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□植木等の死去が1面で報じられた意味/花岡 信昭
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第53回
植木等の死去が1面で報じられた意味
俳優、植木等の死去(享年80歳)を、スポーツ紙はむろん一般紙のほとんどが1面で報じた(3月28日付朝刊)。芸能人の死亡記事が1面に出ることはそうそうない。「昭和」を代表する最後のスター、という指摘もある。となると、各紙が1面で報じた意味合いも出てくるが、政治ウオッチャーとしては植木等が最も脚光を浴びた時期の政治情勢に関心が向く。それは現在の安倍政権を考える上での、ある種の示唆に結びつくのではないかと思えるからだ。
植木等を美空ひばり、石原裕次郎らと並ぶ「昭和の大スター」として位置づけるのは、やや無理があろう。だが、新聞は死去を1面に掲げた。若い世代は違和感を覚えたかもしれないが、還暦を過ぎた筆者の世代には、1面に出たことで改めて納得できるものがある。あの「無責任男」の強烈なイメージは、やはりひとつの時代を象徴していたのだ。
一世を風靡した「無責任男」の映画は「東宝クレージー映画」と称されるが、調べてみると、1962年の「ニッポン無責任時代」から71年の「日本一のショック男」まで10年間で30本ある。植木等はその後も、渋い脇役などで活躍するが、日本人のこころをがっちりととらえたのはこの10年間である。
私事で恐縮だが、この時期は筆者の高校、大学、新入社員時代に重なる。だから、無責任男シリーズはずいぶん観ている。筋立てなどはまったく忘れてしまったが、印象に残っている場面は多い。植木等が吸殻を拾う。靴磨きをしてもらっている人がたばこに火をつける。それを見て、「ちょっと火を」と言いながらタバコを受け取り、吸殻の方を返す、といったシーンなどは鮮明に記憶している。パチンコ屋でタマを1個拾い、それを台に入れて当たりを出し、あとはそのまま大当たり、といった場面も覚えている。
他愛もないと言ってしまえばそれまでだが、人生、堅苦しく考えていても始まらない、軽く無責任にやってしまえばなんとかなるさ、という雰囲気を見事に描いていたように思う。あれで映画館内は爆笑の渦であった。
追いつき追い越せの高度成長真っ盛りの時代である。組織にがんじがらめにされ、働き蜂を強いられたサラリーマンは「気楽な稼業ときたもんだ!」の無責任さに自分たちにはないものを見出し、喝采を浴びせた。高度成長時代の歯車としての我が身のうっとうしさを、植木等が追い払ってくれたのだ。
無責任男の時代は政治の超安定期
東宝クレージー映画が続いた時代を政治状況で見ると、池田政権(1960年7月〜64年12月)、佐藤政権(〜72年7月)と見事なぐらいにオーバーラップする。そこから、筆者には冒頭に触れた無責任男と政治状況との連想が生じたのである。
池田は喉頭がんにより、東京オリンピック閉会式の翌日、退陣を表明、4年4カ月余の政権を去る。あとを継いだ佐藤はそれから7年8カ月の長期政権を可能にする。念のため、当時は自民党の党則に総裁の任期規定がなかった。その後、1期2年2期まで(中曽根政権では衆院300議席確保による特例として1年の任期延長が認められた)、そして現在の1期3年2期までという規定に至っている。
つまり、政治的には超安定期といってよかった。党内抗争はあったものの、池田、佐藤の12年間に政権交代は1回しかなかったわけで、その当時の政治記者OBから「三角大福時代を取材した君たちのころはよかったよなあ。政権交代を何度も見られて」と言われたぐらいだ。
国民は高度成長によってうるおい、「坂の上の雲」を目指そうと意識した。東京オリンピックを頂点として、日本全体に浮揚感とでもいえそうな感覚があふれていたように思う。そういう時代であったから、無責任男は逆に新鮮さを持って受け止められたといっていい。
安倍政権の先行きを予感させるものか
さて、そこで現在の安倍政権である。小泉政権は5年半続き、それも退陣まで高支持率を維持するというかつてない状況下での政権交代となった。これで安倍政権が長期政権になれば、池田、佐藤時代と酷似する時代として歴史に位置づけられるかもしれない。
7月参院選の結果次第では短期政権かとも見られていたが、最近の党内情勢からすれば、多少負けた程度では退陣要求は出そうにない。党内に巨大勢力をバックとして次を狙う実力者もいない。66%の支持で総裁選を制した安倍首相の政治基盤はなお健在と見ていい。閣僚の失言だの政治資金にからむ不始末などはあっても、政権を引っくり返すほどの事態にはなり得ない。
いわば総主流派態勢にあり、党内抗争がほとんど見られないという点では、池田、佐藤時代よりも恵まれているといっていいかもしれない。加えて、高度成長期と同様、経済情勢はきわめて順調である。格差問題はあっても景気は堅調だ。
経済が好調なのは小泉政治の果実である、という評価があまり出ないのはなぜか。道路公団や郵政の民営化といった「民」主導型への転換が、改革の中身はともあれ、イメージとして経済活性化に貢献していると言えないか。そのあたりの分析、評価が出ていないのは、経済の専門家ではない筆者には不可解にすら映るのだが、ともあれ、経済が順調に推移していることは政権の座にある者にとって最高の環境となる。
植木等の死去が大々的に報じられたことで、あの「よき時代」に改めて光が当たった。高度成長の高揚感の一方にあった「無責任男」の諧謔(かいぎゃく)イメージ。「わかっちゃいるけど、やめられない」が通ったのは、政治が安定し、経済に活力があり、日本全体に上昇志向が存在した時代であったからこそではないか。
そう考えると、植木等は死してなお、日本という国のありように彼なりのメッセージを託してくれたのではないか。素顔は無責任男とは裏腹に、酒もやらず、謹厳実直な人だったという。なにごとも政治というスクリーンを通して見ないと気がすまない政治ウオッチャーの悪いクセかもしれないが、植木等 死去の「1面報道」は、昭和という時代を振り返ると同時に、安倍政権の先行きへの強力な援軍となったような気がしてならないのである。
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