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日比谷公園:朝鮮総連関係団体の会場使用認める…東京地裁(毎日新聞)
在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)の関係団体が主催して3月3日に東京都千代田区の都立日比谷公園で予定している集会の会場使用承認が、都の指示で取り消されたことに対し、主催者側が取り消し処分の停止を求めた裁判で、東京地裁は28日、訴え通り会場使用を認める決定を出した。杉原則彦裁判長は決定理由で「集会は5000人規模で、直前に開催場所を変更することは事実上不可能」と述べた。公園管理者側は即時抗告した。
集会は在日朝鮮人への人権侵害がテーマ。使用承認を取り消した公園管理者側は「参加者と反対者らとの間で大きな混乱が予想される」と主張したが、決定は判例に従い「警察の警備でも混乱防止できないなどの特別な事情は認められず、公の施設の利用を拒むことはできない」と退けた。
朝鮮総連の高徳羽副議長兼同胞生活局長は東京都千代田区の朝鮮総連中央本部で記者会見し、「決定は至極当然。都が右翼勢力の抗議を口実に集会を阻止することは、在日朝鮮人の人権を侵害する行為に加担するものと言わざるを得ない」と述べた。
毎日新聞 2007年2月28日 13時27分 (最終更新時間 2月28日 19時44分)
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/wadai/news/20070228k0000e040075000c.html
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【heart】
東京地裁の迅速かつ適切な対応に敬意を表する。
また、記事内に、
>公園管理者側は即時抗告した。
とあるが、公園管理者は、東京都の意向を受けて動いている。
もともと、管理者はいったんは集会による公園使用を許可している。
それを都が、取り消すよう管理者に指示したのである。
問題は教育現場で起きているのと同様のものである。
現場の意向を無視して石原都政が強権を発動しているのである。
そして、石原がこのような強権政治を行える背景に、
自分よりも弱い者を叩くことで自分の「優位さ」や自分の「強さ」を証明した気になる異常者や、
マスゴミで叩かれている者は叩かれて当然であって、マスゴミと一緒になって叩く自分の側に「正義」があると信じている病的な者
が多く存在するということがあろう。
実際、今回の都の行為は、
>「現在の日朝関係や拉致被害者家族のことを考えれば(会場を)貸すべきではない」という抗議が相次いで寄せられた
(http://www.asyura2.com/07/senkyo31/msg/306.html)
ということが背景にあるのだ。
もっとも、これは、「都によると」そういう抗議が寄せられたということだけであるので、都がでっち上げた可能性もなきにしもあらずだが。
以下、昨日、
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総連系集会:日比谷音楽堂の使用 都が取り消し指示(毎日新聞)
http://www.asyura2.com/07/senkyo31/msg/306.html投稿者 天空橋救国戦線 日時 2007 年 2 月 27 日 12:26:45: ZtsNdsytmksDE
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を私のブログに転載した際に書いたことの転載。
(都の行為は)言論の弾圧、集会の自由への弾圧以外の何物でもない。
憲法違反である。
憲法21条 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
内容をもって集会の開催の是非を決めることは許されない。
その集会で、暴力的行為が行われるというのなら、話は別だ。
しかし、今回の集会は、そのような集会ではないし、「集会への参加者が多く、そのまま開催すれば大きな混乱が予想される」などという都側の説明が通るのなら、例えば選挙の際に自民党候補者に対する応援集会が開かれてそこに支援者らが大勢集まり、「混乱」が予想される場合には、その集会の開催を中止するよう求めなければ筋が通らないことになる。
そんなことを当局は絶対にしないだろう。
言論の自由、集会の自由といったことは、その思想をもって侵害されることは絶対に許されない。
例えば私は天皇制度などクソ食らえと思っているが、だからといって、天皇制度万歳の集会が開かれることを阻止しようとは思わないし、そんな集会を開かせるべきではないなどと当局に「通報」したりはしない。
(もっとも、天皇制の場合はそんな通報をしたところで当局は取り合わないだろうが。)
また、この間、駅で何か怪しげなキリスト信者(?)が、キリスト様のお教えがどうのこうのと押し付けがましく演説していたとき、うるさいな〜と思ったし、不快にも思い、正直、やめてほしいと本気で思った。
しかし、これを、やめろと言うことは、言論の弾圧になると思った。
自分の言論を弾圧されたくなければ、自分の思想と異なった思想を持つ者の言論も、守らなければならないのだ。
