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2007年03月07日
拉致問題は国をあげて解決する時が来ている
六カ国協議のフォローアップとして拉致問題に関する日朝作業部会が始まった。北朝鮮の硬直的な態度を見ていると楽観は許されないが、こんどこそ拉致問題に関する進展が見られる事を心から期待する。もはや国をあげて解決する時が来たと思う。
私はこれまで拉致問題についての私の考えをあらゆる機会を捉えて発言し、書いてきた。イラク問題と並んで、いやむしろそれ以上に、この拉致問題の早期解決を重視し、その解決を願って来た一人である。
いつまでたっても解決の見通しが立たない拉致問題に振り回される拉致被害者の家族の姿を目にする事は、耐え難く悲しくつらい。これほどむごい事はない。これほど人の心をもてあそんできた外交はない。
結果がどのようなものになるにせよ、私は拉致問題は今度の話し合いで一つの方向が見えると思う。米国が北朝鮮の核問題に一つの結論を出そうとしている以上、日本がいつまでもこの問題を引きずる訳には行かないのだ。日本政府は、結局は、「拉致問題の解決に向けて前進した」という形を作り上げ、北朝鮮との国交正常化に向けて舵を切っていくだろう。そして共産党や社民党の左翼政党はこれを歓迎するであろう。しかしそのような形で拉致被害者の家族の期待を裏切ることがあってはならない。
そうなる前にもう一度だけこの拉致問題についての私の考え方を述べることとする。これが拉致問題について私が書く最後の文章である。
なぜ拉致問題が正しく解決しないのか。それはもちろん極悪、非道な北朝鮮の金正日体制のせいである。しかし同時にまたその金体制に向かい合う日本側の指導者たちの基本姿勢に根本的な矛盾があるからでもある。
それは一言でいえば、国民の生命、人権よりも、国家の利益を優先する日本の与野党の政治家、官僚の論理があるからだ。その国益という言葉の裏には、政治家や官僚の名誉欲、出世欲、責任逃れといった邪心が隠されている。拉致被害者の救出の為に何が一番重要で、効果的か、という視点が欠け、問題の処理が不透明なところだ大きな問題なのである。
3月7日の朝日新聞、ニッポン人・脈・記において、拉致問題の核心をつく記事が書かれていた。拉致問題は、小泉前首相の訪朝をきっかけに表面化し、今でこそ国民の関心をひく大きな外交問題になっているが、それまでは政治家も官僚もマスコミもほとんどこの問題に目を向けなかったと、その朝日の記事は指摘している。その通りである。いやそれどころか、政党や政治家の政治的取引としてこの問題が隠蔽されて来たのだ。そして出世の為に政治家に取り入る外務官僚や警察官僚の幹部が、このような政治家の取引に加担してきたことが読み取れる。
拉致問題を掘り起こしたのは、ごく少数のジャーナリストや議員秘書であった。彼らは拉致の存在に気づいた時点で、これは許せないと素朴な正義感を持ったのだ。大阪朝日放送の石高健次(56)は、92年に「楽園から消えた人々 北朝鮮帰国者の悲劇」というドキュメンタリーを放映した記者であるが、その取材の過程で石高は拉致問題に気づく。そして拉致問題の裏づけ取材で韓国を訪れた時、韓国の情報機関の高官から、バトミントン帰りの13歳の女の子が拉致されたらしいという話を聞く。95年のことだ。それ以来石高は横田めぐみさんを支援し、めぐみさん救助に向かって動く。しかしこの石高の活動は広がりをみせることにはならなかった。共産党の参議院議員橋本敦(78)の秘書だった兵本達吉(69)もまた拉致問題を追った一人だ。マルクス主義者の兵本にとって「社会主義の北朝鮮が(拉致などということを)やるはずはない」のだが、それでも「何かおかしい」と思って調査を進める。その兵本は、最後は日本共産党を除名される。産経新聞の阿部雅美(58)は78年の日本海海岸でのアベック蒸発をみずからの足で調べて80年に「外国情報機関が関与?」と一面トップで報じた。しかし政府も警察も反応せず世間は「虚報」扱いして終わった。
