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[AML 13270] 都知事選論議を総括する
新・矢野周三 shuzou-y at y6.dion.ne.jp
2007年 4月 11日 (水) 00:39:15 JST
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この間の都知事選論議を総括したい。
はじめに無用な先入観を払拭しておくために書いておく。
私は結局、浅野氏に一票を投じた。いや、彼に入れざるを得なかった…
●争点を君が代強制問題に集中させ得なかったことが敗北
私は今回の都知事選において、当初から君が代強制問題に一番強い関心を持ってい
た。
君が代強制問題は、あきらかに都政レベルの問題であると同時に、単に都政にとどま
らない全国的な広がりを持つ重要な政治課題である。国が、国旗・国歌法制化以来進
めてきた非民主的政策を、地方自治体である石原・東京都がそのお先棒を担いで教育
現場に定着させようとしているのが、現在の状況である。首都である東京にこれが定
着すれば全国に波及する。だから、この問題はすぐれて都政レベルの問題であると同
時に、全国的な政治課題なのである。ことは一国の言論の自由、思想・信条の自由に
つながる問題なのだ。この重要さの前では、オリンピックにしても築地移転問題にし
ても福祉問題にしても、どっちに転んでもたいした問題ではないと言っても過言では
あるまい。
♪ああ、それなのに、それなのに…
AMLの議論の中には、浅野氏が平和憲法を守るか否かを争点にする向きもあった。
「護持」がどうしたとかこうしたとかいうのがそれだ。私はこれには半分茶化し、半
分本気で答えた。「護持は護持でも国体護持だろう」と。なぜ茶化したか。それは都
知事選は首都とはいえ、あくまで地方自治体の選挙であって護憲云々はあくまで国政
レベルの問題だからである。それを知事選の争点にするというのは、どう考えてもピ
ントはずれだ。現に護憲か否かは争点にならなかったし、それでよかった。まかり間
違って争点になっていたら、護憲派にとって今回の都知事選は大変な痛手となってい
たろうし、憲法にとっても痛手となっていただろう。「護持」がどうのこうのという
暇があったら、都政レベルにおいては無論、国政レベルにおいても重大な問題である
君が代強制問題に争点を集中させることに精力を費やすべきだった。今だから言うわ
けではない。選挙中からその重要性は終始訴えてきたつもりである。
いずれにしても、今回、石原都政をストップさせ得なかったのは敗北には違いない
が、それ以上に君が代強制問題が争点とならなかった、いや争点にし得なかったこと
が、すなわちこれ敗北である。
ほかにもいろいろ論点はあろう。議論の仕方そのものについても多大な書き残しがあ
る。逐一指摘しあいながら、総括したいと思う。ただし、何か言えば「共産党」と
レッテルを貼られるのだけはごめんだ。それは私に共産党アレルギーがあるからでは
ない。私は以前「民青」に入ったことがあるが、一ヶ月ほどでやめた。それは共産党
に上意下達的で、中央集権的な要素を強く感じたからだが、かといって共産党の主張
はまだ、ほかの党に比べてもマシだと思っている。なのになぜ「共産党」のレッテル
を貼られるのがいやかといえば、それは、そのレッテルを貼られることでそれ以上の
柔軟な議論が不可能になるからだ。またそのレッテルを貼る者は、そうした柔軟な議
論を拒否していると思うからだ。
周三
http://list.jca.apc.org/public/aml/2007-April/012828.html
[AML 13386] 続・都知事選論議を総括する〜浅野氏擁立の正当性
新・矢野周三 shuzou-y at y6.dion.ne.jp
2007年 4月 15日 (日) 21:54:03 JST
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●浅野氏擁立劇は正しかったか
初回メール([AML 13270] 都知事選論議を総括する)の冒頭に述べたように、私は今
回、最終的に浅野氏に一票を投じた。
しかし、それは必ずしも浅野氏を政治的に支持したからではない。
当初私は、誰に入れるか決めかねていたが、これまでの選挙もそうだったように基本
的には共産党に一応は決めていた。そこで“とりあえず吉田支持”を当MLでも表明
した。しかし“疑念”はあった。吉田氏の、くらし・福祉優先のいわば“都民のため
の都政”は一定の説得力を持っていたが、あまりにも政治性がなさ過ぎる、イデオロ
ギー的な色合いが薄すぎるという印象だった。その印象の原因をよく吟味してみる
と、君が代強制問題に突き当たった。吉田氏は当初、この問題には触れていなかった
(それは浅野氏が君が代強制問題に触れて以降だったと記憶している)。私の吉田氏
への疑念は強まった。(この人は本当に共産党員だろうか)と思った。そこで知り合
いの共産党員に聞いてみた。「吉田氏は党員か」と。
すると、「吉田氏は党員だが、立候補する際は党員としての籍を離脱してからという
のが慣例なので一応党籍はないが、実質的には共産党員である」という話だった。ち
なみに「党員のまま立候補する場合は『公認』となる」と言っていたように記憶して
いる。まあ、この説明はかなり怪しい。実際は、日本共産党の公認では、共産党アレ
