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http://www.sanyo.oni.co.jp/newsk/2007/04/12/20070412010003421.html
温家宝・中国首相が12日行った国会演説の全文は次の通り。
尊敬する河野洋平議長閣下
尊敬する扇千景議長閣下
国会議員の諸先生方
本日は、貴国の国会において演説をさせていただき、衆参両院の議員の諸先生方とお会いする機会を得ましたことを大変うれしく思います。まずはご在席の先生方をはじめ、日本国民の皆さまに対し心から祝福を申し上げ、長期にわたって中日友好のために貴重な貢献をしてこられた日本各界の友人の皆さまに対し、心から感謝を申し上げますとともに、崇高なる敬意を表します。
今回は私の貴国に対する2回目の訪問であります。前回は15年前、同じく桜満開の4月でした。中国人民に対する日本国民の友好的な感情が深く印象に残りました。このたびの貴国訪問は、日本の最新の発展ぶりを見るためであり、さらには、中日関係の改善と発展のために力を尽くし、貢献したいためであります。昨年10月の安倍総理大臣の中国訪問は氷を割る旅であったと言うならば、私の今回の訪問は氷を溶かす旅となるよう願っております。私は友情と協力のために貴国に来ました。これがまさに私のこのたびの日本訪問の目的であり、本日の演説のテーマでもあります。
友情と協力のために、長い中日友好の歴史の伝統を受け継ぎ、発揚する必要があります。2000年あまりにわたる往来の中で、中華民族と日本民族は学び合い、お互いの経験を参考にして、それぞれ発展し進歩してきました。
秦と漢の時代から、稲作、桑植、養蚕、紡績、製錬などの生産技術が相次いで中国から日本に伝わり、漢字、儒学、仏教、律令制度と芸術なども日本に吸収され、参考にされました。日本は10数回にわたって遣唐使を派遣しました。阿倍仲麻呂はその中のすぐれた代表者の一人です。阿倍仲麻呂は中国で数十年間暮らし、唐王朝の要職につき、王維、李白など著名な詩人たちと親交を深めました。鑑真和上は日本へ渡航するため、5回も失敗した末、両眼が失明しました。それでも、和上は志を変えることはありませんでした。6回目に渡航を成し遂げたときはすでに66歳の高齢になりました。鑑真和上は衆生済度の仏法を日本に伝え、長年の宿願を果たすために、通算12年間もの歳月を費やしました。鑑真和上は中日両国人民の友情を増進するために自分のすべてをささげられました。昨年の12月、河野洋平議長は中国文化祭の開幕式において、「日本文化の伝統に中国文化の薫りが漂っていることは、日中の間に切っても切れない縁があることの表れである」とおっしゃいました。わたしが申し上げたいのは、中国の文化が日本に伝わって、貴国の先人たちが日本の伝統的文化を保ちつつも新たに創造を加え、大いに発展をさせました。そして、明治維新以降、日本の経済社会が急速に発展を遂げた時に、中国から大勢の青年が日本に来て、近代的な科学技術と民主的な思想を学び、中華民族を振興させる道を模索し、中国の発展と進歩を促進しました。中国民主主義革命の先駆者である孫文先生の革命活動は、多くの日本の友人から支持と支援を受けました。周恩来先生、魯迅先生、郭沫若先生等の先達も日本で留学生活を送り、日本国民と深い友情を結びました。
中日両国の友好往来は、その時間の長さ、規模の大きさと影響の深さは、世界文明発展の歴史に類を見ないものであると言えましょう。これはわれわれが共有している歴史の伝統と文明の財産であり、いっそう大切にし、子々孫々にわたって伝え、大いに発揚するに値するものであります。
