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□小泉・安倍会談 その夜の一部始終 [文芸春秋]
▽小泉・安倍会談 その夜の一部始終(1)
http://seiji.yahoo.co.jp/column/article/detail/20070410-01-0701.html
2007年4月10日
小泉・安倍会談 その夜の一部始終(1)
「衛藤復党」では自ら陣頭指揮。安倍が強気に転じたのはなぜなのか
東京・新宿副都心の摩天楼、パークハイアット東京最上層に位置する最高級フィットネスクラブ「クラブ・オン・ザ・パーク」。
年明けから、起業家などに混じって、首相・安倍晋三は、ここで数時間を過ごす日が増えた。フロアには春のやわらかい日差しがふり注ぎ、地上百八十メートルの眼下には、天下を取った最高権力者が満喫するにふさわしい光景がひろがる。フィットネスで汗を流す、二十メートルプールではクロールで力強く泳ぐ、さらにマッサージで疲れを癒す……。SPは常に近くで目を光らせるものの、安倍にとっては双肩にかかる重圧から解き放たれる束の間の時間だ。三月二十五日の日曜日も能登半島地震が発生しなければ、ここを訪れる予定だった。
安倍政権誕生から半年が過ぎた。郵政造反組の復党問題に端を発して、政府税調会長・本間正明、行革相・佐田玄一郎の相次ぐ辞任、厚生労働相・柳澤伯夫の失言問題等で、急落し続けた支持率も、三月の各社の世論調査では下げ止まったかに見える。
時を同じくして、首相周辺は安倍の変身を感じていた。「国会答弁が早口になったでしょう。聞きづらいから短所でもあるけど、それが本調子のしるしなんですよ」。
支持率が下がる、それを挽回しようと手を打つ、しかしその意図が見透かされ功を奏さず、さらに支持率が下がるという“負のスパイラル”に安倍政権は陥っていた。安倍はあるときを境に、策を弄してもダメなら、自身が信ずるやるべきこと、やりたいことをやった上で、有権者に判断してもらえばいい。それが凶と出るなら、もうそれは仕方がない。政治家としての運もそこまでなのだと考えるようになった。
何が安倍を変えたのか──。
まくしたてる小泉
窮地にあった安倍が望んだ前首相・小泉純一郎との会談がようやく実現したのは、予算案が徹夜の本会議で衆議院を通過してから四日後の三月七日夜だった。これまで院政は敷かないと公言してきた小泉だが、「事実上、後継指名した安倍が窮地なのに手を差し伸べないとは、小泉さんも冷たい人だ」という党内の声が耳に入ったこともあって、安倍の求めに応じたものだ。
帝国ホテルのフランス料理店「レ セゾン」で、上座に腰を下ろした小泉は、ワインを注文し、同席した自民党幹事長・中川秀直もつきあった。安倍はペリエを口にした。一時間半に及んだ会談の間、小泉は終始饒舌だった。「首相というのは、何をやっても批判される存在だが、首相の権限は絶大だ。風を巻き起こせるのは首相しかいないんだ」。「何にも遠慮する必要などないはずだ。思い切ってやればいいんだ」。「抵抗勢力への配慮をしすぎるから、改革が後退していると国民は見る。郵政民営化にはすべてが反対した。批判といかに戦う姿勢をみせるかが大事だ。まとめようとするからおかしくなる」。まくしたてる小泉に、安倍は頷くだけだった。小泉は、安倍が官房長官、あるいは幹事長時代にこうした心構えを自分の後ろ姿から学び取っていないことが、実は不満だった。「何のための帝王学だったのか」という思いがあった。
小泉はさらに続けた。「参議院選挙は、政権選択の選挙ではない。堂々とぶちあたればいい。仮に負けたところで辞める必要もない。衆議院では三百議席をもっているじゃないか。総選挙があくまで政権選択の選挙だ。首相はそれだけを考えていればいいんだ」。小泉は、小渕政権では参議院の首班指名は菅直人だったと指摘し、こうつけ加えた。「ピンチは必ずチャンスに変わる。選挙に勝てば、民主党は分裂含みだ。一気に主導権を握れる」。憲法改正を掲げる安倍には、政界再編の勧めともとれる言葉だった。安倍は小泉に気押されたのか、「参院選での応援演説は、よろしくお願いします」との言葉さえ切り出せなかった。
小泉の言葉は安倍には「俺から乳離れせよ」と聞こえた。「もう安倍政権なのだ。いつまでも小泉の呪縛にとらわれることはない。何に気遣いしているのか。信ずるものに突き進め」。安倍は、最近揮毫を求められると「不動心」と認(したた)めることが多い。
ただ参院選敗北を容認するような空気が党内に流れると、参院自民党議員会長・青木幹雄が即座に反応した。「いまから、敗北しても政権はそのままです、みたいな話を、選挙対策の責任者がしてもらっては選挙の士気にかかわる。党内がゆるむだけだ」。「それはごもっともなことです」、中川は青木に詫びを入れるしかなかった。