ルギーによってかえって票が逃げるから、党籍を離脱させて「推薦」にしたというこ
とだろう。それと、当選後の議会対策もあるのか。しかし、この判断はあまりにも中
途半端である。「共産党公認」を「共産党推薦」に変えたからといって共産党アレル
ギーがきれいに払拭できるわけではあるまい。なのに共産党アレルギーを認めて、そ
れに“対処”することは自滅行為以外の何物でもない。足立区長選の時のようなよほ
どの好条件がそろわない限り当選はおぼつかないのだから、ここはむしろ、いやいつ
だって、堂々と「共産党公認」で闘うべきだった。それでなければ単独候補を初めか
ら断念して、他党と協議して統一候補をたてる方途を探るかのどちらかにすべきで
あって、「推薦」はその中間点であり、中途半端というのはそういう意味だ。
それに、一応とはいえ、はじめに吉田支持を打ち出したのは、あまりにも軽薄な浅野
擁立への反発もあった。浅野氏が出るということはとりもなおさず、反石原という
か、非保守側が二分されるということである。票が割れるということである。石原側
が喜ぶことになる。
それでも浅野氏擁立に動いた人々の心性はいかなるものだったか。
そこにはまずもって、感情的ともいえる「反石原」がある。
感情的になるのは当然だろう。数々の差別発言を繰り返し、君が代強制に走るこの絶
対主義者に悪感情を持たないほうがおかしい。しかし、選挙ともなれば、それを一旦
しまい込んで、冷静に戦略を練らねばならない。その冷静さはあっただろうか? 一
体、なぜ、「反石原」なのか。それをもう一度、自らに問いかけるべきだったのでは
ないか。
たとえば「平和憲法」をどう捉えるかということがある。
たとえば吉田氏は公約の大項目の3つ目に「憲法否定の石原都政から、憲法を都政の
中心にすえる都政に転換します」と謳う。
浅野氏擁立派はこうした吉田の姿勢を評価する。「吉田さんのような政治家が当選す
ればすばらしいが…」と言いながら、実際には当選できないから、当選できる可能性
のある浅野を擁立したという。
しかし私に言わせれば、この物言い自体が軽薄である。政治というものがテンでわ
かってない。
政治というものには、その舞台ごとにふさわしい台詞というものがある。
国政には国政の、都政には都政にふさわしい台詞があるのだ。
が、「憲法」は都政にはふさわしい台詞ではない。
無論、憲法を守るという考え方は必須である。しかし、憲法という台詞を都知事選で
吐くのはピントはずれだ。
それを言うなら、憲法を大事にするには、都政において何を大事にすることなのか、
という都政レベルへの落とし込みが必要だ。
憲法を都政レベルに落とし込んだ場合、一番の争点になるのは君が代強制問題であ
る。
君が代を強制することは憲法が保障する言論の自由、思想・信条の自由を脅かす行為
である。それはひいては平和憲法の蹂躙にもつながる。そこで強制されるのは君主制
を賛美する歌なのだから、民主制を保証する憲法の否定にもつながる。しかも、この
問題はすぐれて都政レベルの問題なのだ。
そこまで突っ込んで考えれば、当然、今回の都知事選で、いの一番に訴えなければい
けなかった台詞は「君が代強制問題」であった。そこを最大の争点にすべきであっ
た。
それを争点であるとしっかり認識すれば、浅野擁立という選択には至らなかったろ
う。なにしろ、浅野氏は「日の丸・君が代、大好き」人間なのだから。
たしかに「日の丸・君が代は大好きだが、。それを強制するのは間違い」という浅野
氏の主張には、一見正当性がある。主張の違いを乗り越えて、思想・信条の自由は保
障されるべきだというのである。
しかし、君が代は君主制を賛美する歌である。絶対君主制であろうと、立憲君主制で
あろうと、君主制そのものが民主主義と矛盾するし、民主主義を保証する言論の自由
や思想・信条の自由に矛盾する。このような主張の違いは、乗り越えるわけにはいか
ないのだ。
浅野氏を擁立した人々にそのようなしっかりした展望があれば、浅野氏擁立はありえ
なかった。ほかにもっと適当な人選はありえただろう。挙げれば何人が思いつくが、
ここではやめておこう。
しかしもうちょっと辛らつな見方をすれば、今回、彼らが浅野氏を擁立したのは、ま
さに彼らの心性を見事に反映している。それは、彼らは実は「日の丸・君が代大好
き」派なのではないか、という疑念だ。浅野氏が「日の丸・君が代大好き」人間であ
るという事実が、なによりもそのことを証明している。
また、浅野氏擁立派に共産党アレルギーという一種の差別感があることも、知事選論
議の中で一部の“率直”な書き込みが証明したように思う。
そうした事情にもかかわらず、浅野氏に一票を入れざるを得なかったのは、打倒石
原、この一点に尽きた。
しかしそれも夢とついえた。
浅野氏擁立派の人々には、今回、このような悩ましい状況を現出させたことを大いに
反省してもらい、二度とこうした軽薄な行動で民主勢力の分断を図るようなことは、
それが結果論であろうと意図したものであろうと必然であろうと、今後やめてほしい
と切望する。と同時に、「市民派」と名乗るこのような貧弱な政治勢力しか、政治情
勢の表舞台を作れない現状に憂慮するし、少しでもそうした状況を打破したいと思
う。
http://list.jca.apc.org/public/aml/2007-April/012943.html
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