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2007年04月19日
暴力を容認する政府とそれを黙認する我々が長崎市長を殺したのではないか
長崎市長が殺された。皆は口をそろえて「あってはならないことだ」、「民主主義の敵だ」、「暴力に屈してはいけない」などと当たり障り無いコメントを繰り返す。しかしそんなことで弱者を黙らせる不条理な暴力が防げるとでも言うのか。
これまでにも政治家を襲う暴力はあった。「私も選挙期間中に火炎瓶を投げつけられた経験をしているんですから」と安倍首相は言ったらしい。しかし背後から至近距離で銃弾を撃って即死させた犯人のやり方は脅しやいたずらではない。このような明確な殺意を持ったテロは特異だ。
山口系組織暴力団の代表代行という幹部の反抗である。何故そのような組織が放置されてきたのか。何故銃が日本でほしいままにされているのか。「伊藤市長を殺して自分も死のうと思った」犯人が何故その場で自分の頭にピストルの弾を撃ち込まずに逃げようとしたのか。メディアも国民も何故その事に焦点をあてないのか。右翼と組織暴力団の境があいまいになりつつある今の日本では、間違いなく暴力による言論封鎖は繰り返される。普通の人間であれば間違いなく言動を抑制することになる。自分だけは被害者になりたくないと考える。この事件は暴力を容認する政府とそれを黙認する我々が起こした事件ではないのか。
何故かむしょうにアミラ・ハスの「パレスチナから報告します」(筑摩書房)という本を読みたくなって、今それを手にしている。イスラエル人でありながらパレスチナ自治区に住んで、苛烈を極めるイスラエルの占領の実態を世界に訴え続けた女性ジャーナリストの6年間にわたる告発記録である。この本を最初に読んだ時の深い感動を私は忘れることはできない。それはパレスチナ抵抗史上に残る最も苛烈な期間(97年―03年)のイスラエル占領政策の実態を誰よりも正確に伝えているからだけではない。世間が褒め称えた「オスロ合意」を「決して混乱に終止符を打つものではない。それどころかアパルトヘイト(人種隔離政策)に行き着くものだ」と喝破し、「パレスチナ問題の本質はイスラエルのパレスチナ人弾圧政策にある」と公言した勇気が私の心を勇気付けたからだ。
「私は傍観者にはならない、傍観者である事は無関心だということです。不正義に対し何もしないことこそ、悪を許すことなのです」と断言し、「ジャーナリストは弱者を追跡するスパイになるべきではありません。強者をこそ追跡するべきです」と述べるアミラ。そのアミラが全身、全霊をかけてパレスチナの現状を訴えてみても世界にその声は届かない。それはあたかもギリシア神話に出てくる美少女カッサンドラの如くである。天賦の予見能力に恵まれながらアポロンの怒りに触れ、語る言葉のすべてが人に届かない魔法をかけられたあのカッサンドラである。しかし私には聞こえる。真実を語り続けるアミラの言葉がいつかは正しかったと証明される時が来ると。
敵を恐れることはない。敵はせいぜい君を殺すだけだ。
友を恐れることはない。友はせいぜい君を裏切るだけだ。
無関心な人びとをおそれよ。彼らは殺しも裏切りもしない。
だが、無関心な人びとの沈黙の同意があればこそ、地上には
裏切りと殺戮が存在するのだ。
http://www.amakiblog.com/archives/2007/04/19/#000346
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