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http://tizu.cocolog-nifty.com/heiwa/2007/03/248_d587.html から転載。
03/04/2007
第248号 戦後民主主義と人権
日々通信 第248号 2007年3月4日<<
発行者 伊豆利彦
ホームページ http://homepage2.nifty.com/tizu/
戦後民主主義と人権
「毎日バターばかり食べていれば、皆さんはメタボリック症候群(内臓脂肪症候群)になる。人権だけを食べ過ぎれば、日本社会は人権メタボリック症候群になるんですね」
小中学生のイジメ、幼児虐待、過労死、非正規社員の激増、その他日本の人権侵害事件は日毎の新聞紙上を賑わしている。いまの日本は人権軽視の国だと思っていたが、伊吹文科相の言葉を聞いて驚いた。
彼の認識不足を非難する声がしきりである。しかし、問題は彼がこう思っていることで、言葉として訂正させることに意味はない。これは安倍首相以下柳沢厚労相など自民党の政治家たちに共通する認識なのだろう。
かれらが思い描く「美しい国」では、個人の権利より国の権威が重視され、国のために個を犠牲にして、ひたすら国のために働き、子を産み、「一旦緩急あれば義勇公に奉」ずる国なのだろう。
実は私は戦後になるまで人権という言葉を知らなかった。明治の初期から「天賦人権論」などが翻訳され自由民権運動が若者たちを熱狂させたのだが、それらについて知ったのも戦後のことだった。
私たちが育ったのは人権無視の戦争国家だった。民主主義という言葉も知らなかった。治安維持法という法律については知らなかったが、思想犯という言葉、アカという言葉は知っていた。アカは警察でひどい拷問を受けるということは知っていた。アカが何であるかは知らなかったかが、貧しい人々、不幸な人々のために活動する人々だということは知っていた。
私の周囲の大人たちは頭のいい人がアカになるといっておそれていた。アカをおそれたのではなく、アカに対する警察の弾圧をおそれていたのである。私がアカになって警察に捕まることをおそれていたのである。
戦後、私が強く感じたのは、これで思想犯、政治犯というものはなくなるのだなということだった。国家が間違っていたのだ。弾圧した側が間違っていて、弾圧されたほうが正しかったのだ。もはや政治思想を理由に国民を処罰することはできないはずだと思った。
私がもっともおそれたのは拷問だったが、もう、政治的、思想的理由で拷問されることはないのだということが嬉しかった。それでも、子供心に刻みつけられた拷問の恐怖はいつまでも消えなかった。
戦後、アメリカの力で制定された憲法は「思想及び良心の自由はこれを侵してはならない」「信教の自由は、何人に対してもこれを保障する」と宣言している。
たしかに、戦後憲法の制定はアメリカの力によるところが大きい。当時の日本政府はこのように明確な民主主義的憲法をつくることはできなかった。治安維持法による政治犯を解放したのは日本政府ではなくて、占領軍の指令によって1945年10月10日になってようやく実現したのだ。日本が敗北しても日本政府は2カ月間も政治犯の釈放を実行しなかった。彼らは戦時中の官僚であり、政治家だった。彼らは基本的に民主主義に反対だった。占領軍の指令によってようやく戦後民主主義の枠組みがつくられたのだ。
三木清が獄中で死亡したのは終戦後1カ月以上たった9月26日だった。戸坂潤の獄死は終戦1週間前の8月9日だった。日本でもっともすぐれた哲学者たちが治安維持法違反で投獄され、獄中の劣悪な生活のためにともに疥癬でを患ってなくなった。もう一寸のことだったのにと痛憤に耐えない。とくに敗戦後1カ月も不衛生な牢獄に閉じ込めてその命を奪った日本政府に対して強い怒りを覚える。
日本の憲法はアメリカに押しつけられたから、これを改正するという。たしかに日本の憲法はアメリカに押しつけられたのであるだろう。日本の民主主義そのものがアメリカに押しつけられたのだ。男女同権ということもそうだし、農地改革もそうだ。もし、占領軍の力がなければ、戦争中の政治がつづき、暗い時代がつづいたのだと思う。
