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東京都知事選の結果をどう見るか かけはし2007.4.16号
憲法改悪阻止・人権と公正のための共同戦線で石原都政を包囲しよう
票は減らしたが石原三選
四月八日、十三都道県の知事選、四十四道府県議選、四政令指定市長選、十五政令指定市議選からなる統一地方選の前半戦の投票が行なわれた。知事選では注目の東京都において石原慎太郎都知事が五〇%以上を獲得して三選を果たしたのをはじめ、現職九人がすべて勝利した。
朝日新聞は、この「現職全勝」の結果について「無党派層が二大政党のどちらかに傾いたわけではなく、政党の存在感は薄かった。際立ったのは、政党が各地の選挙で現職を脅かすほどの争点を打ち立てることができなかったことだ」「どの政党が推すかより、『現職』という要因が決定的だった」と評論している(4月9日)。「争点」「政策的対立軸」を打ち出せなかったとする評価は、果して的確なのだろうか。そのテーマに入る前に、東京都知事選の結果についてデータ的に整理してみよう。
投票率は前回(2003年)の四四・九四%から一〇ポイント近く増えて五四・三五%に達した。この投票率増加は、浅野史郎氏の立候補によって、強権主義と差別に満ちた石原都政への怒りを、多くの市民たちが選挙運動への参加を通じて表現する可能性を見いだしたという要因が大きい。
実際、前回比で投票率が一〇ポイント増加し、総投票数も百万近く増える中で、石原は前回の三〇八万票から二八一万票へと得票数を大きくダウンさせた。有効投票に占める石原の得票率は前回の七〇%以上から、今回は五〇%を僅かに超えるに止まった。
一方、前回民主、社民が支援した樋口恵子候補の八一万七千票に対して浅野史郎候補は一六九万三千票と得票を二倍以上にし、前回共産党公認の若林義春候補の三六万四千票に対して吉田万三候補も六二万九千票と大きく票を伸ばした。つまり石原が二七万票減らしたのに対し、浅野プラス吉田の野党票は前回の樋口プラス若林票に比較すれば一〇四万二千票も増えている。朝日新聞の出口調査によれば、支持政党なしの「無党派」層の投票は、浅野四〇%、石原三八%と、わずかながら浅野氏が上回った。
確かに石原は他候補に対して「圧勝」したが、石原都政に対する都民の批判は目立って拡大している、と言える。投票後の世論調査でも、石原が推進しているオリンピック招致や築地市場の移転に対しては反対ないし批判的世論が過半数を占めているのである。問題は、なぜこうした石原都政への批判の拡大が、石原がギリギリであるとはいえ過半数を獲得する「勝利」に帰結したのか、ということにある。
それは多くの人びとが、長期にわたる大衆運動の衰退局面と政治・社会変革の現実性への挑戦について、いまだ受動性を克服しえていないところに基本的原因があると言わなければならない。こうした意識の保守性を克服していく課題は、変革の構想を獲得していくための左翼の側からのねばり強い努力なしには実現できない。
政策的対立軸は明らかだった
選挙において「政策的対立軸」を打ち出せなかったという「朝日」の分析は正しいのか。むしろ「対立軸」を労働者・市民の主体的な運動と結びついた投票行動へと転化する構造をどのように築きあげるのか、という課題にそれは帰着する。
少なくとも共産党が支援する吉田万三候補は、石原の「豪華海外出張」や息子の重用にいう都政の私物化を厳しく批判し、石原を追い詰めるとともに、大企業のための「開発優先」政策に代わる「生活と福祉」優先の都政を強調し、改憲のトップランナーである極右国家主義者・石原に対して「憲法をくらしに生かす」ことを鮮明に打ち出した。東京へのオリンピック招致に対しても、吉田候補は明確な反対の態度を表明した。問題は、この「政策的対立軸」を通じて、新自由主義的「格差社会」や憲法改悪・戦争国家化への流れに対する労働者・市民の危機感と結びつき、それを政治的な共同戦線の形成へと発展させていくイニシアティブを作りだすことは、共産党単独の力では実現しえないということであった。
共産党による「石原と浅野は同じ」という自己中心主義的キャンペーンは、新たな共同戦線の今後の可能性に否定的な影響を与えるものであった。
浅野候補と「草の根市民」
他方、浅野史郎候補の側はどうか。浅野氏は当初から教育現場での「日の丸・君が代」強制を批判し、障がい者差別禁止条例の制定など「福祉の浅野」を明確にして、差別主義と強権主義の石原都政への「社会的弱者」の視点に立った対抗軸を打ち立てようとしてきた。浅野候補が立候補声明の当初は、オリンピック招致や築地市場の移転、そして憲法の問題についてもはっきりした態度を取ってはいなかったことは事実である。しかし、浅野氏を支援する市民たちの熱意にあふれた運動の中で、浅野氏はオリンピック招致や築地市場移転に反対し、憲法擁護の姿勢を次第に明確にしていった。
