ってきた、なぜ起立しないのか?ルールを守らないのか?について、その疑問に答えようと少しだけ話しをした。「人と違うことを言うのは、60に近い私にとっても、勇気の要ることです。だから今、どきどきしています」と前置きして。
「私は『君が代』が嫌いだから立たないのではありません。知り考えることをさせずに、ただ立ちなさい、歌いなさいというのは、学校がしてはいけないと私は思うから、立てないのです。皆さんは、『君が代』の歌詞の意味や歴史を知っていますか?教育委員会がなぜ皆に歌ってもらいたいと思っているのか、知っていますか?考えたことありますか?
『斉唱』の前に、『君が代』について学び、考え合う。それが学校のすべきことだと私は、思うのです。行動する前に考えるのは、『君が代』に限りません。
私は30数年間教員として生徒たちに、『考えて行動しよう。みんながやるから、誰かから言われたからやるのではなく、自分で考えて行動しよう』と言って来ました。私自身もそう生きようとしてきました。人間は考える葦である、と言うでしょう。人間は考えるから人間なのです。皆さんには何事も、自分の頭でよく考えて行動していってほしいと願います。
常識、と言われることについても、です。『それは常識』、で済ませるのではなく、疑問を持ち、考えていってほしいと思います。時代や社会によって、常識も変わります。一例を挙げます。今『戦争反対』と言うと、誰もそうだ、と思うでしょう。でも、60数年前は、牢につながれたという歴史があります。
どんなことについても流されずに、自分の頭で考え、行動していって下さい。そして、思いっきり自分を生きてください。1年間ありがとうございました。お元気で」。
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