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週刊誌『サンデー毎日』に、政治評論家岩見隆夫氏の「サンデー時評」という連載物がある。いつもみている訳ではないが、なかなか味わい深い政治評論がある。同誌2007年3月18日号に「無党派層ノイローゼではないか」という岩見氏の面白い評論があった。岩見氏はいう。
「いつのころからか、<無党派層>という奇妙な言葉もはやりだした。メディアは、
『いまや、無党派層が第一党になってしまった』
などという。これまた三つの点でおかしい。
まず、<無党>というが、対象になっているとみられる人たちの多くは、積極支持の政党がないだけで、<無党>が何か値打ちのある政治信条として掲げているのではない。むしろ、好きな政党がない状況を残念がったり、悲しんでいる。<無党>に閉じこもっている政治嫌いはごく少数と思われる」
<無党>とは何なのか、確かに私もあまり考えたことはない。かつては、支持政党なし層といういい方をしていた。自民党支持や共産党支持を表明する人に対して、特に支持する政党がないという人たちである。かつては、支持政党を表明する人がかなりいたように思う。石見氏は、<無党>を支持政党なしと同じ意味で使っているのは問題であると考えている。そしてさらに続ける。
「次に<派>扱いしてしまうと、タカ派、ハト派みたいに、主張するグループとして識別できるようにみられがちだ。しかし、まったくそうではない。
さらに、<層>と表現するのはもっとおかしい。層といえば、塊や集団を形成していると受け取られるが、この人たちに結束の意識や集団行動の意図などがあるわけではない。」
(中略)
「理屈っぽい話になってしまったが、そういうわけで、<無党派層>という言葉を使うのは、いたずらに政党不信をあおる恐れがあるので、私は反対である。ところが、宮崎県知事選のそのまんまショック以来、メディアには連日のようにこの言葉が登場している」
岩見氏の論述の意図はもっと違ったところにあるのだが、それは原典にあたってもらいたい。といってもこれをいまこれを手に入れるのは難しいであろうが…。ただメディアも私たちも無党派層という言葉を安易に使いすぎているような気がする。ということは、無党派層の政治行動を詳しく分析しないということであり、政治そのものを厳密に考察しないことにつながるのではないか。その点で、岩見氏の問題提起は正しい。無党派層とは何かを正しく把握して、その政治行動を分析をしないと各政党は選挙に勝てないであろう。
平成7〜10年ころ、私が総務局長や団体総局長として加藤紘一自民党幹事長を支えていたとき、次のようなことをいつも加藤氏にいっていた。
「支持政党なし層を無色透明・中立と考えてはいけません。私たち自民党がそんなに暴政をやっている訳ではないのに、政権党である自民党を支持してくれないというのは、自民党に好意をもっていないのですよ。私たちが努力しなければ、自民党には投票してくれないと考えていた方がいいですよ。ですから、先生がテレビなどで発言する場合は、そういう人たちにどのようにいえば自民党に対する理解や支持が得られるようになるのかということだけを考えて、発言して下さい」
加藤氏は私のいうことを理解し、自民党のスポークスマンとしてまさに私が期待していたような発言をしてくれた。加藤氏のリベラル性は、地でもあった。当時の支持政党なし層には、リベラルな主張が受け容れられた。現在の支持なし層にはどのような主張がいちばん受け容れられるのか、いや支持なし層がいかなる政治を求めているのか、それこそまさに各党の政治性が問われる問題である。ただひとつだけハッキリしていることがある。自公合体政権が現にやっている政治には、暴政といっても良いところがかなりあるということである。だから反与党・反自公という傾向は、平成7〜10年ころよりはるかに強いと私は捉えている。野党にとっては、絶好のチャンスなのである。
それでは、また明日。
* 07年03月23日 12時30分AM 掲載
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