▽小泉・安倍会談 その夜の一部始終(2)
http://seiji.yahoo.co.jp/column/article/detail/20070410-02-0701.html
2007年4月10日
小泉・安倍会談 その夜の一部始終(2)
「衛藤復党」では自ら陣頭指揮。安倍が強気に転じたのはなぜなのか
小泉との会談の二日後、安倍は、東京・紀尾井町の日本料理屋「福田家」で、大勲位・中曽根康弘と向き合っていた。「小泉君の政治は、郵政民営化に邁進したが、それはいってみれば政治の枝葉にすぎない。安倍君が、国家の統治に関わる教育改革、憲法改正を掲げて突き進もうとする限り、私は政権を支持する」。「参議院選挙で仮に多少負けても、首相の進退を問うことにはならない。だから政治の本流を行けばよい」。中曽根の言も明快だった。
小泉と中曽根は、戦後三位と四位の長期政権を樹立したが、政治的な立場を大きく異にした関係だ。何より、小泉は、自民党の約束を反故にして、中曽根の議員バッジを取り上げた男である。そんな両者が、安倍に対しては、揃って、「自らの信ずることに邁進せよ」と叱咤激励した。長期政権をのぞむ安倍が、二人の大先輩の言葉に勇気づけられないはずはない。
母・洋子は安倍を評して「政策は祖父似、性格は父似」というが、祖父・岸信介が残した言葉が、いまの安倍の座右の銘になっているという。「もともとは政治とは、民主政治だけでなくすべて民意の尊重が基本である。(略)ただし政治家は世論調査所の職員ではないので、そこには自己の主張や判断がなくてはならない。そのような主張や判断が、そのときの民意に理解されない場合があっても、国家、国民の将来を考えてそうしなければならないことがある」(『岸信介回顧録』)
自らの決断で厚生労働相・柳澤伯夫を守り通し、さらに郵政造反落選組の衛藤晟一の復党を実現させたことも、安倍の自信を深めた。柳澤問題では、後見役の元財務相・塩川正十郎が、「辞めさせちゃいかん。守りきるべきだ」と進言すると、安倍も、「たとえ支持率が下がっても、自らが起用した柳澤さんから辞表がでない限り、そのつもりでいます」と応じている。
返す刀で、安倍は、盟友・衛藤晟一の復党に動く。安倍と衛藤の因縁は深い。歴史認識、憲法改正の信条を共有し、拉致問題でも衛藤は拉致議連の事務局長を務めた。人権擁護法案をめぐっても、元幹事長・古賀誠ら実力者を相手に共闘した。二人の間では、昨年末の段階で、早期の復党は“密約”となっていた。安倍の党内基盤は郵政造反組のほうに厚く、彼らは安倍への忠誠心も固い。第一陣で復党した古屋圭司は、二月二十二日、脳梗塞で倒れた平沼赳夫の退院を聞きつけると、すぐに安倍に報告。安倍は平沼に電話を入れて回復を祈った。
この衛藤復党に向けて、安倍は、自ら陣頭指揮に立った。それまで「郵政造反の落選組に参院選前の復党はない」と繰り返してきた中川秀直に「衛藤を復党させる。党内手続きをとってほしい」と言い渡したのは、二月十五日のこと。しかし中川は、すぐに首を縦に振ったわけではない。「落選組にまで広げれば、また復党問題が蒸し返されて、ほかの八代英太らはいいのか、という話になって収拾がつかなくなる」、「公明党の理解が得られない」と食い下がった。それでも安倍は折れなかった。「衛藤さんには福祉団体の推薦もついている。私と同じ方向性を持った人と一緒にやるのは当然のことだ。批判は甘んじて受ける」。
三日後、中川は「忠誠心のない閣僚は内閣から去れ」との発言で墓穴を掘った。自ら「安倍への忠誠心」を迫られた中川は、二月二十二日の衆議院本会議後、公明党幹事長・北側一雄を呼び出し、「衛藤復党」への理解を求めた。中川が「選対本部長である総裁・安倍の判断なので……」と切り出すと、北側は「話が違う。大分では選挙区では自民、比例では公明の合意があり、それを覆せば、全国的な自公協力に悪い影響が出る。それを覚悟の上の首相決断なのか」と猛反発した。北側からの報告を受けた公明党、創価学会では「雷に打たれたような」(公明党幹部)大騒ぎとなった。これに前首相秘書官・飯島勲も「小泉だって納得できる筋のものではない」と参戦し、火は燃えひろがった。自民党内で一番強い拒絶反応を示したのは、参院のドン、青木幹雄だった。「あの人は、参議院選挙のことをいったいどう考えているのでしょうかね」。側近議員は震え上がった。
中川は、翌二十三日には、党紀委員長・笹川堯にも方針を伝えた。笹川は「落選組の復党は参院選後までないといっていたのは、あなたではないか」と噛みついたが、中川はひたすら詫びた。笹川が「あれほど私に平身低頭だった幹事長は見たことがない」と津島派で漏らすほどの有様だった。
