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(回答先: 選挙になって急に反石原になる民主党(かわうそ実記) 投稿者 heart 日時 2007 年 3 月 06 日 02:56:44)
今日のテレビ朝日の報道ステーションで、
民主党の円より子都連会長とかいう人が、いみじくもこんなことを言っていた:
「石原が倒せれば何でもいい」とか。
メモしなかったので正確ではないかもしれないが、お、本音ポロリ!と思った。
これまで都議会の中では石原にぴったり寄り添ってきながら(時にはハッパさえかけておきながら;例えば土屋たかゆき都議http://www.togikai-minsyuto.jp/html/teireikaihokoku/th16/1601yotokututiya.htm)、選挙となったら、民主党が政権を取れるかにかかってくるからと、急に反石原に鞍替えか。
政治に対する責任感ゼロだな。
政権が取れさえすれば何でもいい。それだけの党であるということがはっきりした。
反石原の人たちに言いたい。
確かに石原の首は挿げ替えなければならない。
しかし、石原でなければ誰でもいい、というのではあまりにも無責任である。
浅野支持を表明しているブログを見ても、「どういう人かよくわからないのだが」という言葉が枕詞のようについていることが多い。
何らかの検討をしていても、政策の内容についてのものではないものが多い。
積極的に、こんな点がすごくいい!と言って支持している人を見かけない。
それで勝てると思っているのか。
批判を封じ込めれば勝てると思っている人もいるようであるが、そういうやり方は、小泉が小泉批判者を「抵抗勢力」と呼び、批判を封じ込めていったやり方と同じではないのか。
しかも、そういう人たちにとっては、石原という当座の打倒目標以外の人でさえあればほとんど誰でもいいようである(ただし、日本会議の黒川は問題外。そして共産党が推薦しているという理由で吉田氏も眼中にない)。
政策は問わない、白紙委任しようというのだ。
これでは、郵政民営化のみをミンミン唱えた小泉に、他の政策をも白紙委任してしまった小泉信者らと一体どこが違うのか。
反小泉で、小泉信者らを蔑んでいたはずの人たちが、反石原というだけで(立候補する以上、対立候補に対しアンチになるのは当たり前である)、浅野の信者のごとくの様相を呈しているのだ。
浅野を支持するのなら、浅野の問題点を洗い出し、問題点の是正を浅野に対し求めながら支持するという姿勢を取るべきだと思う。
石原に対し総イエスマン状況だった民主党議員のいる都議会に、民主党が支援する候補者を無批判に送り込んだところで、首がすげ変わっただけで都政は全く変わらなかった、なんていうことになりかねない。
また、民主党に関しても同じことだ。政権さえ取れれば何でもいいという政党であるという本性がわかったのであるから、自公政権さえ打倒できればいいのだからと民主党を無批判に擁護するというようなことをやってはならない。実現すべき政策を提言し、ハッパをかけていくというふうにしなければ、望むべき政治はいつまで経っても得られはしない。
今回の政治板での一波乱で、私は、政権批判者には、戦略だけ考えて他は切り捨ててもよしと考えるグループと、情報探究・よりよい政策の実現という視点を持とうと努めるグループの二つがあるのかもしれないと思った。それがそのまま、最大野党の民主党を何が何でも支持する層と、民主党以外の選択肢を考えようとする層とに分かれているのではないか。(もっとも中間もいるだろうが、ここでは両極端だけ考える)
いずれのグループも、自分の行動に対し、信念を持っているのには違いない。その意味で、どちらも、何らかの考え方の「信者」であると言えるのかもしれない。
しかし、相手グループの人間にレッテル貼りをするなどして仲間外れにしようとするところまでいくと、盲信・狂信もいいところである。(私などは管理板で政治板からの排除要請まで出されてしまった。)
石原/安倍が作り出している社会状況に対する問題意識も大して変わらない者同士として、また、安倍・石原のファシズムに異議を唱える同志として、ファシズム的言論状況で安倍・石原を打倒しようとするような方法だけはお互い避けなければならないと思う。
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