もっとも、このような考え方に基づく言論の弾圧への反対は、利己主義的であり、よろしくない。
自由と民主主義の基礎にあるのは、「個人の尊重」である。
自分の利害を考えることなく、自分も他者も同様に尊重するということが自然とできるようになることが理想的だと思う。
なんだか話が脱線した気がするが、・・・・・
拉致問題を理由に、また、チョーセンへの差別意識を理由に、朝鮮人には言論の自由などないと考える人が、東京都に対しは弾圧されても仕方がない、などと考える人が、「現在の日朝関係や拉致被害者家族のことを考えれば(会場を)貸すべきではない」という「抗議」をしたのであろう。
当ブログをご覧になってくださっている人の中にも、何をheartは怒っているのだろう、と思われる方がひょっとしたらいらっしゃるかもしれない。
北朝鮮とつながっているとされる団体など、何をされても仕方がないじゃないかと。
そういう意識に、権力者はつけ入ってくるのだ。
自分に矛先が向かってきた時に、あああれが言論弾圧の始まりだったのか、と気付いたところで、遅いのだ。
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■マルティン・ニーメラーの警句
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik4/2006-04-27/20060427faq12_01_0.htmlより転載。
・・・マルティン・ニーメラー(1892―1984)の言葉として知られるものは、米国の記者ミルトン・マイヤーの著作『they thought they were free』(『彼らは自由だと思っていた――元ナチ党員10人の思想と行動』(田中浩・金井和子訳、未来社)〉の中にあり、ある言語学者が次のように語っているのを引用したものです。
「『発端に抵抗せよ』と『終末を考慮せよ』というあの一対の有名な格言を私は何度も考えてきました。でも、発端に抵抗するためには、それが発端だとわかるためには、終末が見越せなければならないのです。…ニーメラー牧師は、(御自分についてはあまりにも謙虚に)何千何万という私たちのような人間を代弁して、こう語られました。
ナチ党が共産主義を攻撃したとき、私は自分が多少不安だったが、共産主義者でなかったから何もしなかった。
ついでナチ党は社会主義者を攻撃した。私は前よりも不安だったが、社会主義者ではなかったから何もしなかった。
ついで学校が、新聞が、ユダヤ人等々が攻撃された。私はずっと不安だったが、まだ何もしなかった。
ナチ党はついに教会を攻撃した。私は牧師だったから行動した
―しかし、それは遅すぎた、と」
1933年、ヒトラーが首相になると、教会を第三帝国教会に一元化してナチズムに利用することや、ユダヤ人牧師などを排除する「アーリア条項」導入を企てます。
第一次大戦末期、Uボート艦長として従軍、その後ルター派の牧師になったニーメラーは、ヒトラーが教会を攻撃した段階で立ち上がり、牧師緊急同盟をつくり抵抗しますが、37年7月、逮捕され、ザクセンハウゼン(後にダッハウ)強制収容所に終戦まで収容されました。(彼の生涯は、D・シュミット著、雨宮栄一訳『マルティン・ニーメラー』(新教出版社)にくわしい)
45年秋、妻とともにダッハウを訪れた彼は、「ここで33年から45年までに238756名の人間が殺された」と書かれた掲示を見て、「自分はもう他人の罪について云々することはできないと感じた」といい、罪の自覚の上に、西ドイツの再軍備や核兵器に反対していきます。
46年1月、ゲッチンゲンでの説教では次のように語っています。
「私には罪がある。なぜなら私は1933年になっても、ヒトラーに投票したし、また正式な裁判なしに多くの共産党員が逮捕され投獄された時にも、沈黙を守っていました。そうです。私は強制収容所においても罪を犯しました。なぜなら、多くの人が火葬場にひきずられて行った時、私は抗議の声をあげませんでした」
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●(再掲)権威を批判する自由が存在しないところでは人間は尊重されているとは言えない
個人主義について、宮沢俊義という憲法学者は、人間主義と同義と捉えていらっしゃいます。
以下、宮沢俊義著『憲法講話』(岩波新書)の記述を参考にまとめてみました。
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人間主義(個人主義):人権を保障=人間を尊重
「個々の人間に最大の価値をみとめ、政治を全面的にその価値に奉仕させる」
人権とは、「人間主義または個人主義という原理を、個々の人間の立場から呼んだ言葉」
基本的人権の尊重を柱とする現行憲法は、人間主義、個人主義に立脚していると言える。
人間を尊重=人間の個性を尊重
人間の個性は主としてその思想にある。
⇒人間を尊重するためには思想の自由の尊重が必要。
思想の自由は、それを外に表明する自由(=言論の自由、表現の自由)も保障されていなければ保障されているとは言えない。
人間の尊重⇒人間の個性の尊重⇒思想の自由の尊重⇒言論の自由、表現の自由の保障
言論の自由、表現の自由はどのようなときに侵されるか?