この意味で米軍はあきらかに解放軍だった。しかし、米軍は一方で天皇制支配の構造を温存し、これを利用することで占領統治を円滑にすすめることに成功した。この支配の構造は今日までつづき、日本の民主主義を不徹底なものにしている。
いまの日本は制度としては民主主義の形をとっているものの、人権意識やたたかう民主主義の意識においては依然として戦前的、天皇制的なものを残している。それを利用して日本の国民支配は強化され、日本経済の急速な発展が実現された。もっとも近代的な工場で働く人たちの人権抑圧が公然とおこなわれている。
いま、中国をはじめ、かつて植民地支配によってその発展を阻まれてきたアジアの諸民族が急激な経済的発展によって、日本の政治・経済の土台を揺り動かしはじめた。日本の政治・経済の指導者たちはこの危機を、米国への従属をいっそう強め、前近代的な国家意識の強化と人権抑圧によって切り抜けようとしている。それが教育基本法の改悪となり、柳沢発言、伊吹発言となってあらわれた。
日露戦争の直後、まだ19才の石川啄木が母校の同窓会誌に発表した文章(「林中書」)に次のように述べた。
>日本が僅々五十年問に驚くべき改革を成就した好運国であることは、予も亦是認する所である。さうして日本は今、立憲国である。東洋唯一の立憲国である。然し、と自分は問ふ、此立憲国の何(ど)の隅に、真に立憲的な社会があるか?真に立憲的な行動が、幾度吾人の眼前に演ぜられたか?非立憲的な事実のみが践属して居る様な事はないか? 政治上理想の結合なるべき政党が、此国に於ては単に利益と野心の結合に過ぎぬではないだらうか?民衆は依然として封建の民の如く、官力と金力とを個人の自由と権利との上に置いて居る無智の民衆ではないだらうか? 噫、「今の日本」! 若し自分より一層元気の盛んな男が出て釆たなら『日本は決して立憲国でない』と叫ぶ様な事がないだらうか?予は玆(ここ)で筆陣を政治の分野に進める事は出来ぬ。諸君は勝手に以上六個の? に就いて考へて見るが宜敷。
イギリスから帰国した夏目漱石は、ロンドンに住み暮らしたる二年は尤も不愉快の二年だったが、帰朝後の三年有半も亦不愉快の三年有半だったと述べている。
>去れども余は日本の臣民なり。不愉快なるが故に日本を去るの理由を認め得ず。日本の臣民たる光栄と権利を有する余は、五千万人中に生息して、少くとも五千万分一の光栄と権利を支持せんと欲す。此光栄と権利を五千万分一以下に切り詰められたる時、余は余が存在を否定し、若くは余が本国を去るの挙に出づる能はず、寧ろ力の継く限り、之を五千万分一に回復せん事を努むべし。是れ余が微少なる意志にあらず、余が意志以上の意志なり。余が意志以上の意志は、余の意志を以て如何ともする能はざるなり。余の意志以上の意志は余に命じて、日本臣民たるの光栄と権利を支持する為めに、如何なる不愉快をも避くるなかれと云ふ。
この漱石の言葉は何度もくりかえして引用してきたが、これは日本の民主主義を考えるとき、かならす思い出す言葉である。
いまの日本は人権を蹂躙して、それに気づかぬ古い意識の政治家や経営者が支配する国である。戦後政治の清算を標榜する安倍政治による人権蹂躙は今後ますます強化されることになる。この現実を嘆くのでなく、自己の人権をまもるために「如何なる不愉快をも避」けることなくたたかうことが必要なのだろう。「人権」はあたえられるものではなく、自らの力でたたかいとるものなのだ。
戦後アメリカの力で民主主義の道を歩きはじめた日本は、制度としての民主主義はあたえられたが、民主主義の魂はひ弱だった。民主主義の魂とは働く人々の犠牲においてひたすら企業の利益を拡大することのみを求める資本とそれを擁護する国にたいして、自らの力で人権を守り、生活を守るたたかう精神である。
格差拡大、国民生活の破壊を国際競争に勝つためにと称して強力に推し進める政府与党に対して、追いつめられた国民はどうするか。これからますます苛酷になる現実が日本国民を目覚めさせ、形ばかりの民主主義からたたかう民主主義へと発展させるだろうか。
春本番などと言われ、不順な気候に気力が充実しない。通信の発行もおくれ、内容もたどたどしい。みなさんはいかがでしょうか。お元気でお過ごし下さい。
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