実は、私のところにかつてあるメールが寄せられたことがあった。あの時どうして勇気を出して拉致問題を追及しなかったのかと、警察官であった父が自責の念に駆られながら死んでいった、という事実を私に教えてくれたメールであった。
歴史に「もし」はない。しかし、もし、もっとはやく拉致問題が国民の前に明らかにされていたらと思う。いや、今からでも遅くない。この国の政治家や官僚が、いままでの経緯やしがらみ、おのれの間違いを素直に反省し、私心を捨てて本気で拉致問題を解決しようとする覚悟があれば、いたずらに拉致家族を苦しめることにはならなかった。その結果がどうであれ、拉致問題の交渉はもっとはっきりとしたものになっていたはずだ。あまりにも隠し事が多いのだ。
もう一度問う。なぜ拉致問題はいつまでたっても解決できないのか。なぜ日本政府は今になってもこの問題の解決に本気で乗り出さないのか。
左翼政党とその政治家は北朝鮮との国交回復をイデオロギーの立場から一貫して主張してきた。北朝鮮との関係を重視するあまり、北朝鮮の犯罪を否定し、正面から取り上げようとしなかった。
その一方で、自民党には、そのような左翼政党との馴れ合いがあった。国対政治という言葉で象徴される自民党と左翼政党の底辺における癒着は、自民党までも、北朝鮮との国交回復実現を優先させた。90年の金丸・田辺の訪朝や、99年の村山訪朝団がその典型例だ。
その延長上にあったのが小泉訪朝であった。拉致問題の幕引きと引き換えに一気に長年の懸念である国交正常化の実現をはかろうと急いだ。しかし、そのような小泉前首相の賭けは、見事に裏目に出てしまった。図らずも北朝鮮の非道が国民の目に明らかにされた。そのあまりの残酷さに一般の国民感情が素朴な拒否反応を示した。拉致家族に同情した。
天の配合とでも言うべきこの予想外の展開は、小泉前首相にとってはまことに癪なものであった。小泉前首相のよこしまなもくろみを見事に砕いた。そこまではよかったのであるが、密約を反故にされた北朝鮮の怒りを買って「拉致問題は解決済み」であると言わしめることになった。ここに至って問題解決がこじれてしまった。本来であれば、小泉前首相や飯島は、そしてその経緯を承知している安倍首相や外務官僚は、自らの誤りを率直に認め、平壌宣言を白紙撤回して、国民の理解を得る形で、国交正常化交渉と拉致問題の根本的な同時解決に向けて、仕切りなおして誠意ある交渉を始めるべきであったのであるが、小泉前首相の面子と意地にかけて、訪朝が間違っていたとは言えなかったのだ。
小泉前首相の不誠実な外交を糾弾すべき立場にある共産党や社民党は、イデオロギー上のしがらみからそれをしなかったばかりでなく、小泉訪朝と平壌宣言を評価するという、倒錯した対応に終始したのだ。
拉致被害者の家族にとって不幸だったのは、彼らを支援する政治家が、韓国、中国に強硬姿勢をとる自民党保守派となったため、いたずらに経済制裁の強化に走ったことである。経済制裁が奏功するのであれば私も経済制裁の強化に賛成である。しかし残念ながら今の北朝鮮にとってそれは逆効果であるばかりでなく、北朝鮮に「解決済みであったのに信義を裏切ったのは日本側である。それを制裁強化などと認めることは許せない」という倒錯した口実を与えるだけとなった。
本来は小泉前首相の裏取引を追及し、それを小泉前首相らに認めさせ、改めて小泉前首相に金正日との直談判を強く求めるべきであるのだ。この点の正当性は、小泉前首相が引退した後も変わらない。それどころか小泉前首相が引退したからこそ、強く詰問すべきだ。そして訪朝を求め、自らに手で解決するよう迫るべきだ。官房副長官として小泉訪朝に同行した安倍首相こそ、小泉前首相に迫るべきだ。そして小泉前首相が「今となっては自分にとって何のメリットもない」と言って、責任逃れをするのであれば、安倍首相自身が拉致家族を引きつれて北朝鮮に乗り込み、再交渉を始めるべきなのである。もちろん金正日はそれに応じないであろう。しかし応じないことの非道を世界に向けて訴え続ければいいのだ。正義は日本にあるのだから。
