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権力はもっともらしい理由をつけて表現の自由を制限しようとする。国民投票法案もそう。(伊藤真)
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投稿者 heart 日時 2007 年 3 月 04 日 17:20:19: QS3iy8SiOaheU
 

http://www.magazine9.jp/juku/034/index.html" target="_blank">http://www.magazine9.jp/juku/034/index.htmlより転載。

憲法改正手続法 その2

国民投票運動と表現の自由

国民が自らの意思に基づいて正しく賛否の判断を下すことができるようにするためには、憲法改正が国会によって発議されてから、国民投票を行うまでの間の国民投票運動が自由に行われることが大切です。これは表現の自由にかかわる問題でもあります。
 憲法は21条で表現の自由を保障していますが、これは、いくつかの理由に基づいています。まず、それぞれの個人が自分の表現したいことを自由に表現することによって、自分らしく生きていきたいという個人の利益のために重要だという理由です。これを自己実現の価値といいます。

 つぎに、民主主義が成り立つためには、自由な意見発表と討論を保障することが不可欠だという理由があります。 主権者である国民が自由に意見を表明し、討論しながら、政策形成に参加することが民主主義にとっては不可欠だということです。権力者が決めたことに盲目的に従うのではなく自分たちが主体的に意見を言って、政治に参加していくには、自由な表現行為が許されなければならないということです。これを自己統治の価値といいます。

 そして、思想言論の自由市場という理由も挙げられます。これは、私たちの考えることは、何が正しいかはそう簡単にはわからない、だから、みんなで議論していくうちに、より正しい結論に近づいていくであろう。そのためには自由な言論活動が保障されていることが不可欠だという理由です。私たちは独りよがりや思いこみで間違った判断をしてしまいがちです。そこで、他人の意見、多様な意見に触れることによって、自分の考えを是正したり、新しい意見を発表できるようになり、そのことによって社会全体としてもより正しい結論に達することができるであろうというわけです。

 こうした表現の自由の重要性から考えてみると、憲法改正国民投票運動のときほど、表現の自由が保障されていなければならない場面はないということがわかります。主権者たる国民にとって、国民主権の実現の場として自分の意見を発表できることが重要だというのは当然として、社会全体としても、自由に議論できる場が保障されることは、間違った改憲とならないようにするために不可欠なのです。

議論を制限することなく、多様な意見の積み重ねが必要

 まえにも述べましたが、仮に間違った法律ができてしまったとしても、つまり、仮に法律によって少数者の人権を侵害するようなことが起こってしまったとしても、裁判所が違憲判決を下してその少数者を救済することが可能です。これを違憲立法審査権といいます。(憲法81条)。しかし、憲法が少数者の人権を侵害するような不当な内容に改訂されてしまったときには、その少数者を救済する手段はありません。もう取り返しがつかないのです。

 ですから、そうした不幸なことが起こらないように、国民一人一人が、自分の考え方はこれでいいのだろうか、少数者を無視していないだろうかと、多様な意見に触れながら慎重に自分の考えを作り上げていく必要があるのです。今は多数派に属する自分だけれど、いつかは少数派になる可能性があるかもしれないという点についての想像力が働くかは重要です。つまり、あらゆることは人ごとではないぞ、というイマジネーションがなければ正しい判断はできません。

 たとえば、自分は軍隊にはいかないんだから、軍隊を持つ憲法になっても関係ないと思っている若者がいるとします。自衛隊が自衛軍になったとしても、名前が変わるだけなんだからいいじゃないかと思っているわけです。ですが、軍隊を持つ憲法になれば、法律によっていつでも徴兵制が可能となり自分も軍隊に行かなければならなくなるということを想像できるかは極めて重要なことです。憲法の中に徴兵制の規定がないから大丈夫だと思っているのは大変な間違いであることを知っているかどうかは、判断に重要な影響を与えるはずです。

 そして、こうした想像力を働かせるきっかけとなるような十分な議論が自由に行われる社会が維持されることが国民投票運動の不可欠の前提となります。公務員、教育者、外国人、メディアなどさまざまな立場からの自由な発言があり、多くの多様な議論が積み重ねられることによって、今の自分の立場とは異なる視点から物を見ることが可能となり、成熟した国民としてのよりよい選択が可能となるのです。

 したがって、国民投票運動をなんらかの形でこれを規制しようという発想自体が間違っています。特定の候補者を選ぶ選挙運動は、特定の個人の利害に関わりますから、公正さを確保するために、一定の制限が必要な場合もありますが、憲法改正運動はこうした特定の個人の利害に関わるような問題ではありませんから、規制する必要がないのです。

 そもそも少人数を買収しても意味がありませんし、多数を買収しようとしたら、膨大な資金が必要なだけではなく、そのような行為をすることが世間に明らかになり、そのことも踏まえて国民は賛否の判断をすることになります。

公務員や教育者と国民投票運動

 与党案では、公務員および教育者が、その地位を利用して国民投票運動をすることができないと規制しています。「その地位を利用して」というあいまいで抽象的な言葉で刑罰を科して規制することは大問題です。公務員の皆さんや小学校の先生から大学教授まで、逮捕されてはたまらないということから、発言が萎縮してしまう危険性があります。公務員の皆さんは、憲法尊重擁護義務を課されているのですから、国民の中でももっとも利害関係のある人たちともいえます。それが萎縮してしまうような規制は許されるべきではありません。

 また、こうした規制を新たに設けなかったとしても、現在でも、一般職の公務員は、政治的中立性の要請から政治的行為を禁じられていますが、そもそもこれは不当な人権侵害ですから撤廃するべきです。公務員の行う職務行為自体は中立的でなければなりませんが、そのことから公務員個人が政治的に中立性でなければならないという要請は出てくる理由がありません。仕事を党派性に左右されないで中立的に行えばいいだけで、公務員が一市民として職務と無関係に行う政治活動を規制する理由はどこにもありません。

 ましてや憲法改正国民投票運動という重要な場面においてこれを規制することは、なおさら許されることではありません。ですが、ときに表現の自由は、本来の目的とは異なる名目で規制されることがあります。街の美観を守るためという理由でビラ貼りを禁止したり、交通の妨げになるからといって街頭演説やデモ行進を制限したり、住民の平穏を害するといってビラ配布を住居侵入罪で処罰したりします。

 本当は、権力にとって都合の悪い表現行為を抑圧することが目的であるにもかかわらず、もっともらしい理由をつけて表現の自由を制限するのです。国民投票の際に、改憲を提案した権力の側が、それに反対する市民の表現行為をこうした理由で抑圧することがあってはなりません。

 同様に、全国で約370万人もいるといわれる公務員と約130万人もいる教育者の皆さんたちが反対運動を展開したら改憲派にとって脅威だからという本音を、職務の中立性などの理由にごまかそうとすることがあってはならないのです。

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