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もう、既出と思うのですが、自分なりにその部分を聞いて再生した感想を投稿します。
安倍は2007年2月13日、衆議院予算委員会で、亀井静香氏(国民新党)との質疑のなかついポロリ「私はいま権力の頂点にいる」と日頃思っている権力者思考の本音を言ってしっまった。
問題の質疑は、亀井が、 広くマスコミで報じられた「安倍が池田大作名誉会長と会った」という報道が、事実無根なら、なぜ「間違い」を指摘し、訴訟なり追求しないのか?
また、なぜそうゆうことを隠してる
...と、安倍を追求したことに端を発した中での出来事である。
亀井が、池田大作名誉会長と会ったこと良いとか悪いでなく
なぜそうゆうことを隠してる。
と質問したことに
以下画面を見ながら再生すると
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ヤジ(それでも、総理は会ってない!)
安倍
「私は委員会でも申し上げているんですから、これ以上のものはありません。
それと総理たるわたくしがですね、いちいちマスコミ等を訴訟をする、いかがなものかと思います。
ですから、そら多くの週刊誌に勝手なことを書かれていますよ、事実と全く違うことを。しかしわたくしは、今権力の...(口もご)頂点にいる..、行政の..頂..トップとしてですねそういう訴訟をいちいちするべきではないと、このように考えています。」
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以上再生終わり
... 三権分立、主権在民は、どこ行った!?
「今権力の..」と言いかけて内心マズイと思ったのか、
――――だって、「権力」なんて力ずくの上意下達の独裁者ぽい意味を持つもんね。
ま、日頃思ってる心情を正直に言ってしまったから、
―――いいよどんで「権力」を「行政」と言い変えた。―――
もちろん現”法”に基づいた総理大臣と言うものは、「権力の頂点」ではない
首相官邸自らですら
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首相官邸キッズルーム日本のしくみ「三権分立」
http://www.kantei.go.jp/jp/kids/senior/3_2.html
日本では、三権はそれぞれ独立して仕事を行い、たがいの権力のいきすぎをおさえる役割をはたしています。その長になっているのは、
●立法=衆議院議長、参議院議長
●行政=内閣総理大臣
●司法=最高裁判所長官
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なんて、「権力」者として(表向きは)それなりに模範解答だ。
なにより、法として現憲法でもともと当初から「主権在民」
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「国を治めてゆく力のことを「主権」といいますが、この力が国民ぜんたいにあれば、これを「主権は国民にある」といいます。こんどの憲法は、いま申したように、民主主義を根本の考え」
「日本国憲法」公布の翌年に文部省が作った中学1年用の社会科の教科書
http://www.eonet.ne.jp/~mcfjoka2/atarashii.html
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なのである。
ま、かれ安倍の「私はいま権力の頂点にいる」発言は、「憲法改正」の正体、及び目指しているものがよくわかる
問題の映像は、
http://www.heiwaboke.com/2007/02/post_688.html
で再生してみることができる。
(ブルーベリーうどんさんありがとう)
広くマスコミで報じられた「安倍が池田大作名誉会長と会った」という報道内容は、
毎日新聞 2006年10月8日 3時00分
http://www.asyura2.com/0610/senkyo27/msg/361.html
(2006年10月11日3時0分 読売新聞)
http://www.asyura2.com/0610/senkyo27/msg/471.html
もちろん安倍の主軸は「統一協会」=「国際勝共連合」。
以上の報道内容は、彼(&その背後)が、「自公」連立にふまえ利用できるものは(お互い)利用するという権力者の政治をしたということ。
さて、新自由主義(現代にふまえたのファシズム)者=安倍のつぶしたい現在の自由主義=日本国憲法がわかりやすく解説されていたので一部、紹介します。
いまさら、日本国憲法?なんて思われるかもしれませんが、わかりやすくておもしろかったので
一部、抜粋します。
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http://www.transview.co.jp/books/4901510339/top.htm#14
高校生からわかる日本国憲法の論点
伊藤真[著]
A5判並製・240頁・定価1890円(税込)/2005年7月刊行/ISBN:4-901510-33-9
「憲法は、個人を尊重し権力に歯止めをかけるもの」。
護憲改憲を論じる前に、憲法の基本の基本、
立憲主義の視点から、改憲論議のポイントを整理し明快に説く。
憲法学の常識を知れば、意識が変る。日本が見えてくる。
−略
・・・・一般の人はあまり意識していないようですが、日本国憲法が、個人を尊重するために国家権力に歯止めをかける「立憲的意味の憲法」であることをとりわけよく示しているのが、九九条です。九九条にはこうあります。
「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」
ご覧のとおり、憲法を尊重し擁護する義務を負う者のなかに「国民」は含まれていません。憲法を守らなければいけないのは、国の象徴である天皇と、公務員、すなわち国家権力を行使できる強い立場にいる人間だということが、ここには明記されています。国民に憲法を守る義務が課せられていないことから、この憲法が国民の自由を縛るものではなく、国家権力への歯止めであることは明らかです。
憲法も法律も同じようなものだと考えている人が多いので、「国民に憲法を守る義務はない」といわれてビックリした人もいるでしょう。しかし公務員以外の国民に、その義務はありません。法律は国民の行動を規制しますが、憲法は違います。国民が憲法を守るのではなく、憲法が国民を守るのです。
