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http://s19171107.seesaa.net/article/38287386.html
都知事選が終わりました。都知事選の動向とネット世論の動向については3月21日の日記
http://s19171107.seesaa.net/article/36515009.html
で懸念したとおり、ネット上の『反石原』意識と現実の大衆の中の『反石原』意識には小さくない乖離がありました。これに関連して、大衆との関係について、毛主席の教示を幾つかご紹介します。
大衆に結びつくためには、大衆の必要と自発的意志にしたがう必要がある。大衆のためのすべての工作は、たとえ善意であっても、いかなる個人的願望からも出発すべきではなくて、大衆の必要から出発すべきである。多くのばあい、大衆は、客観的にはある種の改革を必要としていても、主観的にはまだそのような自覚をもたず、決意がつかず、まだ改革の実行をのぞまないので、われわれは辛抱づよく待たなければならない。われわれの工作を通じて、大衆の多数が自覚をもち、決意がつき、みずから改革の実行をのぞむようになってからこのような改革を実行すべきであって、さもなければ、大衆から離れてしまうであろう。大衆の参加を必要とするすべての工作は、もし大衆の自覚と自発的意志がなければ、いたずらに形式に流れて失敗するであろう。……これには2つの原則がある。1つはわれわれの頭のなかの幻想からうまれた必要ではなく、大衆の実際の必要ということである。もう1つは、われわれが大衆にかわって決意することではなく、大衆の自発的意志にたより、大衆自身が決意することである。
「文化活動における統一戦線」(1944年10月30日)、『毛沢東選集』第3巻
大衆がまだ自覚していない時に、われわれが進撃にでるなら、それは冒険主義である。大衆がやりたがらないことをわれわれが無理に指導してやらせようとすれば、その結果はかならず失敗する。大衆が前進をもとめている時に、われわれが前進しないなち、それは右翼日和見主義である。
「晋綏日報の編集部の人たちにたいする談話」(1948年4月2日)、『毛沢東選集』第4巻
大衆のなかから集中し、ふたたび大衆のなかへもちこんで堅持させることによって、正しい指導の意見を形成すること、これは基本的な指導方法である。
「指導方法のいくつかの問題について」(1943年6月1日)、『毛沢東選集』第3巻
わが党のすべての実際工作において,およそ正しい指導は、大衆のなかから大衆のなかへ、でなければならない。それは、つまり大衆の意見(分散的な、系統だっていない意見)を集中し(研究をつうじて、集中した、系統だった意見にかえる)、これをふたたび大衆のなかへもちこんで宣伝、説明し、これを大衆の意見にし、これを大衆に堅持させて、行動にうつさせ、また大衆の行動のなかで、それらの意見が正しいかどうかを検証する。そして、その後、ふたたび大衆のなかから意見を集中し、ふたたび大衆のなかへもちこんで堅持させる。このように無限にくりかえして、1回ごとに、より正しい、よりいきいきとした、より豊かなものにしていくのである。これがマルクス主義の認識論である。
「指導方法のいくつかの問題について」(1943年6月1日)、『毛沢東選集』第3巻
ネット上での活動もいいですが、軸足は常に現実の大衆の中に置き、大衆の中から集中し、分析し、再び大衆の中へ持ち込まなくてはなりません。
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