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(回答先: 米国の豹変と拉致問題の行方【天木直人・日本の動きを伝えたい】4/11 投稿者 天木ファン 日時 2007 年 4 月 11 日 09:25:47)
2007年04月11日
閑話休題 生きていくことの悲しさと美しさ
政治が悪いと人々は平和で安穏とした生活ができない。だから何としてでも政治を監視し、権力の濫用から国民を守らなければなければならない。しかし所詮政治はそれだけのものだ。政治が良くなった後に、一人一人の人生が始まる。この世に生まれた我々は、誰もが自らの問題に向かい合い、折り合いをつけてその人生を生き続けなければならない。それこそが我々の最大の仕事であり、そこに永遠のドラマがあるのだ。
私が学生の時に書いた小説の中に、主人公のこういう言葉がある。甲子園球場で球児が野球をやっているのをテレビで見ながら友人に語る言葉である。
「あいつらはいいよなあ。甲子園をめざして毎日白球を追う生活に明け暮れていればいいんだから。勝って泣き、負けてまた泣いて、来年に向かって汗と涙の感動の日々をはじめる。しかしだ・・・あいつらだっていずれ高校野球を卒業する時がやってくる。問題はその後だ。その後に控えている長い、退屈な人生を生き続けていかなければならない時がくるのさ・・・」
毎日新聞に「悲しくて美しい」という小文があった。目の不自由な17歳の女子高校生が地下鉄のホームから転落した事故を、その記者が取材した時の記事の一節である。運良く高校生はかすり傷だけで助かった。その記者が病院に駆けつけた時には、その高校生は簡単な治療をすませて受付の長いイスに座っていた。そこへ両親らしき中年の夫婦がやってきた。その時の光景をその記者は次のように書いていたのだ。たった数行のこの文章の中に私は一つの人生を見る。それは、愚劣な百の政治よりも、はるかに尊いものに違いない。
・・・娘さんとひとしきり言葉を交わした後、夫婦は娘さんを間にはさんで座ると下を向いたまま黙り込んでしまった。
気配でそれを察した娘さんも黙ってうつむいた。3人は長いすの上で肩を寄せ合うようにして、いつまでも彫像にように動かなかった。両親は娘の無事を喜ぶ一方で、目が不自由なゆえに事故に遭わねばならない身の上を不憫に思ったのだろう・・・
私はその時これほど美しい光景を見たことがないと思った。世には確かに『悲しくて美しい』光景がある・・・
http://www.amakiblog.com/archives/2007/04/11/#000334
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