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2007年04月09日
政治の季節がやってくる予感
都知事選で石原慎太郎が圧勝した。その事についての政治解説記事がしばらく新聞を賑わすことになろう。だから私は敢えてこのブログでは書かない。唯一のコメントは、逆説的に言えば、これで政治が面白くなってきたという事である。ひょっとして私の考えの正しさが証明される時が近づきつつあるのではないかと、これ以上ないほどの自惚れを込めて勝手な思いをめぐらせている。
今度の選挙の結果政治はますます右傾化していく。野党はますます無力になる。日米軍事同盟が急速に進んでいく。護憲政党だけでは憲法9条は守れない。しかし、日本の政治が終焉してはならない。そうなっては日本の将来が失われていく。総保守化、体制化する中で、それに抗う新しい政治家集団が渇望される時が必ず来る。それは既存の政党の全否定から始まる。既存の護憲政党とはまったく異なる強い護憲政治勢力が国民を揺さぶる時が来る。その事が来るまでに日本の政治は混乱する。戦後初めての政治の季節が訪れるに違いない。その混乱からしばし離れるために、政治とは無関係な事を書いていく。政治などというものは一人、一人の人間の営みにとっては、取るに足らないものなのだ、皆がそう思えるような世の中がくればいいと思っている。
「カレーパンの味」については反響が大きかった。それでは次のような文章はどうだろう。朝日新聞の連載、「親父の背中」で見つけた文章である。こういう文章を書ける人は素晴らしい人に違いない。
・・・30代半ば、偶然に自分の戸籍を見たら親の欄に知らない名前がありました。両親が生みの親でないことを初めて知りました。
結婚する時、父は僕の妻にそれを告げ『實には知らせないで』と言ったそうです。希望を尊重し、僕も知らないふりをすることにしました・・・
(父は)青森の貧しいリンゴ農家の末っ子で、小学校を出てから働き、18歳で上京。進駐軍のスクールバスやタクシーの運転手をして働きづめでした。心臓に持病のあった母の治療費を工面するのに精一杯だったのでしょう。
僕の通っていた都立西高校は進学校。母の闘病を見ていたので、僕は医学部に行こうと決めました。でも父は『行かなくていい』。6年も通わせる余裕はなかった。僕は歯ぎしりしながら泣いて頼みました。そして、自分はなぜ医者になりたいのか、改めて真剣に考えました。
結局、許してくれました。同時に『弱い人、貧しい人がどんな気持ちで医者にかかるか。それを忘れるな』と・・・僕の背景には常にこの言葉があります・・・
87年、病院の近くにログハウスを建て、東京で暮らしていた父を呼びました。血はつながっていなくても、3世代の家族として共に過ごしたい。大事に使えば200年はもつ家です。『岩次郎小屋』と父の名をつけ、父を頂点とした家族を作りたかった。父は僕らと暮らし、7年前に88歳で亡くなりました。僕は最後まで、気づかないふりを通しました。
実の父親の墓を訪ねたことがあります。成功者だったそうで、驚くほど立派な墓でした。でも僕は、貧しくても運命から逃げず、誠実に生きた父に育てられて良かった。それに気づくまで、ずいぶん時間がかかってしまったけれど・・・
http://www.amakiblog.com/archives/2007/04/09/#000332
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