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(回答先: 日本共産党支持者は何故石原に批判を集中しないのか?お前らの危機感はその程度か! 投稿者 パルタ 日時 2007 年 4 月 01 日 09:27:12)
これをよく見ろ。そして、彼のスタンスを。やはり浅野候補の方が数倍まともな感覚だとしか思えないし、石原発言に日共支持者程度の問題意識しか持てないなら、今の日共には平和運動としてまともな差別発言への感覚など持ち合わせてない、平和運動として失格だと言わざるを得ない。↓
浅野史郎のWEBサイト『夢らいん』
http://210.136.139.210/genko/nenkinjidai/24.htmより抜粋転載
(貼付け開始)
月刊年金時代2004年6月号
新・言語学序説から 24回
「 言葉の暴力について」
言葉の暴力ということは、確かにある。「口喧嘩」は、そのことを端的に示した表現だろう。言葉は、言われたほうが痛みを感じるという意味で、暴力と同じ力を持つ。
暴言を吐かれたら、自然に身体が反応して、言った相手に暴力を振るってしまうことは珍しくない。「口で言われたら、口で返せ」だけでは済まない。そのぐらいひどい暴力的な言葉というものはある。
口で言われて暴力で返すというのは、言った相手が目の前にいるから成り立つ。相手が目の前にいない、誰が言ったかも特定できない場合はどうしたらいいのか。しかも、言った内容は、不特定多数に伝わってしまっている。これが、マスコミ報道による「暴力」である。報道された内容が事実でないとき、事実であってもプライバシーを暴くものであるとき、それは激しい暴力と同じ効果を持つ。
略
報道よりもっと恐いものがある。インターネット社会における、新しい形の言葉の暴力については、よくよく考え抜かないと大変な事態になることを心から憂えている。ネット内を駆け巡るさまざまな「情報」。その中には、個人に関する情報や意見も含まれる。誹謗、中傷などの個人攻撃、デマ、噂話、プライバシーの暴露も相当に出回っている。
その文脈の中で、注目されるのがイラク人質事件である。イラク人質事件は、人質解放という形でのハッピーエンドは迎えたが、むしろ、その後の進展が「言葉の暴力」ということを考えさせる契機になった。「自己責任」についての政府高官の発言やら、一部報道による人質批判、これらも、人質本人やその家族にとっては、言葉の暴力と受け止められることはあったかもしれない。しかし、それよりもっと深刻なのが、ネット上で展開された人質への誹謗、中傷であった。
ネット上での「人質攻撃」のニュース自体、新聞などでの報道はあまりないので、一部にしか知られていない。しかし、ネットを駆け巡る情報によって、「世論」が形成されることも事実である。巷の噂話のようなものが、ものすごいスピードと広がりをもって、伝わっていく。 噂話の恐ろしさというものがある。「実はね・・・・」、「あまり知られていないのだけれど・・・」という形で伝わる噂話は、聞く側にとっては、隠微な魅力に彩られている。真実以上に本当らしく聞こえる。もっと恐ろしいのは、ちゃんとした報道と違って、噂話の対象になっている人は、表立って反論ができないことである。闇の中での暴力のように、誰が殴ったのか相手がわからない。
イラク人質事件の人質は、なんのかんの言っても、被害者である。既にして、肉体的にも精神的にも傷ついている。その人達に追い討ちをかけるように批判、非難の声を投げつける行為には、国内外から「やり過ぎ」の声が上がった。ネット上の発言となると、匿名であり、一時期に多数からということになる。これでは、少数の傷ついた人達は耐えられない。言葉の暴力以外のなにものでもない。
以下略
[ (c)浅野史郎・夢ネットワーク mailto:yumenet@asanoshiro.org
(貼付け終了)
これでもまだ浅野候補と石原知事を同列に扱えるなら、反戦運動として共産党を信じる事は出来ないのである。
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