友情と協力のために、不幸な歳月の歴史的教訓を総括し銘記する必要があります。周知のように、中日両国人民の2000年以上にわたる友好往来は、近代において50年余りの痛ましい不幸な歴史によって断たれたことがあります。当時の日本が発動した中国侵略戦争によって、中国人民は重大な災難に見舞われ、おびただしい死傷者を出し、多大な損害を被り、中国人民の心に言葉では言い表せないほどの傷と苦痛を残しました。また、あの戦争は日本国民にも莫大な苦難と痛みを与えたことは、年配の方々には今なお記憶に新しいでしよう。歴史を考えるとき、われわれは次のような示唆を得ることができます。中日両国の平和と友好は両国の運命と国民の幸福にかかわるものであります。1つの国家、1つの民族にとって、歴史の発展のプロセスにおいて、プラスの経験も、マイナスの教訓も、いずれも貴重な財産であります。自らの歴史の経験と教訓から学ぶほうが、より直接に、より深く、より効果的にそれを得ることができます。これは1つの民族が奥深い文化的伝統を有し、自国の明るい将来に自信に満ちている表れです。
中国の古い世代の指導者がかつて度重ねて指摘したように、あの侵略戦争の責任は、ごく少数の軍国主義者が負うべきであり、一般の日本国民も戦争の被害者であり、中国人民は日本国民と仲良く付き合わなければなりまぜん。戦火が飛び散っていたなかで、聶栄臻元帥は戦場で日本人の孤児(栫)美穂子さんを救助し、自ら世話をし、そして手を尽くして彼女を家族の元に送りました。1980年、美穂子さんは家族とともに中国へ行って聶栄臻元帥を訪ねました。この話に多くの人々が心を打たれました。戦後、2808人の日本人の子供たちが中国に置き去りにされ、残留孤児となりました。戦争の苦痛をなめ尽くした中国人が彼らを引き取って、彼らを死の危機から救い出し、育てあげました。中日国交正常化の後、中国政府は孤児たちの肉親捜しに大きな支援を与えました。現在までにすでに2513人の日本人孤児が日本に戻りました。彼らの多くは帰国後に、「中国養父母謝恩会」などのような民間団体を自発的に設立し、中国で養父母たちの共同墓地と「中国養父母感謝の碑」を寄付・建立しました。その中に次のような碑文が書かれています。「中国養父母の人道的精神と慈愛心に深く感謝し、ご恩を永遠に忘れません」と。
ここに、私はもう1つの事に触れたいと思います。中国北部の港町コロ島は、かつて中国を侵略した日本軍の石油運送地でした。昔の石油貯蔵タンクの傍らにそびえ立つ石碑に、戦争が終わって間もないころ、交通が不便で物資が極度に乏しかった状況の下で、中国人民が全力を尽くして残留日本人105万人を無事に帰国の途につかせた歴史的な一幕が記されています。当時コロ島から帰国したある日本人女性は、感情を込めて自ら経験したことを次のように振り返っています。1200人あまりの日本人少年が石頭村の寒い夜に助けられ、また引き上げ途中でいろいろと救済されたことはもちろん、東寧県の農民に救命の食べ物とコロ島で手に入れたただ1個の甘酸っぱいミカンも、私に深い印象が残り、今でも生々しくて忘れられません。これは善良、寛容な中国人が私たちの落胆した心を慰め、おかげさまでとうとう帰国の船に乗りました。去年の6月、貴国の村山富市元首相はコ口島で行われた記念イベントに出席した際に、「大送還は、まさに中華民族の大きな度量と中国人民の人道主義精神の表れである」と言われました。
中国政府と人民は従来、未来志向を堅持し、一貫して歴史をかがみとして、未来に向かうことを主張しています。歴史をかがみとすることを強調するのは、恨みを抱え続けるのではなく、歴史の教訓を銘記して、よりよい未来を切り開いていくためであります。中日国交正常化以来、日本政府と日本の指導者は何回も歴史問題について態度を表明し、侵略を公に認め、そして被害国に対して深い反省とおわびを表明しました。これを、中国政府と人民は積極的に評価しています。日本側が態度の表明と約束を実際の行動で示されることを心から希望しています。中日両国は和すれば双方に利益をもたらし、争いあえばともに傷つきます。両国人民の子々孫々にわたる友好を実現することは、歴史の流れと両国人民の願いに完全に合致し、アジアと国際社会の切実な期待でもあります。