「公明の土俵は荒らさない」
二十五日に、中川が正式に復党容認を表明すると、間髪を入れずに安倍自ら、公明党代表・太田昭宏、参院公明党議員会長・草川昭三らに電話攻勢をかけた。「公明党の土俵を荒らすことはしませんから、なんとかご了解を頂きたい」。しかし太田らも反発の姿勢を崩さない。「こっちはぎりぎりの勝負をしている。最近二回の選挙では、比例代表の最後に割り振られる議席が公明党だった。前回は二万票足りなければ民主党にいっていた。自公で過半数割れしたら、一番困るのは安倍さん自身ではないのですか」。それでも安倍は曲げない。翌日昼には一時間にわたり中川と意見をすり合わせ、夕方には、笹川にも電話して「衛藤の件は、すみやかにお願いします」と頭を下げた。公明との調整は六日間を費やしても、決着がつかず、七日目に入って、ようやく撃ち方止めとなった。公明も納得したわけではないが、これ以上、自民vs公明のなじりあいが続き、与党の亀裂が深まれば、内閣支持率も下がり、野党を利するだけだ、との判断からだった。「衛藤復党」を前提に、どういう選挙対策をとるかは、結局、先送りされた。
三月九日の党紀委員会での無記名の採決は十対七というきわどい結果だった。委員会を終えた笹川は、党本部の廊下で言い放った。「こういうのはだね、首相のリーダーシップとはいわないんだな。“わがまま”っていうんだ」。復党がかなった衛藤はすぐに、新幹線で移動中の中川の携帯電話を鳴らして礼を述べたが、中川は「まだ公認を決めたわけではない」とそっけなかった。自民党内からは「ここまでして、衛藤が上がらなかったら(当選しなかったら)、安倍もそこまでだな」との声も漏れた。しかし、盟友の復党に安堵した安倍は、三月二十三日、太田を官邸に招いて昼食をともにし、すかさず関係の修復を図っている。
フィットネスクラブのお蔭か、健康状態は良好のようだ。予算案が未明、衆院を通過した三日十時過ぎから、昭恵夫人と映画『蒼き狼 地果て海尽きるまで』を鑑賞し、その後、赤坂ラーメンをたいらげた。
「小泉政治はときに劇薬も含むが、安倍政治は漢方薬。じわじわと効き、気がついたらかなり成果が出ているというラインでいきたい」。小泉政治との訣別ととられかねない言葉も安倍から漏れるようになった。
とはいえ、反転攻勢の目玉となると、依然として厳しいのが現実だ。それを見越してか、総務相・菅義偉ら側近議員は、しきりに安倍に内閣改造の断行を申し入れた。首相の専権である人事によってしか、求心力回復はないというわけだ。「通常国会が閉幕したら、一区切りつく。態勢を作り直しても大義名分はあるのではないですか」。しかし安倍はハラを決めていた。「参院選前の内閣改造はない。選挙後まではじっと耐えしのぐ」。二月二十八日に極秘に意見交換した外相・麻生太郎も「改造すれば、はずされた閣僚は、不適任のレッテルを貼られて、全部敵にまわる。かなりのエネルギーを必要とする作業の割には、これまでも政権浮揚につながった例は少ないのが現実だ」と安倍に助言していた。
参院選後の内閣改造にむけて、安倍は構想を練る。とくに、官邸の重石となる人材の起用と、しっくりいかない党幹事長ポストをどうするか、がポイントだ。官邸・自民党内からは「安倍はフールファイブのうち塩崎官房長官と井上秘書官は代えない意向のようだから、副長官は交代だろう」、「当初の安倍構想では、中川は経済閣僚だったから、参院選に勝っても負けても差し替えだな」といった声が漏れてくる。
一方で、安倍にとって懸念される動きも出てきている。新YKKと呼ばれる、山崎拓、加藤紘一、古賀誠の動向だ。最近も、三月十二日、東京・四谷の小料理屋で国対委員長・二階俊博を交えて密会した。立場上、聞き役に回った二階を除く三人は「参院選で大敗すれば、政局は一気に流動化する」との認識で一致した。この話はすぐに党内を駆け巡ったが、さらに深層がある。「長い目でみて“ポスト安倍政局”に備えた受け皿づくりを、いまからやっていこう」というものだ。しかし党内が彼らに向ける視線は、「世間の注目を絶やしたくないための動きにすぎない」と冷ややかだ。
安倍にとっては、参院選をなんとしても勝ち抜かなくてはならない。いくら政権選択選挙ではないと抗弁しても、大敗すれば進退を問う声が噴き上がる可能性は否定できないだろう。逆に、与党で過半数を維持すれば、安倍政権は安定飛行への軌道を確保する。参院選のあとは向こう二年間、本格的な国政選挙はないからだ。長期政権に向けた素地をつくることができるか、安倍政権の命運をかけた天下分け目の決戦まで、三カ月あまりに迫った。(文中敬称略)
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