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2007.4.10(その1)
森田実の言わねばならぬ[156]
平和・自立・調和の日本をつくるために【105】
統一地方選総括〈1〉
統一地方選前半の真の勝者は地域重視の民主党である
「息の香の臭きは主知らず」(日本の諺)
[東京エリートには地方のことがわからない。地方を知らないことに気づかないし、気づこうとしない]
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東京都知事選は統一地方選挙前半の最大の舞台であった。ここで誰が勝つかが最大の関心事になったのは当然のことである。
だが、よく考えてみると、東京がいかに巨大とはいえ、東京都民は全国民の1割に過ぎない。日本国民の9割は東京以外の地方・地域に住んでいる。マスコミの東京偏重には問題がある。東京偏重はマスコミだけではない。政界、官界、財界、学界、マスコミの指導層のほとんどは東京で生活し、東京の見方で日本を判断している。地方・地域からの視点が欠けているのだ。しかも、このことを反省する者が東京エリートのなかにほとんどいない。
統一地方選挙(前半)の翌日(4月9日)、すべての朝刊は「石原氏圧勝」のニュースで1面を飾った。東京で放送されているテレビも朝から晩まで石原勝利のニュースを流しつづけた。これには何らかの政治的意図が働いていたとみなければならない。「政府・自民党筋から“報道を石原勝利に集中せよ”との圧力が報道機関にあったのではないか」との噂が流れた。石原報道の陰で地方における自民党退潮の事実が隠された。 都知事選は数ある選挙のなかの一つにすぎない。だが、多くの東京人はこの当たり前のことに目を向けない。東京で暮らす人たちは地方のことを考えなくなっている。とくにエリート層にこの傾向が強い。東京だけで日本のことを判断する風潮は、東京人とくにエリート層に染みついてしまっていて、地方を見ようとしなくなっている。
東京エリートの目はアメリカだけに向いている。東京エリートのすべてが東京中心主義・アメリカ志向に立っているために、自分たちの過ちに気づかないのである。
東京のマスコミは、報道のほとんどすべてを「石原圧勝」に集中し、大騒ぎした。石原慎太郎都知事は英雄的に扱われた。その結果、石原氏は選挙期間中貫いた「低姿勢」をかなぐり捨てた。選挙期間中何百回も繰り返した「反省」は開き直りに変わった。傲慢・強権石原都政が復活した。大マスコミの記者たちは傲慢知事の前に怯えている。なんとも情けない光景が戻ってきた。
石原慎太郎氏の「反省」と「低姿勢」は、選挙期間中だけの一時的なポーズに過ぎなかった。石原氏は、数多くの東京都民を騙したのである。地方からは「騙される東京都民も都民だ」という声が聞こえてきそうだが、それにしても、日本のマスコミはこのような政治的大詐欺を見破る能力を喪失してしまったのだろうか。再び、「反省」を選挙戦術として利用した卑劣漢の傲慢・強権知事にひれ伏すのだろうか。
話を本筋に戻す。
東京エリートには「東京とアメリカ」を見る目しかない。地方のことは目に映じていないのである。マスコミも地方報道を軽視している。時には無視している。だから地方の真の姿が見えないのである。
2007年4月8日の統一地方選(前半)において、大きな変化が起きた。
この変化は、知事選ではなく44道府県議員選に現れた。 44道府県議員選で何が起きたか。
「民主党の一人勝ち」である。公明党はパーフェクト勝利を実現したとはいえ、ほとんど現状維持である。今日まで数十年にわたって躍進につぐ躍進をつづけてきた公明党に、明らかな限界が現れたのである。公明党の伸張の歴史が終焉しつつあると言って過言ではない。公明党・創価学会が権力主義者であることに多くの国民が気づいた結果である。
自民党の議席は大幅に減少した。この自民党の退潮傾向は、次の4月22日投票の市町村レベルではより深刻に現れるだろう。戦前戦後を通じて地方政治を独占してきた「地域保守」の力は急激に減退している。
1955年の保守合同以来、地方政治において絶対的な支配力をもちつづけてきた自民党の都道府県の議会占有率は、ついに最低を記録した(47.6%)。この傾向は市町村レベルではより深刻に進むだろう。自民党の「地方・地域独占の時代」は終わったと言って過言ではない。(つづく)
http://www.pluto.dti.ne.jp/~mor97512/C03272.HTML
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