友情と協力のために、中日関係の発展の方向を正しく把握する必要があります。今年は中日国交正常化35周年にあたります。中日双方の共同の努力をへて、中日関係は大きな発展を遂げてきました。2006年、両国の貿易額は国交正常化当時の11億ドルから2073億ドルに増え、友好姉妹都市は233組に達し、人的往来は480万人を超えました。中日友好関係の発展は、両国人民に確実な利益をもたらしました。中国の改革開放と近代化建設は日本政府と国民から支持と支援をいただきました。これを中国人民はいつまでも忘れません。
新しい歴史的条件の下で、中日両国は日増しに増えつつある共通利益を有し、ともに対応すべき重要な課題に直面しています。このような客観的な事実に基づいて、両国の指導者は戦略的互恵関係の構築について合意しました。われわれの目標は、時代の流れと民意に従って、中日関係を新たな歴史的段階に推し進め、平和共存、世代友好、互恵協力、共同発展を実現することであります。この目標を実現するために、以下の原則を把握する必要があります。
第1は、相互信頼を増進し、約束を履行することです。中国古代の先賢は、「国人と交わりては、信に止まれり」(国や人との付き合いは、信用を守ることが大事である)「朋友と交わりて、言ひて信あり」(友達との付き合いは、有言実行が大事である)と言われました。日本の方々もよく「信無くば立たず」を口にします。国と国との往来はなおさら誠実と信義を本とすべきです。「中日共同声明」など3つの政治的文書は、政治、法律そして事実の面から両国関係の過去を総括し、両国関係の未来を計画したものであり、中日関係の礎であります。いかなる状況におかれようと、双方がこの3つの政治的文書に定められた諸原則を厳守しさえすれば、両国関係は順調に前進することができます。台湾問題は中国の核心的利益にかかわるものですので、少し触れたいと思います。私たちは台湾問題の平和的解決をめざして最大限の努力を尽くしてまいります。しかし、「台湾独立」を絶対に容認しません。台湾当局による「台湾の法的独立」および他のいかなる形の分裂活動にも断固として反対します。日本側には台湾問題の高度な敏感性を認識し、約束を厳守し、この問題に慎重に対処するよう希望します。
第2は、大局を念頭に置いて、小異を残し大同につくことです。中日両国の間には一部の具体的な利益と一部の問題に関する見解に意見の相違があることは認めなければなりません。しかし、双方の共通利益と比べれば、これは到底副次的なものであります。われわれは戦略的大所高所から、長期的視点に立って、そして歴史に対し責任ある態度で、誠意と自信を持って、対話と協議を行いさえすれば、双方の間に横たわる問題を適切に解決する方法を必ず見いだすことができます。東海(東シナ海)の問題については、両国は係争を棚上げし、共同開発する原則にのっとって、協議のプロセスを積極的に推進し、相違点の平和的解決のため実質的なステップを踏み出して、東海を平和・友好・協力の海にすべきです。
第3は、平等互恵、共同発展を目指すことです。中日両国の経済は強い相互補完関係にあり、協力の潜在力が大きく、その将来性も広々としたものです。長年の努力と積み重ねを経て、両国経済の相互依存度はますます高まりつつあります。中日両国の経済面での協力は互恵とウィンウィンの関係にあり、両国経済の発展は、双方のいずれにとっても脅威ではなくチャンスです。昨日私と安倍総理大臣は会談において、中日ハイレベル経済対話メカニズムを設立し、両国の経済面での協力をより高いレベルへ引き上げていくことで一致しました。双方は当面の間、まず、エネルギー、環境保護、金融、ハイテク、情報通信、知的財産権などの分野において協力を強化すべきです。第4は、未来に目を向け、交流を強化することです。経済面での協力と文化交流は、国と国とを結ぶ2本の重要なきずなです。経済面での協力の目標は互恵とウィンウィンの実現にあると言うならば、文化交流の目的は心と心とをつなぐことにあると言えましょう。両国の指導者はすでに、文化交流と人的往来を強化することで意見の一致を見ました。青少年は国家の未来と希望であり、中日友好の未来と希望でもあります。中国側は日本側とともに、両国青少年の大規模な交流プログラムを企画・実施し、両国人民の子々孫々にわたる友好のために希望の種をまきたいと思います。