⇒権力(政治的権威、宗教的権威、学問的権威)に対する批判的言論・表現を権力者は好まず、制限・弾圧しようとする傾向がある。
⇒言論の自由、表現の自由を守るためには、権力による制限・弾圧を制御することが必要。
*表現の自由とは、「ただ意見を発表する自由ということではなくて、実は、権威の座にある人たちの気に食わない意見を発表する自由ということなのである」;「権威を批判する自由や、権威に反対する自由や、権威の座にある人たちが憎む思想を発表する自由が存在しないところには、表現の自由は存在しない」(宮沢俊義)
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●(再掲)社会が先か?個人が先か?
社会生活を送る者(完全な隠遁者を除くすべての人間)の義務は、第一に社会構成員たる各個人の尊厳を最重要視して行動することである。
各個人の尊厳を最重視するとはすなわち各個人の人権を尊重することと同義である。
個人と社会とどちらを価値判断上上位に置いて行動すべきかと問われれば、私は迷わず個人と答える。
各個人の幸福なくして社会全体としての幸せもないはずだからである。
社会の繁栄のために尽くすといったことは各個人の尊厳を重視しようとする結果行われるべきことである。
先に社会の幸せありきという考え方は、各個人が幸せかどうかという観点を埋没させ、各個人の幸福を奪う結果になりかねない。
社会の構成員たる各個人がお互いを尊重することにより、人間としての尊厳を保った生活ができれば、構成員の幸福度は高くなる。
構成員の幸福度の高い社会は必然的に全体としても幸福度が高いはずである。
したがって、追求すべき社会のあり方とは、「個」を尊重し合い、互いの幸せを高めるよう努力した結果、社会全体としても繁栄する、というものである。
他方、しばしば、秩序の名のもと、「個」を抑えて「社会」の一定の行動様式に従うことの必要性が説かれる。
これは必ずしも一律に否定されるべき考え方ではないだろう。
しかし、もしその行動を強いられることにより思想・信条・良心の領域が侵される人がいるのであれば、そのような行動に対し疑義をはさむ余地が出てくる。
思想・信条の領域が侵されるということは社会の構成員の幸福が奪われてしまうということであり、それでは社会全体としての幸福も得られるはずがないからである。
それでも構成員の幸福よりも社会秩序だと強弁するのであれば、それはまさしく全体主義である。
そして、全体主義国家が滅亡することは、歴史が既に証明済みである。
最初に社会ありきでなく、最初に個人ありきの発想が必要だ。
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総連、北朝鮮、拉致に関しては下記投稿も参:
●最近の総連への弾圧捜査には明らかに政治的意図あり↓
[社会論]最近の総連等への弾圧的捜査について(Arisanのノート)
http://www.asyura2.com/07/asia7/msg/271.html投稿者 gataro 日時 2007 年 2 月 18 日 10:21:34: KbIx4LOvH6Ccw
●<資料>「所得税法違反」事案にかこつけた朝鮮総聯への政治弾圧/日韓ネット@渡辺(薔薇、または陽だまりの猫)
http://www.asyura2.com/07/asia7/msg/201.html投稿者 gataro 日時 2007 年 2 月 08 日 21:45:03: KbIx4LOvH6Ccw
●捜査対象も時期も報道もおかしい。公安警察による朝鮮総連に対する不当な強制捜査↓
【動画】公安警察と大手メディアを断固批判する総連/もう1度「報道」について考えてみた (OhmyNews)
http://www.asyura2.com/07/senkyo29/msg/223.html投稿者 gataro 日時 2006 年 12 月 21 日 17:40:04: KbIx4LOvH6Ccw
●安倍政権維持と右翼、憲法改悪、軍備強化のために利用されている拉致問題↓
□N.Y.タイムズ記事:”右翼が北朝鮮拉致の憎悪を煽り立てる”(論壇目安箱 投稿者による要約)
http://www.asyura2.com/07/senkyo29/msg/221.html投稿者 i^i 日時 2006 年 12 月 21 日 17:34:51: uYCM.EuCxbqec
□安倍政権では拉致問題は解決されないよ。軍国化利用である事を米国も北朝鮮共和国も知っているからだ。
http://www.asyura2.com/07/senkyo29/msg/254.html投稿者 新世紀人 日時 2006 年 12 月 22 日 15:08:37: uj2zhYZWUUp16
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