北朝鮮との国交正常化を主張してきた左翼政党とその政治家や左翼主義者たちも、さすがに今となっては北朝鮮を正面から弁護する事はできない。しかし彼らは自らの間違いに口をつぐんだまま、そして、この期に及んでも、友好的な関係を保ってきた北朝鮮の金政権を正面から批判する事無く、悪いのは日本の過去の侵略と韓国人の人権蹂躙であるという事をことさらに強調し、日朝国交正常化こそが拉致問題解決の近道であると強弁を繰り返すのである。
北朝鮮との国交回復を急ぐのは歴代の自民党政権の指導者も同じである。しかしその理由は、左翼政党のそれとは根本的に異なる。過去の反省には消極的であるにもかかわらず、歴史的偉業を成し遂げたいという野心は強い。その矛盾を最もよく体現していたのが小泉前首相であったのだ。だから私は小泉前首相の訪朝を厳しく糾弾してきたのである。
歴代の自民党の指導者は、しかし、拉致問題という難題が立ちはだかっている為に、北朝鮮との国交正常化を急ごうとしなかった。国交正常化の偉業を達成したいのはやまやまだが、国民の生命のかかっている拉致問題の解決にはあくまでも慎重な態度を崩そうとはしなかった。
そんな中で国交正常化に食いついたのが小泉前首相であったのだ。小泉前首相に本当の意味での国交正常化への熱意があったわけでは決してない。靖国神社参拝にあそこまでこだわるような人物に国交正常化を手がける資格はない。訪朝直後に行うべき拉致被害者の家族への報告を、福田官房長官にさせるような人物が、拉致被害者家族の気持ちを思いやって拉致問題解決に取り組んだわけでは、決してない。北朝鮮から森善朗元首相に対して出されていた訪日要請を、自分の手柄にしようと横取りしたに過ぎなかったのだ。訪朝をためらっているうちに首相を辞めざるを得なくなった森元首相とは対照的に、首相になったばかりの小泉前首相は都合よくそれに飛びついたのだ。ただそれだけである。
その小泉前首相の功名心を、出世にはやる外務官僚が「国交正常化を実現できればノーベル平和賞ものですよ」とくすぐった。拉致被害者の家族を前にして、「わずか十人程度の命のために国益をそこなうことがあってはならない」と口走った外務官僚の言葉こそ、彼らの本音を見事に表現しているのだ。そしてそれは今も変わらない。外務官僚の頭にあるのは、こじれてしまった拉致問題に早く幕引きをして、日朝国交正常化という光のあたる部分に早く突き進みたいのだ。
繰り返して述べるように、日朝国交正常化に進みたいのは左翼政党も同じである。そして、歴史認識などの違いで明らかなように、左翼政党のアジア外交は自民党のそれとは根本において異なるにもかかわらず、国交正常化という一点において奇妙な利害の一致があるのだ。かくして拉致問題は与野党の対決問題とはならなかった。奇妙な事に小泉前首相の訪朝は共産党と社民党の評価する外交的成果であり続けた。このことが拉致問題解決に対する日本の北朝鮮に対する交渉上の立場を弱くした。北朝鮮はこの弱みを知っているからこそ、日本に対する強硬姿勢をとることが出来るのである。
私がどうしても納得できないのがこの左翼勢力の小泉訪朝擁護である。そもそもが魂のない官僚の作文でしかなかった平壌宣言であったのに、そしてその平壌宣言さえも北朝鮮に一方的に反故にされたにもかかわらず、今でも平壌宣言を評価し、維持し続けるのが小泉、安倍政権と左翼政党なのである。
左翼政党とそれを支持する人たちは、私が小泉前首相の訪朝を批判するたびに、あれは小泉前首相の功績だと強く反論する。イラク戦争反対や改憲反対では私の言動に評価を与えるこれら左翼の人たちは、拉致問題になると一転して私を激しく攻撃する。
しかし私は、拉致問題に関する小泉外交の批判を緩めるつもりはない。なぜならば小泉前首相の北朝鮮との裏取引こそが、拉致問題の根本的解決をここまで阻害した元凶であると確信するからだ。「拉致問題は解決済み」と北朝鮮に言わせる口実を与えたのは小泉前首相に他ならないからだ。
