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2007年03月26日
閑話休題 経済的自立のすすめ
若い人たちから助言を求められることがある。今なすべき事はなにかと。そんな時に私はこう答える事にしている。なるべく早い段階で経済的自立を確保するように目標を設定しろと。最低限の生活を確保できれば、あとは自分の好きな事をしながら人生を送る事が出来る理想的な人生を追求できるのだ。なによりも精神の自立が得られる。自分に正直な発言が出来るようになる。要するに自分を解放できるのだ。定年になってから自由になっても、それはもう遅いのだ。
なぜ私がいきなりこんな事を書くかというと、3月22日の毎日新聞に出ていた、北海道大学教授(行政学)山口二郎氏の言葉に大いに頷くことがあったからである。山口氏はこう言っている。
「・・・(かつては)自立した市民が、腐敗した官僚や自民党を乗り越え、民主政治を作り出すというイメージを持っていた。その市民は、やはり安定した職を持つ存在です。それが新聞を読み、テレビの報道番組を見て、批判的知性を持つ。そういう民主主義を考えていました・・・この議論は、戦後の経済成長と再配分の蓄積で人々が中流意識を持てたからこそのものでした。その蓄積を食い潰し、なりふり構わぬ新自由主義が展開されると、市民の生活は相当に陥没してきた。私が想定してきた市民は実は非常に脆弱なもので、もう一回、生活をきっちり確保しないと、民主政治がどうだなんて議論はできないと考えています・・・」。山口は、小泉改革なるものによって格差がひろがり、一握りの金持ちの裏で大多数の経済的弱者が生まれてしまった、その弱者は健全な政治的批判力を失い、強者の乱暴な言動にあこがれる、かくして日本の社会は右傾化した閉塞社会になってしまったというのだ。為政者の思う壺だ。
経済的自立の重要性は、清沢きよし(さんずいへんに列と書く)という戦前の反戦外交評論家の生き様をみれば頷ける。2月25日の日経新聞の「日記をのぞく」という連載でつぎのような興味あるエピソードを私は見つけた。反戦、反軍国主義を訴えた清沢は内閣情報局から執筆を禁止され原稿料が途絶えた。そんな時どうやって暮らしていたかというと、株式の配当にたよったほか、所有地を畑にして暮らしたという。言論人としての独立を守るためには経済的自立、つまり生活基盤の安定が大切であると清沢は考えていたのだ。それがあればこそ、孤立を恐れずに自分の信念を訴え続けられるのだ。
上記の二つの引用は、政治活動や言論活動に限られるものではない。今日を生きるあらゆる人間に共通して当てはまる事だと思う。まず自分の手で継続的、安定的な必要最低限の経済的自立を確保することだ。その後は無限の可能性が広がる。大金持ちを目指すのも良い。清貧に甘んじるのも良い。自然と共生する人生を求めるのも良い。自分で納得できる人生を自分の手で選ぶ事が出来るのだ。そしてそのような自立した生活が出来る者こそ人生の勝者なのだ。金の多寡では決してない。
日本外交が行き詰まるのは米国から自立できないからである。米国に逆らったら怖いと言う幻影におびえているからである。その檻から解き放たれた時、日本は大空を自由に飛べるようになる。日本も日本人ももっと自分を信じるべきだ。そして檻を破る勇気を持つべきなのである。
http://www.amakiblog.com/archives/2007/03/26/#000313
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