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「わたしを犯さず、やさしくしてくれた特攻隊員が一人いた。彼はわたしに何度もいった。『ぼくは死ななくちゃならない。しかし、あなたは生きなければならない』」 元「従軍慰安婦」、イ・ヨンスさんが証言 ルモンド東京支局長、フィリップ・ポンス氏が取材し報道
http://onuma.cocolog-nifty.com/blog1/2007/03/for_the_record_c93e.html
フランスのルモンド紙の東京支局長で、日本の歴史文化に明るいフィリップ・ポンス記者が3月5日、先にワシントンの連邦議会下院小委で証言したイ・ヨンス(李容洙)さん(78歳)と都内の韓国レストランで会い、彼女の話を聞いて記事にした。
その記事を読んで驚いた。彼女はなんと14歳で、軍用性奴隷の地獄へ連れ込まれていたのだ!
しかも、自宅から、日本軍の兵の手で!
ポンス記者はこう書いている。
「現在の韓国南東部、大邸に近くで生まれたイさん(マダム・イ)が14歳のときだった。『1944年の秋のある朝のことです。寝ていると、わたしを呼ぶ女の声がします。出て行きました。日本兵がひとりいて、わたしを捕まえ、力ずくでわたしを連行したのです』。汽車は彼女をピョンヤンから中国の大連へと運んだ。大連で彼女は台湾行きの船に乗せられ、自殺パイロット(カミカゼ)の基地の軍用売春宿に配備された」
台湾の特攻機地の慰安所での体験を、イさんはポンス記者にこう語っている。
「(慰安所になった)船上で、わたしたち5人は300人の兵にあてがわれました。年上のお姉さんがわたしを隠してくれました。その基地で、わたしは殴られ、犯され、死ぬまで放置されました。わたしの手は針金で縛れていました」
そんな地獄の日々のなかで、イさんはひとりの特攻隊員(パイロット)に会った。
「ひとりのパイロットがわたしにやさしくしてくれました。彼はわたしに何度も言いました。『ぼくは死ななくちゃならない。しかし、あなたは生きねばならない』と。その人だけが、わたしを犯しませんでした」
哀切きわまる証言ではないか!
台湾の特攻機地の慰安所で、こういうことがあったのだ!
ぼくは死ねけど、君は生きろ、と励ます特攻隊員がいたとは!
上記、「やさしくしてくれた」という拙訳は、字義通りに訳せば、「世話をしてくれた」となる。
その特攻隊員はもしかしたら、イさんを妹のようにも思い、気遣ったのではなかったか?!
イさんの証言は続く。
「何ヶ月かが過ぎていきました。わたしがあてがわれた小さな船室には毎日、10人の兵士がやって来ました。船室には寝床と布団と消毒液がありました。最後の任務(自殺攻撃)に出て行った彼らは、(わたしの部屋に)長居していました。(特攻隊員の)彼らもまた犠牲者だったのです」
イさんは自分を奪った特攻隊員たちを、同じ犠牲者だと言っているのだ。彼女自身と特攻隊員を、台湾の慰安船の一室に押し込め、一方で「生き地獄」を強い、他方で「散華」を迫ったものを憎み、告発しているのだ。
そして、ついに光復の日が……。
「ある朝、日本兵が突然、いなくなりました。街の方から中国語の叫び声が湧き上がりました。『戦争は終わった』と」
ポンス記者は、1992年、日本の歴史学者(吉見教授)の手で日本軍の「参謀本部の関与」を示す旧軍の資料が発見され、それが翌年、宮沢政権下、河野官房長官による「談話」につながった経緯について紹介するとともに、旧軍が配下の「人買い」を「下請け」にして、騙したり、まったくの奴隷として女性を慰安所に供給していたことも多かったとも指摘。そのことを口実に、軍の全面直営ではなかったとして「河野談話」を否定する、日本の「右寄りへの回帰」の動きを批判している。
そう、その通り、すべてを「下請け」の「業者」のせいにすることはできないのだ。「業者」に下請けに出した「軍部」こそ、責任を取らねばならない。
安部首相よ、あなたの祖父、岸信介氏が手を結んだ日本の軍部こそ、14歳の少女、イさんらを性の地獄へ突き落とし、若い特攻隊員を「散華」に追い込んだ輩であることを、あなたは認めるべきである。
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http://www.lemonde.fr/web/article/0,1-0@2-3216,36-879493@51-875240,0.html
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