私には左翼も右翼もない。正しいと思った事を主張するだけだ。だから右翼的な月刊誌「諸君」がその最新号(4月号)で川人博という人権弁護士の論文を掲載し、左翼勢力からあがめられているカンサンジュという在日韓国人の国際政治学者はまるで「金正日のサポーター」のようだと批判するのを目にした時、確かにその通りであると川人弁護士に共感をおぼえるのである。カンサンジュ氏の国際政治や平和に関する考え方に共鳴するところの多い私ではあるが、こと拉致問題に関しては私は彼の主張をまったく評価しないのである。
要するに拉致問題の不幸な点は、国民の素朴な一般感情とは別のところで、あまりにも政治的に扱われてしまったことにある。拉致家族にとってイデオロギーなどはどうでもいいことだ。ここまで明らかになった北朝鮮の拉致という非道な犯罪を、日本の政治家たちはなぜ解決できないのか、助けを求めて叫んでいるわが子や兄弟をなぜ救えないのか、という無念さに尽きる。この無念さを平然と聞き流すことの出来る日本人がどこにいるというのか。
それではどうすれば解決できるのか。直ちに解決できないまでも、どうすることが正しい外交であるのか。それは一方において、日本として過去の誤りを正しく謝罪し、それを贖うあらゆる措置をとる用意があると北朝鮮側に、国民や世界が見える形で提示するべきである。この点については、過去の反省を潔しとしない右翼の考え方と私の考え方は根本的に異なるであろう。
しかしこの反省と謝罪は、単なる一方的な反省や謝罪ではなく、日本の謝罪に関する曖昧な態度を反日の口実として外交的に使うという中国、韓国の戦略を封じるという意味からも、必要であると私は考える。その意味で私の考え方は、謝罪ばかりしていればよいという左翼の姿勢とは一線を画すものであるし、中国や韓国に毅然とした態度を見せるべきであるとする右翼の考え方にも通じるものがある。要するに、日本国家として疑義のない形で明確に謝罪と反省を行うべきと言う私の考えは、たとえば拉致問題や領海問題などで毅然とした外交をするために、戦略的見地からも必要不可欠であるということなのである。
この反省と贖罪を行った上で、北朝鮮の拉致という国家犯罪については妥協の余地なく断固とした態度で北朝鮮にその解決を迫るのである。国際社会に見える形で北朝鮮の人権蹂躙を非難するのである。
私はもはや拉致問題は、この国の指導者が直接交渉の正面に立って、拉致被害者の家族と一緒になってこれを行う時期に来ていると考えている。官僚や大使が出る幕はとうに終わっている。そこまでの決意と覚悟をこの国の指導者は持つべきである。
できれば小泉前首相に拉致家族を率いて訪朝してもらい金正日と直談判をさせたい。もちろん金正日はそれを受け入れないであろう。解決済みであると言い張るであろう。だからこそ小泉前首相が直接に金正日と交渉して拉致問題の交渉の仕切り直しをさせるのだ。世界が見ている前でどちらが正しかを判定させるのだ。小泉前首相が世界の前で過去の誤りを謝罪し補償を提示し、その一方で拉致問題の解決を迫る時、金正日は逃げる事は出来ないであろう。ごまかす訳にはいかないであろう。もし小泉前首相がそれをやりたくないというのなら、その時こそ安倍首相は小泉前首相の外交から決別し、自ら率先して金正日総書記と渡り合うのだ。日本の国民はもとより世界の国民は喝采するであろう。
最後に、米国のペースに安易に同調し、拉致問題と核問題を結びつけた六カ国協議に乗ってしまった事が根本的な誤りであったことを強調したい。核問題は米国や核保有国が発言権を握っている問題である。それに引き換え拉致問題は日本が最大の利害関係国であり最強の発言権を持っている問題だ。自ら有利な問題を切り離して交渉することは外交の鉄則である。
拉致問題は、右翼、左翼を問わず、あらゆる政治家が国民と一体になって解決すべき時に来ている。これ以上拉致被害者の家族の心をもてあそぶのはもはや犯罪ですらある。
http://www.amakiblog.com/archives/2007/03/07/#000289
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