Subject: [kimi-net:0355] 浅野氏の敗因分析佐々木です。
4月14日朝日新聞朝刊で浅野史郎氏が都知事選について語っていました。浅野氏
当選に一縷の望みはかけていましたが、終始ほとんど傍観的立場にいた人間とし
てあまり批判がましいことは言えません。しかしこの記事からはかなり強烈な違
和感を感じました。
「何が敗因か」の問いに浅野氏は「『石原都政、我慢できますか』と訴えたが、
考えてみると、これを実感しているのは、教育や福祉の現場などで実害を受けて
いる人たち。数は限られていた。」「妻は選挙前から『悲鳴を上げているのはご
く一部の人たちでしょ』と言っていた。勝算有りと信じた私や参謀は、反対した
妻や娘に負けた」と答えている。
「都民の悲鳴が聞こえる」と言って出馬した浅野氏だったが、それがこの程度の
認識だったとは驚きだ。わたしは逆に教育や福祉の問題を争点化しなかった、あ
るいはできなかった浅野氏の政治家としての力量と見識を疑う。「情報公開」、
後には「オリンピック」と争点をかえつつ、「都民の悲鳴」に答えるような訴え
はほとんど聞かれなかったのではないか。いかに選挙準備期間が少なかったとは
いえ、自分の出馬した動機を第一に訴えるべきではなかったのか。
「君が代」強制に代表される教育の管理強化や福祉削減の問題は、まだ「ごく一
部の人たち」の問題にされている。(それは、これらの問題をきちんと伝えない
マスメディアに大きな責任があると思う。)しかし、だからと言ってこれほど人
権と民主主義に深くかかわる問題が「一部の人たち」の問題ですまされていいは
ずはない。肝心なのは、マイノリティの問題こそ明日のマジョリティの問題とし
てとらえなおす視点ではないだろうか。すでに石原独裁下の都職員はイエスマン
でしかつとまらないようになっている。
いまさらだが、今回の都知事選の対決点は「ファシズム対民主主義」でなければ
ならなかった。そして問われるべきは浅野氏だけではなく、少数派の声を多数の
声にするためにわたしたちが何をしてきたか、またこれからするかだろう。
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Sasaki Yumi
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