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http://anarchist.seesaa.net/article/37353707.html
城山三郎氏が22日亡くなった。
http://www.ohmynews.co.jp/News.aspx?news_id=000000006158
97年春に発行された対談集「失われた心」。
城山さんの愚直な生き様が感じられる本だ。
城山さんは、徴兵されて兵隊になったのではない。戦争末期45年5月、17歳で自ら海軍特別幹部練習生(予科練)に志願したのだ。しかも予科練行きに反対していた父親が先に召集された後、母親を口説き落として志願した。熱狂的な軍国少年であった。
鬼畜米英から国を守る気概に燃えた城山少年であったが、海軍で繰り広げられた制裁という名の想像を絶するリンチは、彼の考えを変えてしまう。
牛馬同然というけど、牛馬にも劣ると思うんですよ。夜寝てるときにハンモックをぼーんと切る。だからどーんと下に落ちる。それからハンモックを畳んで、また吊り直す。それを訓練でやらされるのかと、また警戒警報が鳴るたびにハンモックを畳んで、練兵場の端の壕まで持っていかなくちゃいけない。牛や馬なら寝てりゃいいけど、寝ることもできない。そういうことの繰り返しだから、もう牛馬以下。
カッターの訓練だってね。頭がコブだらけになるぐらい樫の棒(「軍人精神注入棒」と呼ばれていた)で殴るわけだから。牛や馬だったら、逆に突き飛ばされますよ。
まったく、ひどい組織だった。そうして終戦になったら、下士官兵や将校はもう一斉に倉庫からコメとか缶詰とか持ち出して、クラブと称する近くの民家に全部運び込んで盗む。めちゃくちゃだったよねえ。僕はもう組織というものはこりごりなんです。軍隊に代表されるような組織というのは、目的は最初はよかったかもしれないけど、腐敗し出すと何をやるかわからないね。
城山さんが作家になったきっかけは、この凄まじい海軍での体験であった。たった3ヶ月間であったが、その間に軍隊がいかに腐敗しめちゃくちゃな社会であるかということを、身をもって経験した。
戦争のとき、僕は17歳で少年兵になって、ひどい目に遭った。だから、組織の中で潰されながら生きるのはどういうことなのかということを一生涯書いていこうと思ったんです。そのときの組織を動かしていたのは忠君愛国という論理だったのに、戦後になったら、それが完全に吹っ飛んで民主主義でしょう。あの大義はどこへ行ったのかと悩んで悩んで、出版されなくてもいいから「大義の末」がどうなったかだけは書き残しておきたいというのが、僕の出発点になったんです。
そして城山少年が、士官学校や海軍特別幹部練習生を志願されたときの思想的な背景は『大義』
http://sizuka.at.infoseek.co.jp/taigi.htm
という陸軍軍人杉本五郎の本であった。当時『大義』は中学生の間ではベストセラーであり、忠君愛国を説いていた。
「汝、我を見んと欲せば尊皇に生きよ。尊皇のあるところ必ず我あり」といった格調の高い文章でした。だけど、その本の中には伏せ字が何か所かありました。忠君愛国の書なのに何で伏せ字があったのかが疑問だったんです。
戦後、奥野健男さんなんかも疑問を持って調べたら、その伏せ字の箇所は、大陸に行っている皇軍は暴行略奪をほしいままにしている。あれは皇軍ではない。そういったことが書いてあったらしいんです。
杉本五郎はそういう正義感の人で、純粋に思い詰めて書いたから、僕らに訴えてくるわけです。だから、軍は困った。読ませたいけど、そこを読まれたら困る。それで伏せ字で出したんです。軍は杉本五郎は要注意人物だ、忠君愛国を鼓吹するけれど、今の日本がやっていることは悪いと書いている。というので、最激戦地に飛ばされ、戦死するわけです。まあ死刑ですね。 若者はその純粋なものに打たれて、次から次へとみんな愛読していった。本当に魅力的な本だったんですよ。
http://www.yurindo.co.jp/yurin/back/410_1.html
城山さんの自伝小説『大義の末』は、このような体験に基づいている。
城山さんの左右を問わず組織に対する嫌悪感を端的に表明した作品として、「旗」という詩がある。
「旗」
旗振るな
旗振らすな
旗伏せよ
旗たため
社旗も 校旗も
国々の旗も
国策なる旗も
運動という名の旗も
ひとみなひとり
ひとりには
ひとつの命
(中略)
生きるには
旗要らず
旗振るな
旗振らすな
旗伏せよ
旗たため
限りある命のために
対談集「失われた志」の城山さんによる「おわりに」は、城山さんが亡くなったいま、残された我々への遺書のようにも読み取れる。
終戦の年は、暑い夏でした。
空は限りなく青く高く、夜には満天の星がきらめき、地にはそれまで管制されていた家々の灯がともって、自由に生きるとは、これほど清々しく、心ときめくものかと、涙のにじむほど嬉しく感じたものです。
圧制と腐敗、多年にわたって息苦しい生活を強いた軍国主義は消え、自由な民主主義へ。
人の上に人をつくらず、人の下に人をつくらぬこの風通しの良さ。理想の社会へ向けてのこの気風を失ってはならぬと、痛いほど感じもしました。
国家によって一つの生き方を強制されぬ代わりに、一人一人が在るべき姿を求めて生き、百人百様の生き方に花が開く。
そのためには、権力のはびこるのを許さず、どこにでもチェック・アンド・バランスが機能すること。それが人々の夢であり、初心であり、広い意味での志であったように思うのです。
50年経ったいま、その志はどこへ行ってしまったのでしょうか。
城山さんの言葉が、騙され易いこの国の国民に届くのはいつのことか……。
城山三郎 享年79歳
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