とはいえ、国民が憲法に対して無責任でいいというわけではありません。国民には、公務員に憲法を守らせる責任があります。自分たちの権利を守りたければ、国家に歯止めをかけ続ける努力を怠ってはいけません。それが、権力の側にない国民が憲法を守るということの意味です。
ともあれ、憲法が公務員を縛るものだと知れば、そのなかに国民の義務や責任を定めた条文がほとんど見当たらない理由がわかるでしょう。国民の人権を保障することが憲法制定の目的なのですから、それが「人権の規定ばかり」になるのは当然のことです。
改憲論のなかには、「現行憲法は人権の規定ばかりで、国民の義務や責任に関する規定がほとんどないのでバランスが悪い」という意見も目につきますが、これは近代憲法というものを理解していない、ピント外れな意見です。国民の義務や責任を規定するのは、憲法ではなく法律の役割です。国民が負わなければならない義務があるなら、それを憲法に盛り込むのではなく、そういう法律をつくればいい。たんにそれだけの話です。そして憲法は、そのようにしてつくられた法律が人権を過剰に規制しないよう、歯止めをかけているのです。
2 こんな権利が保障される
日本の平和主義の特徴
憲法前文の第二段落では、三原則の一つである「平和主義」について述べられています。
「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」
ここは日本国憲法が持つ独自な特徴の一つです。九条の改正を主張する人たちからは「このパワーポリティクスの時代に、外国を信頼して戦力を放棄するとは何事だ」などと強く批判される部分ですが、私は安全保障の根幹は相互信頼にあると考えています。近隣諸国との信頼関係を築かずに、国民の生命と財産を守れるはずがありません。しかも憲法は、相手の「国」を信頼するのではなく、そこに住む「国民」の「公正と信義」を信頼するといっているのです。・・・・
−略
プロ野球選手のストライキ
労働者と企業の関係とは、労働者が労働力を提供する代わりに、企業が賃金を支払うという契約関係であり、その契約内容は本来、双方の合意に基づき自由に決められるのが原則です。しかしそれはあくまで建て前で、たとえば労働者が給料のアップを求めても、会社側に「うちの条件が気に入らないなら他の会社に行け」と言われてしまったら、立場の弱い労働者としては、不利な条件を受け入れて泣き寝入りするしかありません。そこで労働者側にストライキ権などを認めて、対等な立場で交渉ができるようにしているのです。
労働基本権を認めることの具体的な意味は、行使したことによって刑事的にも民事的にも責任を問われないということです。たとえば、ストライキによって企業が通常の営業活動を行えなくなったとしても、労働者側が刑法の業務妨害罪によって罰せられることはありません。また、かってに職場を放棄して仕事をしなければ、通常ならば労働契約違反として会社から損害賠償を請求されてしまいますが、労使交渉の一環として行ったのであれば、免責されます。
さらに近年は、立場の弱い労働者を使用者と対等の立場にするためだけでなく、労働基本権を「自己決定権」として位置づける考え方も有力になってきました。労働基本権は、経済的には必ずしも「弱者」と呼べない労働者にも認められるべきだ、と考えられるようになってきたからです。
たとえば年俸五億円のプロ野球選手や高賃金のパイロットなどは、決して「経済的な弱者」ではないのだから、ストライキ権を認めるべきではないという意見があります。しかし、先にもお話ししたように、憲法は一三条で「自分のことは自分で決める」という自己決定権を保障していると考えられています。ここには、自分が働く職場環境や労働条件を自分で決めることも含まれます。すなわち、リーグ戦を六球団で行うのか五球団で行うのかといった、自分たちの職場環境に関わる重要事項を、オーナーに任せっきりにするのでなく、自分たちも参加して決めたいと選手たちが考えるのは、自己決定権の考え方からすれば当然の要求です。したがって、経済的な強者であっても、団体交渉などを通じて労働環境の決定に参加する権利は、認められる必要があります。・・・・
3 何のための統治機構
肥大化する行政権
・・・・重要なのが「権力分立」の原理です。国家の作用を単独の国家機関に集中させると、権力が乱用されて国民の自由が侵害される恐れがあるので、それを分散させるというのが、この考え方です。日本国憲法はこの原理に立って、国家権力の作用を立法作用、行政作用、司法作用の三つに分離し、相互に抑制均衡(チェック・アンド・バランス)を保たせる制度を採用しました。あくまで国民の権利や自由を守るのが目的ですから、これはきわめて自由主義的な制度です。
−略
また、作用が分散させられているのは、立法・司法・行政の三つだけではありません。そのうちの一つである立法府(国会)が衆議院と参議院の二つに分かれているのも、権力分立の原理によりますし、政治を中央の政治と地方自治に分けているのも、その一つといえます。警察権力なども、明治憲法時代は中央の内務省に集中していましたが、現在は中央の警察庁と各都道府県警とに分散されています。戦前に警察権力が乱用され、数々の人権侵害が起きたことに対する反省から、そこにも権力分立の考え方が持ち込まれました。
権力分立を理解する上で大切なのは、「懐疑」や「不信」を前提にした原理であること、すなわち、権力を信頼するのではなく、疑ってかかることから始まった考え方だということです。
自分たちが選んだ代表を疑ってかかるというと、あまりよい気持ちのしない人もいるでしょう。ですが、当初は人望を集めた権力者であっても、次第にその地位に溺れ、国を誤った方向に導いた例は、歴史上数多くあります。それは、国民の信託を受けた者が権力を行使する民主主義においても同じことです。そのため近代憲法の根底には、「権力の盲信は民主主義の敵だ」という基本的な発想があります。またアメリカ独立宣言の起草者の一人であるジェファーソンは、「信頼はどこまでも専制の親である。自由な政府は信頼ではなく猜疑に基づいて建設される」という言葉を残しました。・・・・
−略
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フィカスのHPは、
「森羅万象に挑む」
http://web.hpt.jp/ficus/
掲示板は
「悪意のない人が森羅万象に挑む掲示板」
http://www1.ezbbs.net/03/ficus/
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