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(回答先: このエントリーは、もともと自民党や公明党を支持しているお馬鹿たちにいっているものではない(紋邪刃) 投稿者 heart 日時 2007 年 3 月 17 日 16:22:45)
http://list.jca.apc.org/public/aml/2007-March/012197.html から転載。
[AML 12633] 村岡到:ある錯覚――都知事選をめぐって
村岡 到 logos at nn.iij4u.or.jp
2007年 3月 17日 (土) 15:44:02 JST
村岡到:ある錯覚――都知事選をめぐって
現在の選挙制度では、自治体の首長には第一位の得票者が当選することになっているから、反石原票が一本化できるような候補者配置になるのが望ましいことは言うまでもない。だが、反石原候補の当選だけが、選挙の後の都政の動向を望ましいものにするとだけ考えるのは錯覚である。「議会主義」などという最近ではだれも使わなくなった言葉を思い出さなくとも、何年かに一度の選挙の結果だけで政治が運営されるわけではない。選挙のときだけではない、日常的な政治活動が活性化することこそがもっとも大切である。
例えば、仮に、石原が200万票を得て当選しても、反石原票の合計が350万票となったら、石原は思い通りの政策を実行できるであろうか。重ねて書くが、この350万票が一本化して、あるいは二つに割れてもいずれかが201万票取れば、石原は落選するし、それが望ましいことは言うまでもない。だが、4年ごとの選挙の時の結果だけで都政は固定的に運営されるのではない。その時々に、賛成・反対の運動の展開によって、政治は運営されるのである。「悪政」――何を基準にするかという大問題は省略――と対決する運動を展開することこそが、今日ではもっとも重要な課題なのであり、そのための橋頭堡を築くのか、憲法の重要性に注意を喚起しないような候補を尻押しして、憲法やひいては理論一般の大切さを軽視する政治の流れを加速させてしまうのか、が問われているのである。憲法を争点にしないということは、今の政局のなかで、憲法は重要ではない、国民投票法案についても目くじらたてることはないという風潮を助長させることになる。
「浅野氏に投票を」と呼びかけている――これが公選法違反かどうかがこのmlでも話題になっているが――新時代社すら、「石原都政に対する最も鮮明な対決軸を打ち出しているのは、共産党と吉田万三氏である」と書いている(「かけはし」3月19日、平井純一氏)。その共産党陣営の得票が無視できない大きな数となれば、石原の次の悪政を阻止・粉砕する運動の原動力となるであろう。
この期に及んでなお、「憲法」について触れられない候補をかついでも、改憲阻止運動にとってはプラスにはならないであろう。この点がはっきりしないままに、浅野候補を支援できるあいまいさは、禍根を残すだけであろう(政策ではなくムードのほうが意味があるということになる)。そんなことはあいまいでもよいのだ、というのも一つの立場であろうが、それでよいのなら、「改憲反対」とか「左翼」とか「共産党批判」とかは主張しないほうがよい。「私はもっと右に位置しています」と公言すべきである。
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