第5は、協議を密接にし、挑戦に立ち向かうことです。
中日両国はいずれもアジアと世界における重要な国です。中日関係のあり方は、地域ひいては全世界に重要な影響を及ぼします。われわれはこのような視点に立って、協調と協力を強化し、ともに北東アジアの平和と安定を維持し、東アジアの地域協力のプロセスを推進して、アジアの振興に取り組む必要があります。また、同じ視点に立って、エネルギーの安全、環境保護、気候変動、疾病の予防と抑制およびテロ対策、多国間犯罪の取り締まり、大量破壊兵器の拡散防止など地球規模の問題にともに対応していく必要があります。中国側は、日本が国際社会においてより大きな役割を果たしたい願望を理解し、国連改革を含む重要な国際問題と地域問題について、日本側と対話と意思疎通を強化する用意があります。
議員の諸先生方、中国は改革開放を実行して29年来、経済・社会の発展の面で世界に注目される成果をあげてきました。しかし、中国は人口が多く、基盤が弱く、発展にはアンバランスの状況が存在し、依然として発展途上国であり、近代化を実現するにはまだ長い道のりがあります。われわれは2つの任務に直面しております。1つは、社会生産力の発展に専念すること、もう1つは、社会の公平と正義を推進することです。この2つの任務を達成するには、2つの改革を推進しなければなりません。1つは、市場経済を志向する経済体制改革、もう1つは、社会主義民主政治の発展を目標とする政治体制改革です。中国の発展には資源、エネルギー、環境などのボトルネックの制約がありますが、長年の努力をへて、われわれは発展のための新しい道を見いだしました。すなわち科学的発展観を確立・実行し、資源節約型、環境にやさしい社会を建設し、経済と社会の全面的かつ調和の取れた、持続可能な発展を促進することです。中国の発展は主として自力に頼ります。中国が発展すれば、周辺と世界全体の発展にしかるべき貢献をすることができます。われわれは科学的な発展、調和の取れた発展、平和的な発展を堅持し、中国を富強、民主、文明、調和の取れた近代化国家に築きあげるために努力してまいります。中国は昔から徳を重んじ武力を重んぜず、信を講じ、睦を修めるというすぐれた伝統があります。私は責任を持って皆さまに申し上げます。中国は平和・発展・協力の旗印を高く掲げ、平和発展の道を堅持し、調和のとれた世界の構築を推進していく決意は、永遠に変わりません。議員の諸先生方、揚州大明寺の鑑真記念堂に1つの石灯籠があります。これは、1980年に日本の唐招提寺の森本孝順長老が自ら送り届け、自ら燃したものです。この石灯籠は日本の唐招提寺にあるもう1つの石灯籠と1組となっています。この1組の灯籠は今なお消えることなく燃え続け、はるか遠くから互いに照り映え、中日両国人民の子々孫々にわたる友好の明るい将来を象徴しています。貴国には「風は吹けども、山は動かず」ということわざがあります。中日両国関係の発展は、風雨や紆余曲折をたどってきましたが、中日両国人民の友好の土台は泰山と富士山のように決して動揺することはありません。中日関係の美しい未来を切り開くために、両国政府と両国人民はたゆまぬ努力をしていく必要があります。われわれは手を携えて、中日両国の子々孫々にわたる友好を実現するために、中日両国の戦略的互恵関係の新たな局面を切り開くために、アジアおよび世界の平和と発展のためにともに奮闘努力していこうではありませんか。
ご清聴ありがとうございました。
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