浅野氏の動揺は、「保守的で実務的な政治家」としての彼の政治的経歴に由来するのはもちろんである。また差別と強権に貫かれた傲慢きわまる石原都政の転換を求め、草の根からの民主主義の実現を求める市民の意思と、事実上の石原与党だった民主党との狭間で、浅野候補の選挙運動の軸がブレを見せたこともマイナスの印象を与えた。
その中で、民主党の要請を一度は断った浅野氏が市民たちの訴えに応えて立候補を声明してから一カ月、障がい者や女性、そして今まで選挙運動に関わってこなかった人びとが「石原はもうたくさん!」という切実な思いにかられて、これまでにない規模で「勝手連」運動に参加していった。短期間であったとはいえ、それは受動的な意味での「無党派」現象ではなく、市民たちの「石原NO!」の切実な思いが浅野候補に向けられたことを意味する。
それは当然にも、政治意識の面では未分化なものであったとしても、階級的「格差社会」が作りだす絶望と貧困、生活への不安、そして「平和」と民主主義的権利を破壊する憲法改悪の政治動向に対する危機感をバネにした政治変革の意思表示であった。決して、浅野氏にすべてを託するという意味ではなかった。
共同戦線に向けた課題
もちろんこうした思いは吉田万三氏への支持者にも共通したものであったことは間違いない。われわれは本紙上で「石原都政打倒 浅野氏に投票を」の立場を打ち出した。しかし今回の「石原打倒」共同戦線の不成立は、その主要な責任が共産党にあったとは、われわれは考えていない。むしろ新自由主義路線の下での福祉切り捨ての民営化路線を推進する民主党が石原都政との関係で事実上の与党であったこと、民主党の中には土屋都議のような極右反共主義勢力も存在していたこと、したがって共産党をふくむ共同戦線の形成には一貫して拒否していることなどが、その背景にある。そのため、民主党はついに自ら都知事候補を擁立できず、さらに丁寧な準備作業が必要な共同候補の提案などが不可能となった。現に浅野氏の支援を民主党が決めた時、一部の民主党都議から批判が噴出し、石原氏の「腹心中の腹心」とされる浜渦武生元副知事が水面下で国会議員や都議の「切り崩し」を担ったとされる(産経新聞、4月9日)。
われわれは、「反石原」の政治的共同戦線の短期間での形成がきわめて困難な状況の中で、石原都政打倒という当面の課題を、労働者・市民の主体的な運動を通じて実現していく可能な選択肢として「浅野氏に投票を」と訴えた。われわれは、今回の結果を教訓にしながら、憲法改悪・戦争国家化と新自由主義的社会・経済再編に対する抵抗の中から、対立軸としての「平和・人権・公正・民主主義」の左翼オルタナティブと、共同行動の発展を目指さなければならない。
次を準備するために
三選を果たした石原は、ただちに選挙期間中に見せた殊勝な「反省」のポーズをかなぐり捨て、「豪華海外出張」や「身内登用」問題についても「一部メディアの根も葉もないバッシング」と居直る高圧的姿勢に終始している。そして三期目の課題として第一に「治安」問題を上げ、「都民の漠とした不安」を根拠に警察・自衛隊、さらには在日米軍までをも動員した監視・弾圧体制の強化を主張している。とりわけ在日外国人にそのターゲットが向けられている。さらに市民団体のランキングで「失格」とされている「情報公開」についても旧来の政策を変えるつもりはない、と語っている。
四年後の都知事選に向けた闘いとは、決して「選挙」そのものに特化した準備作業ではない。貧困、「格差社会」と雇用破壊に抗する闘い、平和を作り憲法改悪を許さず「日の丸・君が代」強制と処分攻撃に反撃し教育の自由を取り戻す闘い、障がい者や高齢者への福祉切り捨て、公共サービスの民営化、大資本のための開発と環境破壊に反対する運動、女性や性的マイノリティーへの差別、治安弾圧対象として外国人を監視する政策を許さない運動、オリンピック招致に反対するキャンペーン――住民の自治と民主主義と権利のための多様な闘いの日常的広がりこそが、国政・自治体をつらぬいた政治的共同戦線の基盤を準備する。
当面、四月二十二日投票の統一地方選後半戦に向けて、真に住民の利益を守り、平和・環境・自治・共生のために闘う候補を一人でも多く当選させよう。また同日には沖縄と福島で参院補選が行われる。とりわけ沖縄選挙区では全野党共闘で出馬する狩俣吉正候補の当選を勝ち取ろう。(4月10日 平井純一)
http://www.jrcl.net/web/frame070416a.html
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