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【1:178】【皇室】昭和天皇の靖国参拝中止の理由は「A級戦犯合祀が御意に召さず」…故・卜部侍従の日記★2
1 名前:☆ばぐた☆ ◆JSGFLSFOXQ @☆ばぐ太☆φ ★ 2007/04/26(木) 12:22:04 ID:???0
晩年の昭和天皇と香淳皇后に仕え、代替わりの実務を仕切った故・卜部亮吾
(うらべ・りょうご)侍従が32年間欠かさずつけていた日記を、朝日新聞社は
本人から生前、託された。天皇が病に倒れて以降、皇居の奥でおきていた
昭和最後の日々が克明に記されている。
天皇の靖国神社参拝取りやめについては「A級戦犯合祀(ごうし)が御意に
召さず」と記述。先の戦争への悔恨や、世情への気配りなど、天皇の人柄を
しのばせる姿も随所に書きとめられており、昭和史の貴重な記録といえそうだ。
靖国神社参拝取りやめの理由についても記述されている。最後となった天皇の
記者会見から数日後の88年4月28日。「お召しがあったので吹上へ 長官拝謁
(はいえつ)のあと出たら靖国の戦犯合祀と中国の批判・奥野発言のこと」。
「靖国」以降の文章には赤線が引かれている。
昭和天皇が靖国神社のA級戦犯合祀に不快感を吐露したとみられる富田朝彦
宮内庁長官(当時)のメモも同じ日付。天皇は富田長官と前後して卜部侍従にも
戦犯合祀問題を語っていたことになる。
そして、卜部侍従は亡くなる直前、「靖国神社の御参拝をお取りやめになった
経緯 直接的にはA級戦犯合祀が御意に召さず」(01年7月31日)と
記している。
日記の随所にみられるのが、終戦記念日や原爆の日に律義に慎む天皇の姿だ。
2・26事件の日もその一つだった。事件から41年たった77(昭和52)年
2月26日。天皇は意外な言葉を口にする。「御就寝前 治安は何もないかとの
お尋ね」。天皇のトラウマの深さがうかがえる。(抜粋)
http://www.asahi.com/national/update/0426/TKY200704250363.html
※元ニューススレ
・【社会】逝く昭和と天皇、克明に 卜部侍従32年間の日記刊行へ
http://news22.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1177542902/
※前:http://news22.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1177544576/
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